聖夜的記憶起


2014年12月25日  クリスマスの記憶を探ってみる・・・!



「子供がいない生活になると」

私が持っているクリスマスの一番古い記憶はなんでしょうか?少し記憶を掘り起こしてみましょう。まず思い浮かんだのは・・・今でもお菓子屋の店頭に並び続けている「クリスマスブーツ」に入ったお菓子ですね。サンタクロースからのプレゼントということではなくて、父がデパートで買ってくれました。まあ、私自身は幼い頃からサンタクロースを一度も信じていた時期はないのですがね。

幼い頃、私はカトリック系の幼稚園に通っていました。この時期に「イエスの誕生劇」をやった記憶があります。私の役は三賢人の一人。小道具として持たされたツボの口に貼ってあった銀紙が気になって、指を突っ込んで穴を開けた記憶が残っています。小道具ですから中身が入っているワケがなかったのですが・・・。

その次にある記憶は、クリスマスケーキです。小学一年生の頃に当家に電気釜が導入されました。その機能の一つに「スポンジケーキが焼ける」というのがあり、もちろん両親は嬉々としてちょっと硬めのスポンジケーキを焼きあげました。絞り金を購入し、アラザンも揃え、バタークリームも自作です。しかし・・・今なら生クリームを使うところですが、当時はバタークリームです。結構作るのが難しいんです。

父は、一生懸命ボールに入れたバターを泡立てようと頑張っていました。ですが、全く泡立たずいつまでたってもクリームが出来上がりませんでした。と、その時「室温が高すぎるのでは?」と気づいて、雪が吹き付ける縁側に出て泡立て作業を開始したところ、あっという間にクリムー状に固まってきて見事にバタークリームが完成!一気に絞り金でデコレーションを絞り出し無事にクリスマスケーキが出来上がりました。今となっては、どのようなデザインだったかはすっかり忘れましたが、自作のクリスマスケーキに喜んだことは確かですね。

私のクリスマスに対する確かな記憶はここまでです。これ以降は私にとって、特別なイベントではなくなったようです。そもそも、キリストの誕生日を祝うというのは、キリスト教信者の祝い事であって、無宗教の私にはなんら関係がないイベントです。もっとも、日本におけるクリスマスは商業ベースの単なるイベントがメインですから何をやってもいいんですけどね。

ただ、もう一つ考え方があって・・・日本は基本的に神道であり、そこには八百万の神がいるという考え方ですから、その八百万の神の中にキリストも含まれるとしたら・・・。なんてね。

クリスマスでキリスト教を味わい、除夜の鐘で仏教を味わい、元旦になれば神道を味わう。これが日本のこれから1週間の宗教行事のスケジュールですね。毎年言われることですが、こうなると日本人にとって各行事に対する宗教的意味合いはどこにあるのでしょう?信仰の自由は憲法でも保証されていますが、こう交錯するとそもそも宗教の定義が怪しくなりますが。マルチ宗教信者という立場を作れば良いだけですかね。

日本における宗教イベントの大半は信者以外のものにとって「商業行為」に巻き込まれているだけですね。恵方巻き → 海苔屋の企画、 バレンタインデーのチョコレート → 菓子メーカーの企画、 クリスマスケーキ → ケーキ屋の企画、ってことで徐々に浸透してやがて全国イベントになっていくと。知らず知らずのうちにハロウィンだって日本を席巻し始めましたから。

おっと、クリスマスから離れてしまいましたね。

当家のここ数年は、イタリアのクリスマスケーキである「パネトーネ」を買って楽しんでいます。コストコでクリスマス前になると販売を始めるので、数個まとめて買って知人に配ったりしていますよ。でも、今年のパネトーネは生産国が違ったようで、イマイチでしたね。値段は一緒なのに。やはり本場物にはかなわないってことですか。

最後に、昨日仕入れた知識で大笑いしたことを。

もし、サンタクロースが実在して、本当に世界中の子供にプレゼントを配りまくっているとしたら・・・「12月25日に人類は滅びている」という結論に達すると。理由は、それほどの高速でサンタクロースが飛び回ったら衝撃波が発生し、人が住んでいる地表面は必ず破壊され尽くされるはずであると。確かに!

子供がいない生活になると、途端にクリスマスはすっかり「普通の日」になってしまいますね!
 

本日の結論
ダイエット中なので、今年のケーキは控えめです!

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