他界的元上司


2014年10月01日 懐かしき方が他界。

3月1日に撮影された町井氏との最後の写真。


「今夜はちょっとだけ記憶を呼び戻して」

2014年10月01日 あの町井氏が他界されたと知りました・・・。

1年以上前に「膵臓がん」で入院されていました。その時点でご本人から余命半年と聞いていました。しかし、治療の結果余命が伸びたようで、3か月後には退院されていましたが・・・。

私が最後にお会いしたのは、今年の3月1日に「ワコちゃんを偲ぶ会」の会場でした。時折、体が痛いんだと言っていましたね。その会場からも早々と帰って行かれましたが。

私と町井氏との付き合いの始まりは、1973年8月に遡ります。私が「株式会社 葵プロモーション」に入社したその日でした。もう42年前の出来事なんですね。

とここまで書いて来て、この先を書くモチベーションが急に失せてきました。書き続けると、必然的に避けて通れない話がたくさんあるからです。

昨年夏、町井氏の病室にお見舞いに伺った際、町井氏からこういわれました。「田辺君が来てくれるとは思わなかった・・・ありがとう・・・君たちがいたから、業界で大手を振って歩き回れたんだよ。ありがとう・・・」そして涙を流し始めました。その後も、多くのお見舞客に対して「田辺君が来てくれた・・・」と嬉しそうに話していたと、他の方から後日知らされました。

私がお見舞いに来るはずが無いと、思い込んでいた町井氏だったのですよ。それは何故か?実は、町井氏と私には懐かしい暖かな思い出だけが有ったわけではありません。かなり複雑な関係や確執があったと申し上げておきましょう。

当初ここに至る過程を記憶に残る限り書いてみようかなとも思っていたのですが、今となってはもうどうでも良い事だと気付きました。私の記憶と町井氏の記憶がシンクロしていた事は確かですからね。一年前にお詫びの言葉も聞かせてもらったし・・・。それを他の方に読んでもらったところで、今更どうなるものでもないとね。

今夜はちょっとだけ記憶を呼び戻して、懐かしい日々と暖かかった記憶だけに想いを馳せてみましょうか。


本日の結論
やがて私も誰かの記憶の隅にコビリつく存在となるんでしょうね・・・!

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