季節的人恋感


2014年11月04日 今日も遠い記憶が蘇る!

たった1枚だけ残っている私のユニフォーム姿。


「藤田さんは随分前に」

秋が深まり、紅葉も輝きを増し「今は秋である!」とひんやりした風が主張してまいりました。毎年この季節になると感じることがあります。「人恋しい季節」であるとね。

母に逢いたいとか、亡くなった父に逢いたいとか、弟に逢いたいとか思っているわけではありません。親族以外で私と遠い日に関わりが有った方に、ふと再会したくなるのですよ。

今朝ふと逢いたくなった方は「藤田さん」でした。彼女は私がCM業界に就職してすぐに知った方でした。41年ほど前の出来事ですね。年齢的には私より5歳ほど上だったでしょうか。専門職の方でフリーのネガ編集がお仕事でした。当時のテレビコマーシャルはネガフィルムで撮影していました。仕上げの段階で、最終的にネガ編集という作業が必要です。

私が担当したCMの仕上げの段階で、ネガ編集に私はずっと立ち会ってそばで観察していました。本来なら立ち会わなくてもお任せで済む仕事でしたが、私はあえて立ち会っていました。その技術を盗みたかったのです。やがてその技術を私は身につけることになり、後年になりかなり役に立ちましたね。

ネガ編集の仕事は夜にやることが多く、毎日のように一緒に夕食を食べたり、深夜になると会社の車で藤田さんの自宅近所までお送りしていました。当時私は独身でしたがすでに妻と半同棲状態でした。藤田さんに対して恋愛感情は全くありませんでしたね。

私が就職して2年後に会社が野球部を設立しました。「AOIぎゃんぶらあず」というチーム名。チームロゴデザインは私がやりました。その旨を父に伝えたところ、すぐに父親から真新しいグローブが送られて来ました。私が運動らしい運動を全くやっていなかったのを知っていた父は、なんとなく嬉しくなったのでしょうね。会社から私にもすぐに真新しいユニフォームが支給され、数回試合に出たのですが・・・。いわゆるライパチくんでした。外野フライを3回落球して選手生命は絶たれました(絶たれたのかよ?)

その時、私に救いの手を差し伸べたのは「ネガ編集の藤田さん」でした。彼女はなんと「野球のスコア」をつける技術を持っていたのですよ。試合のたびに我がチームのスコアをつけてくれていた藤田さんに私は弟子入りし、マネージャー件スコアラーとして復活したのです。私らしい選択ではありましたがね。

やがて長い年月を経て平成に入り、CM業界はフィルムで撮影した後にビデオで仕上げる時代に突入しました。つまり「ネガ編集」の仕事が激減し、やがてほとんどなくなってしまったのです。20年ほど前でしょうかね。それをきっかけに「藤田さん」にお会いすることは無くなってしまいました。結婚され、お子様も産まれたと風の噂では知っていましたがね。

そして、それ以来毎年秋になるとなぜか藤田さんに逢いたいなと思うようになってしまいました。もちろん連絡先は知らずのまま。どこに住んでいるのか?も知りませんでした。時期は忘れましたが、ある日「東横線渋谷駅」で藤田さんのご主人にバッタリと出会いました。元々結婚前から私の知り合いだった方です。しかし、その際に連絡先を聞くこともなく挨拶だけを交わして通り過ぎてしまいました。

さらに時が過ぎ、数年前に知人から「藤田さんは随分前に癌で亡くなりましたよ」と知らされました。

お礼を述べることもできず、あのまま会わずじまいになってしまったことを悔いました。いくら逢いたいと思ってももう二度と逢えない方です。私の人生に大きく影響を及ぼした方でもあります。私も62歳になり、今もし会えるとしたら藤田さんは67歳になっているのですね。私の記憶の中では藤田さんは30代のままです。ちょっとヘレン・カーペンターに似た方でした。今日はそんな記憶が湧き上がってしまいましたよ。

ちなみに、藤田さんの写真を探しましたが残念ながら1枚も見つかりませんでした。私のユニフォーム姿は1枚だけ残っています。モノクロ写真ですが。この写真ではすでにスコアブックを膝に乗せていますね。この頃はまだタバコも吸っていたのですね。23歳頃の写真でしょうか。



本日の結論
秋になると、なぜ人恋しくなるんだろ?

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