結婚的記念日

2020年12月21日 50年目を目指して!





「しっかり見届けましょうかね」

またしても一ヶ月更新ができず申し訳ないです。
今日は12月21日、私達夫婦の結婚記念日です。1975年(昭和50年)のことでした。もうあれから45年も経ってしまったんですよ。東京都北区十条のクリーニング屋の二階に部屋を借りてスタートしました。その後は、亀有に引っ越し、神奈川の保土ヶ谷に引っ越し、浦安に引っ越し、やがてマンションを1,900万円で買って江東区東陽町に居を構えました。11年住んだ後、不動産バブルの真っ盛りに高額の6,100万円で売り抜けて現在の川崎市高津区久末に落ち着きました。このマンションにはもう32年も住んでいますね。

45年分を思い出すといくつも書くことが出てくるのですが、それはきりがないので止めることにしましょう。

人生の長さについてちょっと書いてみようかなと思い始めました。45年の結婚生活というのは、そもそも結婚したのが23歳と早かったので、必然的に無事に過ごせば68歳の現在で45年の経緯があったわけです。ですから、私と同じ年齢の方でも45年という方は少ないのでは?と考えます。そして5年後は「金婚式」です。世のご夫婦で「金婚式」を無事に迎えられる方はなかなかいらっしゃいませんよね。私は73歳でそれを迎え撃つのです(撃たなくてもいいですがね)特筆すべきはその先です。実は私の母は今年93歳になりました。まだまだ元気で一人暮らししています。医師は「100歳まで確実にいけますよ」というくらいです。ということは、わたしが「金婚式」を迎えるとき、実母は98歳で元気にしている可能性が高いということなのです。これって素晴らしいですよね?

母親は64歳のときに、夫を癌で亡くしました。40年ほどの結婚生活でした。自分たちが迎えることがなかった「金婚式」を息子が迎えるのはとても楽しみなのではないでしょうか?私も今のところ健康状態は程々で、昨年発覚した糖尿病も、生活習慣の改善でほぼ健康な体に戻りましたので、無理しない健康的な生活と食事・程度な運動でこの先大病をしなければなんとかその日まで持ちそうな気がしてきました。

父が67歳で亡くなったので、私の寿命もそのくらいかなと漠然と思っていた時期がありました。それが68歳になってみると「もう少し行けるのでは?」と欲が出てきましたよ。これにはもう一つ理由があって、一年前までは夫婦二人だけで生活していたのですが、昨年秋から孫3人も一緒に生活するようになりました。すると毎日「孫の世話」という作業が増えてきたのです。妻に任せているだけでは対応できないので、必然的に「幼稚園のお迎え」に行ったり「牛乳が切れたから」とドラッグストアへ買い出しに行ったりと、時間が取られるようになりました。

体を動かす必然性が増えたのですよ。歩くことが全く苦痛ではなくなっています。しかし反面、文章を書く時間がほぼまとまって取れなくなってしまいました。このページの更新が遅れ気味なのもそれがあるからです。もちろんネタ不足も否めないのですが。以前は、就寝前の2時間ぐらいで更新ネタを書いていたのですが、それすらなかなか寝ない孫たちに翻弄されてね。

そして気づくのです。私は自分の子供を育てた記憶がないのです。一緒に遊んだ記憶も殆どないのです。娘には悪いのですが、あの時代に仕事まみれで毎日付き合いなどで深夜帰宅を繰り返していました。ロケによる海外出張でしばらく不在になることも頻繁でした。やっと取得できた夏休みの初日の朝に会社からの電話でその日にアメリカへ行かされたもあります。今考えればブラック企業そのものですよね。


そんな業界の理不尽さに耐え続け、なんとか一部上場会社の役員にまでなって、その次にやってきたのは「うつ病」でした。54歳のとき発病し、55歳は我慢しながら働き続けましたが56歳はついに休職し「自宅療養」の一年間になってしまいました。この休職期間が私の人生を変えたようです。

一年間時間をやるから好きなことをしていいよ!と言われたようなものです。しかも傷病手当付きですから収入はある程度確保できました。

此処から先は詳しく今回は書くつもりはありません。時間というものが入手できたときにどうするか?という問題です。私はたまたまやりたかったことがあったので、その時間を使って研究追求してみただけです。人生において1年間もそんな時間を提供されるチャンスはまずないですよね?68年間の人生、45年間の結婚生活。そんな中での空白の1年間が私にもたらされたのですよ。「うつ病」によってね。

そして空白の一年間が私の人生を変え前進させたと。そして今、孫たちが私の中に別の感覚をもたらし始めています。人が成長していく過程を再認識させるということ。自分の子供では味わえなかった感覚があります。日々煩いけれどある瞬間に「面白い!」と思える出来事が日々降ってきます。これもまた人生経験としてありがたいことではないのか?と思うようになりました。

5年後に彼らがどうなっているのか?そして私達はその時どうしているのか?2020年の激動で先が全く見えなくなっていますが、しっかり見届けましょうかね。


本日の結論
生きることは死に向かうことだと体感し始めました!

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