本年的初更新

2020年01月05日 宗教心はどうなのだろうか!

初詣は一応済ませましたが・・・。 


「いったい誰に向かって願うのだ?」

取り立てて新たな気持になったとか、大きな希望が湧いてきたとかそんな大それた事は何一つなく、三が日には妻と散歩がてらブラブラと神社2か所とお寺の両方に初詣してきました。と言っても当家から徒歩で30分以内に行けるのですがね。

信心に関しては全く疎くて、日本人にありがちな「風情だから参拝する」という感じですが、ただひたすら家族の無事を願うだけです。私の父の実家は本来「浄土真宗」の檀家だったようですが、次男だった父の代になってからは全く宗教観はなくなり、いわゆる「無宗教」であったと感じています。日本の田舎の生活ではそれでも、仏教や神道がなにかと絡んできますよね。父はソレは成り行きの儀式として付き合うだけで実際に信心しているわけではなかったのですよ。私自身もそうでした。

そして先日、宗教に関する面白い話を読みました。宗教活動に対して考えもしなかった切り口で書いてありました。世界で一番の宗教国家は「日本」であるという考察です。その考え方の根拠は、例えばアメリカはかなりの宗教国家ですよね。毎週日曜日は協会に行くという生活。(今はそうでもないようですが)そしてイスラム圏では一日5回礼拝が必要なこと。これらは「神に対する自己アピールである」というのです。そこまでしないと自分自身の信仰をキープできないとね。

ところが、日本では日常的にそんな行為は一切しない「無宗教風」なのに新年になれば国全体が神社に初詣したり、寺院にお参りしたりと。つまり、日頃は全く「神にアピール」する必要がなく意識しないくらい生活に宗教が浸透しきっているというのですよ。言われてみればそんな気もしますがね。神道に関しては確かにそんな感覚があります。日本人の精神構造の根底に静かに横たわっている感じとでもいいますかね。国民全体が醸し出す「国民性」の一端にそれがあるのではと感じます。神道では「聖典」などの文書は存在しませんし、特定の「神」と崇める存在もありません。あえていえば「自然」がその対象です。つまり日本人の生活そのものが宗教であると。

食事の前に「いただきます」と無意識のうちにつぶやいていることや、拾い物をすると躊躇なく交番に届ける行為は、それらが長年に渡り親から子へ自然に伝えられてきている行為ですよね。これらは誰も宗教に基づいていると考えているわけではありませんが「生活そのものが宗教」という観点から見れば確かにそう思えます。大いなる指導者が居るわけでもないのに、その視点での振る舞いがいつの間にか出来るようになるのは、やはり国家神道の時代から連綿と続いてきた日本人の根底に流れる「無意識の意識」なのでしょうね。

私自身もなんら宗教に関わることはなく、無関心で生きてきましたがこの歳になるとなんとなく「神道」の影響を受けているのだろうなとの実感がありますよ。神道の儀式を見聞きすると、なんとなくですが身が引き締まる感がありますしね。
まだ本調子ではない本年の始まりですが、早くも本日ペダルを一個作りました。これが幸先の良いスタートであって欲しいと願うばかりですが「いったい誰に向かって願うのだ?」と宗教心を持たない自分にツッコミを入れたりしてね!



本日の結論
今年はやりたいことがいくつかありますが・・・果たして!

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