吉永的映画談

2020年07月25日  知識と記憶に刺さり!


長い間観ることがなかった映画だった。


「私が人生で二度だけすれ違った」

昨日、朝から作業をしながら映画「キューポラのある街」を観ました。片手間に観ていたように思えますが、じっくりと観ていましたね。それはなぜか?これは1962年の作品で私が10歳の頃の映画です。当時から吉永小百合主演映画で有名でした。今でも「キューポラのある街」は記憶に残る吉永小百合主演としてよく紹介されていますよね。

しかし、1962年当時の私はまだ小学4年生でした。子供向けの映画くらいしか観ることはありませんでした。そのまま成人して、すっかりこの映画を見る機会を失ってしまいました。まあ、もともと観たいとも思っていなかった映画なので気にもしていませんでしたが。

今までこの映画を観たことがなかったので、映画の内容云々の前にこの写真やポスターのおかげでずっと「キューポラのある街」は吉永小百合と浜田光夫の青春恋愛ものだとばっかり思っていました。この二人のコンビ映画はたくさん作られましたからね。「愛と死をみつめて」とかね。こちらはかつてテレビで放映されたときに観た記憶があります。実話をもとにした悲恋物でしたね。

そして長年「キューポラのある街」というタイトルだけが私の記憶の中に棲み着いていたました。観たいという欲求があったわけでもなく、なんとなくタイトルだけが心のどこかに引っ掛かっていたのです。そして昨日のこと。仕事をしながらBGM代わりに目の前のiMacに映画を映し出していました。日本映画を観たい日だったのでしょうね、一本観たあとさらにもう一本何にするか探していたところ「キューポラのある街」のタイトルが目に入ったのです。この際だからとクリックしてみました。モノクロのあの時代の映画の雰囲気がちょっと嫌な感じを掻き立てましたが、最後まで見てみようとそのまま続けました。もちろん作業を続けながらですよ。

埼玉県川口市が映画の舞台。「キューポラ」というのは鋳物工場の煙突のこと。鋳物工場が多い街だったのです。今もそのようですね。ざっくり書くと「貧困と北朝鮮帰還事業」の話です。吉永小百合(当時17歳)扮する「ジュン」は高校生役だと思っていましたが、中学3年生の役でした。年齢的に見た目がちょっと苦しい設定のような気がしました。気になったのは、ジュンがパチンコ屋でアルバイトするシーン。女子中学生を働かせるパチンコ屋は当時あったのか?もっとも、ジュンの同級生で朝鮮人の友達が先に働いていたのですがね。そうか・・・パチンコ屋の経営者は・・・なるほど。

高校への進学をどうするのか?が主人公を取り巻くテーマになっています。そこに絡む「北朝鮮帰還事業」それが始まったのは1959年12月。その3年後の話ですから、映画では当時のリアルな市民の対応が観られます。ジュンの友達家族が「北朝鮮帰還事業」で川口を離れていくことに・・・。当時としてはまだ「地獄への帰還」だと知られていない時代の話。「この世の天国」と喧伝され送り出された人々は9万人以上と聞いています。NHKと朝日新聞が当時「この世の天国」と掻き立て煽ったのですよ。北朝鮮を目指す家族はみんなから祝福されて送り出されているように見えました。

この映画の中でも「チョウセン」とからかう言葉が何度も出てきます。彼らは貧困と蔑みの中で耐えきれず「北朝鮮帰還事業」へ乗ったのでしょうね。私が育った環境の中でのさまざまな出来事や人々のことを思い浮かべながら観ていましたが記憶がちょっと脳裏に刺さり、辛い映画でもありました。おそらく10歳当時の私が観ても当時は理解できない映画だったと思いますね。

ジュンの弟が鳩を育て雛を売る小遣い稼ぎをしていました。1962年当時はそれは私の田舎でもありふれた行為でした。鳩を飼っていた少年は多かったですね。その弟の子分に朝鮮人の少年がいました。あだ名で「ハイゴマ」と呼ばれていました。これは私も当時知った鳩の種類の名前です。他には「ニビキ」なんてのもありましたね。

映画の内容はこれ以上細かく書く気にはならないので、吉永小百合について書きましょう。あれは1974年だったと思いますが、私が初めて大きな仕事を任されて砧の東宝撮影所に大きなセットを組んだ撮影の時でした。用事があり、撮影所の事務所へ行ったときにすぐ横の食堂に吉永小百合がいました。当時28歳でしたかね。その気品ある美しさに一瞬見とれました。私の撮影現場に来ていたクライアントたちが騒ぎ出し、色紙やサインペンを用意するはめに。その先は記憶が定かではありませんがね。

吉永小百合に二回目に遭遇したのは赤坂でした。広告代理店の東急エージェンシーからの帰り道、赤坂見附駅に向かうとき坂を登って来る彼女とすれ違いました。当時の彼女は40歳。まだまだ美しい盛りでしたね。それ以降は全くすれ違うこともなく、仕事でお会いすることもなく今に至っています。ちなみに、私自身は彼女のファンだったわけではなく、単に私の人生で二度すれ違った人という感覚です。

人生は不思議ですね。普段は何一つ接点を持たない私が人生で二度だけすれ違ったのを覚えているというのは・・・やはり吉永小百合にスターのオーラがあったからなのでしょうね。(敬称略で書いていますがお許しください)




本日の結論
観終わって何故か苛立ってしまったのは、あの帰還事業の正体を知っているからなんだろうね!

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