散歩的鬱生活

2012年07月12日 地井武男さんに感謝を捧げる!



「気になるその後である」

いやあ・・・実に大変な半年間でした。今年に入ってRobben騒ぎが起こり、同時にLarry騒ぎも起こり、ドタバタする日が続いていました。さらに、過労とストレスで突発性難聴になって入院したり、調子に乗って会社を興したりと一気にいろんなことが起こってね。一番大変だったのは、バックオーダーを処理するために毎日ペダルを作り続けるという作業だったのだが・・・・。それもようやく、7月12日の明け方に完了して一段落。これからしばらくはペダルの製作をユルユルと進めつつ、税理士との打ち合わせや、弁護士との打ち合わせが続きますなあ。と思っていたら、7月もまた次々にオーダーが・・・。

しばらく更新を放置しているので、書くべきネタも忘れてしまったりしているが、無理矢理思い出しつつ書いてみようか。

かなり出遅れ感がある話だが・・・。6月29日、地井武男さんが亡くなられた。非常に残念だ。私にとっては記憶に残る俳優さんだった。だが、その記憶は映画やテレビの芝居によってではなかったなあ。

私は7年前に鬱病を発症し1年間苦しんだ後、自殺願望があまりに強くなりすぎたため休職することにした。半年から1年程度の予定での自宅軟禁状態。ひたすら体を休めることを目的とし、2006年3月3日からその休職生活はスタートしたのだった。

朝目覚めると、鬱が襲ってくる。何も出来ず体も上手く動かせず、かろうじてベッドから起き上がり、リビングのソファーへと移動。そのままソファーに寝転がって天井を眺め、テレビをダラダラと見ていた。だがそのテレビも何一つ面白いと感じることは無かった。映像と音が無駄に流れてくるだけだった。虚無感の塊となった私は、将来への展望も何一つ考えられないまま無為に過ごすだけだった。

そんな生活が始まって1か月後の2006年4月3日。その番組は始まった「ちい散歩」特別なことは何も起こらない番組。俳優地井武男がただただ1時間ほど散歩している番組だった。だが、その演技ではない自然な感情表現が私には心地よかった。毎朝私に代わって地井武男氏が各地を散歩してくれるのだ。失意の中の私にとってこの番組は救いになったなあ。

いつか私もあのように散歩してみたいと思うようになり、半年後には私も毎日散歩出来るまでになった。それはやがて今に繋がり、長い助走の後に鬱からの脱出へと繋がったのだ。私が鬱から抜けきった今年になり、そろそろ地井武男氏にお礼状を出そうと考えた。そしてそれを書き始めた途端に地井武男氏は病気で番組を降板した。あら?どうしたのだ?と思っているうちに亡くなられたとの報道。私が書きかけていたお礼状はそのままお蔵入りとなった。

そのような理由により、私は地井武男氏にちょっと人生の借りがあるような気がするのだ。ありがとう。


もうひとつ別の気になる話を。

今年の4月に弾駆動をオーダーしてきた人物がいた。オーストラリア在住のギタリスト。しかし、私がオーダーメールを受けた取った後、まったく連絡が取れなくなった。そして1か月後、再びメールが届いた。

彼は、オーダーメールを出した直後に体調を崩し入院したのだと言う。そして1か月間の精密検査の結果、長くは生きられない重病に陥っていると医師に伝えられたそうだ。人生のカウントダウン状態。だが、正確な余命は分からない状況でもあると。さらに彼は言う。自分が生きていうるちに弾駆動を受け取って楽しみたいので、早く作って送ってくれないかと。

それから1週間後、私は弾駆動を発送した。彼は弾駆動を無事に受け取ったとメールを送ってくれたのだが、そのファーストインプレッションを送ってくれるとあったまま、2か月以上過ぎたがまだメールが届かない。さて、彼はどうなったのか?彼からのメールは再び届くのか? 気になるその後である。


本日の結論
この程度のネタしか書けない現在の私です!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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