読了的朱記憶


2016年01月02日 清々しい正月に本を読む!


馬場マコト著 「朱の記憶 亀倉雄策伝」日経BP社刊


「他人には伝えようがない感情」

皆様あけましておめでとうございます!

今日は文体を変えてみたいと考えた。いつものごとく、飽きたら直ぐにやめてしまうだろうが、とにかく書かないことには始まらないので進めてみることにする。

昨年末12月29日から体調を崩し、3日間も寝込んでしまう大失態。風邪では無さそうだし、かと言ってノロでもなさそうだし、原因不明の体調不良。疲労の蓄積か?大晦日の午後になりようやく体調が戻り始め、元旦はすっきりと目覚めた。眩しい初日の出だ。有り難みさえ感じる陽光。そこでふと枕元においてあった本に目をやった。

友人の作家「馬場マコト」氏が昨年12月22日に日経BP社から出版した実録本である。「朱の記憶 亀倉雄策伝」この本を手掛けることに成った経緯は1年前のスタート時点で、すでに馬場マコトから知らされていたのだが、ようやくAmazonで手配して入手出来た。まずは私の知る事実関係を先に書いてから読み始めることにする。いつものごとく作家「馬場マコト」として書く場合は敬称略とすることをお許し頂きたい。

この本を読み始める前にまずこのタイトルにやられた。私の記憶に残るあの1964年東京オリンピックのエンブレム。まさに私自身にとっても「朱の記憶」そのものなのである。あのエンブレムをデザインしたのが亀倉雄策である。「1964年東京オリンピック エンブレム」には当時少年だった私にも明らかな日本としての誇りが感じられた。そして、この本が2015年に書かれたことも意味深い。記憶に新しい「2020年東京オリンピック エンブレム問題」が勃発し、その選考過程の不正が暴かれる事件にまで発展した。「2020年東京オリンピック エンブレム」が発表された際、私は落胆と不快感に見舞われた。誇りがどこにも感じられなかった。しかも選考委員の中に知人が居た・・・。

そのエンブレム問題が発覚する遙か前に「朱の記憶 亀倉雄策伝」の取材は始まり執筆が進められていた・・・。馬場マコトが「2020年東京オリンピック エンブレム」公募に加わろうと企画している際に気付かされた「亀倉雄策」の偉業と彼が日本に与えた多大なるデザインの概念。歴史の記録を純粋に「朱の記憶 亀倉雄策伝」として残そうとの行為であった。これはエンブレム問題が勃発したから書かれた本ではない。

私が最近面白いと思っていることは、歴史の視点が日々変化しているということ。我々が当たり前の史実としていた「卑怯な事をした日本軍・日本人」というポジションを日本人自身に植え付けるための教育が今となっては「多くはアメリカによる戦後日本へのプロパガンダ」であり「新聞社・放送局はそれに従い、今も続けられている」との指摘に、改めて様々な「昭和史」を探してみると腑に落ちることが多かった。もっと遡れば、坂本龍馬が何者であったのか?も面白い説が出ている。しかも根拠がかなり的確に述べられているので明治維新そのものの概念がひっくり返る説なのだが。

今までに、馬場マコトは多くの著作を世に出してきた。近年では「戦中三部作」と呼ばれる連作があった。私に深く刺さる連作だったが、それらの著作を読むにあたりひとつだけ今回と違う条件があった。それは「謹呈」だ。馬場マコトとの33年に渡る交流の中でいつしか私は彼の「著書謹呈対象」として定着していた。

作家から新刊の「謹呈」が届くという出来事の体験者は少ないはずだ。だが私にとって、この「謹呈」は初版本が無料で届けられるという単純な意味ではない。そこには必然的に受領者としての緊張感が伴う。「君はこの本をどう解釈する?さあ!読んでみろ!」と著者から喉元にナイフを突きつけられている感がある。一年掛けて綿密に取材し構築された文字の海の中にダイブさせられる感覚か?「謹呈」は読み手に覚悟を要求している気がしてならない。

今回もその「謹呈」を待っていたのだが、なかなか届かなかった。12月27日に馬場マコトと会ったのだが、当然、私がすでに読み終えていると思い込んでいた彼は、その際に私が一言も「朱の記憶 亀倉雄策伝」について語らなかったことに対し疑問を持ったようだ。「なぜ田辺はその事に触れたがらない?」その後、出版社に渡した謹呈リストから私の名前が抜けていたと馬場マコトからお詫びの連絡があった。詫びられることではない。すぐにAmazonで手配し、12月30日に入手しておいた。しかし、体調不良によりすぐに読み始めることが出来ず、2日間放置し続けた。「謹呈」と「購入」この違いは私の読後感に何をもたらすのか?気になる。

