五輪的懐古話

2013年09月08日 1964年カラーテレビの入手作戦は!


1964年10月10日 聖火台の後ろに突き出されたカメラが気になったなあ・・・。



「小学生を使った押し売りですからね」

本日早朝、2020年東京オリンピックが決定しましたね。まあ、いくつかの問題点は有るけれど2020年に無事に開催される事を望みつつ、楽しみに待つ事に致しましょう。ところで、開催日はどうなるんでしょうか?昨今はアメリカのテレビ事情に合わせて、7月〜8月に開催されているようですが、今年のような酷暑の夏になると東京では「外で運動しちゃダメ!」注意報が出てオリンピックもやれなくなりません?東京でやるなら、やはり1964年のように10月がいいんじゃないかな・・・。

で、1964年当時のドタバタについていろいろ思い出した事が有るんだけど・・・。その中で特に印象に残っているのは「カラーテレビ設置作戦」についてですね。ちなみには私はその年、小学6年生でした。

当時、まだ世の中はほとんどがモノクロテレビでした。当家もモノクロテレビ。しかし、1964年東京オリンピックは世界中にカラー生中継されました。そこで、私が通っていた小学校は授業の一環として、教室のテレビで東京オリンピックを観覧させようと企てました。

オリンピック期間の2週間は、2クラスに1台のカラーテレビを設置して2クラスがひとつの教室で観覧する作戦です。しかし、カラーテレビは学校に一台も無し。当時はとても高価な家電でした。でもどうにかして入手しなければなりません。当時は私が子供であった事も有って詳しい大人の事情は知らないのですが、今考えるととんでもない作戦が開始されたのです!



まず私たち生徒が知らされたのは「洗濯用洗剤を販売してください!」という学校からの指示でした。生徒は洗剤の箱を数個自宅に持ち帰り、近所の家々を回って売り歩くのです。生徒はその売上金を学校に提出し、学校側はその利益でカラーテレビ購入資金にしたのです。私の記憶だと、2箱もって帰り、1箱は自宅で購入し、もう1箱は近所のおばさんに事情を説明して買ってもらいました。

今から考えれば、小学生を使った押し売りですからね・・・。当時はよくもまあこんな作戦が成立したものです!しかし、その成果が有って私たち小学生は、連日カラーテレビで東京オリンピックを楽しむ事が出来ました。懐かしい記憶ですよ。

2020年に私は68歳になります。父が亡くなった年齢は67歳でした。さあ、私はどうなるんでしょ?それまで生き延びられるでしょうか?2020年にはもうギターペダルを作っていないだろうし、体さえ丈夫であれば年金生活者として 有り余った時間を使って、オリンピック競技の会場をいくつか覗きに行ってみたいですね。チケット入手は大変でしょうが・・・。


本日の結論
生き伸びて2020年に競技会場でお会いしましょう!

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