私が本を読む場合は、一気読了を基本としている。何時間かかろうが一冊丸ごと一気に読まなくては著者のダイナミズムを感じられないからだ。私の記憶、既成概念が如何に覆されるのか?楽しみだ! さあ、それでは「朱の記憶 亀倉雄策伝」を読み始めよう!だが・・・第一章を読み終えた時点で力尽きた。まだ体力は復活できていなかった。集中力に欠ける。ベッドに潜り込み体力の復活を待つ。

1月2日早朝6時に目覚めた。体調を確認。問題無さそうだ。枕元の「朱の記憶 亀倉雄策伝」を取り上げ読み進めた。同日10時16分読了。トータルで4時間30分ほどの読書タイムだった。


「朱の記憶 亀倉雄策伝」は私に緊張感をもたらした。幾つもの事実が・・・むしろ「史実」というべきだろうが自分の知る時代の流れと交錯し、ああアレはそういうことかと腑に落ちていった。遠い昔の伝記ではない。戦前から1997年までの亀倉雄策伝である。「朱の記憶 亀倉雄策伝」には、馬場マコトとともに広告業界で働いていた私にとって当時の光景を想起させる文章がちりばめられていた。私には「朱の記憶 亀倉雄策伝」に対しいわゆる書評は書けない。なぜなら、この本が持つ凄みは「馬場マコト」自身がその行間に埋められていたからだ。そこには私自身も微妙に加担していた気がする。

この物言いは分かりづらいかもしれないが、特に十二章以降には読み進めるほどに「馬場マコト」を感じざるを得なかった。ここに「朱の記憶 亀倉雄策伝」の厚みがある。実は、作家が取材して書いただけではない、作家自身が加担していた広告・デザインの世界で登場人物たちが複雑に絡み合っていた。ある程度馬場マコトとその状況を知っていた私は読み進めつつ更に行間を拾い集め続けた。

「朱の記憶 亀倉雄策伝」は「戦中三部作」の延長線上にある。しかし、それらと違って「殺気立った感」は薄かったが、もっと日本の現代史をあからさまにしている気がする。今までにここまでまとめられた「亀倉雄策伝」は存在しなかったという。馬場マコトが膨大な資料から「命をかけて拾い集めた事実」を紡ぎ合わせ、彼の経験と体験がそれをより強固につなぎあわせている感が強い。さらに、終盤になり私が知る人物たちも登場し、更に一緒に仕事をした方々も登場するに至って、歴史が私自身も包み込み始める。

私は読みながらこんなイメージを持った。

1970年以降の記述に関して、亀倉雄策の動きをムービーカメラで並走しつつドキュメンタリー撮影し続けていた馬場マコトが居た。そんな感が強かったのだ。コレはなんだろう?「講釈師、見てきたような嘘をつき」なのか?いや!そうではない。確かに馬場マコトは時代と並走していたのだ。

先程も書いたが、それほどに亀倉雄策を綴った文章の行間から馬場マコトが溢れていたのだ。原因については書かないが、馬場マコト自身の経歴がそうさせていると信じる。現実の著者を知る者だけが感じられるダイナミズムだろう。つまり、これは一般的書評には成り得ないってことだ。他人には伝えようがない感情だからだ。

亀倉雄策だけではない。池田勇人、土門拳、横尾忠則、浅葉克己、糸井重里、江副浩正、NTT、リクルート、いくつもの私が知る人物やキーワードが絡みあって私の感情を揺さぶった。その登場人物郡の中に馬場マコト自身が登場しても自然だなと思えたほどだ。しかし、これはヒッチコック映画ではない。亀倉雄策伝である。それはありえないが。

一つ疑問もある。亀倉雄策伝に馬場マコトが溢れてどうする?という私自身の感情の処理だ。これを是とするのか?否とするのか?だが、一般的読者にこの感情が生まれるはずもなく、是とするべきだと納得した。著者を知る者だけに生まれる贅沢な感情か?それとも私が単に馬場マコトの術中に嵌められただけなのか?読み終えた今ではそんなことはどうでもよい。二度ほど涙を浮かべた自分がそこに居たことだけが確かな現実だ。

「朱の記憶 亀倉雄策伝」デザインが好きなあなたにお勧めする。


本日の結論
名機と呼ばれたカメラ Nikon F は亀倉雄策がデザインしたものだ。
この本で初めて知った。1970年代当時、写真を志していた私には Nikon F が憧れのカメラだった。
今更ながら、手に入れたいと思ってしまった。

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