帰宅的黄金週


2012年05月08日 ようやく帰宅して再スタート!


5月5日、宮崎のユーザー全員が集合。 左から藤川氏、大石氏、私、吉田氏。



「感謝の言葉を述べるしか出来ないが」

お待たせ!
宮崎での休暇を終えて、ようやく昨日夕方に帰宅。今朝も5時前に目覚めて、なんだか時間の感覚がまだ不安定な感じだね。もう少し睡眠時間を確保しないとイカンと思いつつも、やらなきゃならないことが山積みなので起きてしまった。

休暇中の出来事で、報告すべきことはたくさんありそうなのだが、以前と違ってもうそんなことはどうでもいいような気がしてきた。前年に比べて、のんびりと何もしない時間も多かったしね。体を休めに行ったのだから当たり前なのだが。でも、ちょっとだけ書いておこうか。

まずは、宮崎へ出発直前の出来事。
シャワーを浴びて、風呂から出てきた私の顔を見て妻が「ど〜したの!その顔は!」と驚いた様子。何があったのかと、手で両頬から顎にかけて触ってみたところ、何やら指先にブツブツとした感触が伝わってきた。鏡をのぞくと確かにニキビのようなものが大量に発生していた。何だこれは?

わたしは中学生時代からほとんどニキビが出来た記憶は無く、ずっと美肌であったのだ!それが突然!何が起こったのか・・・と、その時この現象の原因を思いついた。4月14日に退院したが、その頃薬の副作用でやたらに空腹感が強かった。そこで、買ってあった缶入りのピーナッツを日々ポリポリ頬張っていたのだ。あまり意識してはいなかったが、かなりの量を食べていたことは確かだ。大きな缶が空っぽになってしまったのだからね。

そしてそのピーナッツの祟りがついに4月25日朝に吹き出したというわけ。今日の段階ではかなり枯れてきたが、まだまだその跡が痛々しく残っている。ブラマヨの吉田の様にならないことを祈るのみである!

さらに4月25日午後に帰省して最初の夜に、それは起こった。
宮崎空港に到着したときから小雨が降っていてがっかりしたのだが、夜になりその雨は本格的な大雨となり、風も出てきてちょっとした嵐になった。24時頃に就寝したのだが、なにやら庭の方でドタバタと、人が駆け回るような物音がし始めた。かといって人の様でもない。バタバタ、ゴトゴト、バシバシとかなりの音量だった。いったい何が起こっているのだ?

ただでさえ薬の副作用で眠りが浅いというのに、この物音では全く眠ることが出来ず朝を迎えた。起き抜けに、騒音の原因を探しに行ってみると、隣家に立てられたどでかい鯉のぼりと、幟旗が風に煽られてバタバタと騒音をまき散らしていたのだ。強風が吹いていたので一晩中それが続いていたのだ。

このままでは私はずっと眠ることが出来ない。母は、最近とみに耳が遠くなっているので、あまり気にならないようだ。そういうことで、母には悪いが私は実家を脱出することにした。車で5分ほどの距離に住む実弟の家に移るのだ。実弟の家ならwifi も完備しているので、通信環境が確保出来るしね。4月26日から5月7日朝までずっと実弟の家に世話になった。

宮崎では、帰省するたびに中学時代からの親友である福浦氏が車で私を連れ出してくれるのだ。今回は、フローランテ宮崎と高千穂峡に連れて行ってもらった。フローランテ宮崎は簡単に言えば花をメインとした植物園だ。広い敷地内に、花々が咲き乱れ、芝生では子供達が走り回り、家族が弁当を楽しんでいた。園内には無粋な音楽が流されることも無く、売店乱立なんてこともなく、商業主義に走らず静かで穏やかな場所なのだ。



宮崎の公園の特徴は広い芝生だ。遊具を乱立させるような余計なことをせず、ひたすら広いグリーンの広場が確保してある。そこに一握りの人しか遊んでいない。しかも行く先々でこのような公園に出くわすのだ。何もしない贅沢な空間がとてもうらやましく感じられる。



この日行ったもうひとつの場所は「平和台公園」宮崎市が一望に見渡せる丘の上にある。私のお気に入りの公園なのだが、久々に行ってみて驚いた。木々が生長し葉が生い茂り視界を遮って、宮崎市の一望が出来なくなっていたのだ。実に残念だ。



この日実家に戻って母に「平和台公園に行ったがもう宮崎が一望出来なくなっていた」と話したところ、母から面白い話が飛び出してきた。この公園は1940年に完成したものだが、当時女学生であった母はその際に動員され、後ろに見えている塔の材料である石を運んだのだと言う。今年84歳の母の歴史が、こんなところに刻まれていたとは!

5月1日に、Mr. Richard Thompson からメールが届いた。4月14日に楽屋で会ったとき 「弾駆動の感想をメールで送ってね!」と伝えておいたのだ。そして2週間後、その感想が届けられた。

Dear Toshi,

The pedal is wonderful. Great sound and very versatile. I will send some pics when I use it on stage.

Many thanks,

Richard

彼はとても気に入ってくれたようだね。ステージで使っている写真を送ると書いているし。楽しみに待つことにしよう!さらに、この件をMr. Henry Kaiser に知らせたところ、Henry から以下のようなメール返ってきた。

YES he told me that last week
it is the first time I have ever seen him excited about a pedal!

how are your ears now?

Richard は私に知らせる前すでに、Henry に感想を述べていたんだね。しかもかなり昔からの親友であるHenry でさえ、Richard がペダルについて熱く語っているのを初めて経験したようだし。かなり気に入ってくれたのは確かなようだね。

5月1日から2日にかけて、私は熊本に行った。これまた学生時代からの親友である奥田氏の顔を見に行ったのだ。彼が自分の手で立てたログハウスの自宅を見たかったという理由もあったのだが。落ち着いた郊外の住宅地にそれはあった。すぐそばに自然公園もあり、緑が多くて安らげる感じだ。奥田氏のログハウスで一晩世話になり、翌朝は近所の自然公園を散歩した。ほとんど手を加えていない雑木林にある散歩道を30分ほど歩いた。森林浴が気持ちよかったなあ。



5月4日早朝6時、念願の高千穂峡へ福浦氏の車で向かった。宮崎出身でありながら、今まで一度も足を踏み入れたことが無かったのだ。福浦氏の提案で、ちょっと遠回りして他の観光地にも寄って行くことにした。まずは西米良に向かい、そこから険しい山道を登りついた先は「椎葉村」平家の落人伝説で有名な村だ。ここもまた私が今まで一度も訪れたことが無い場所だった。貴重な体験となったなあ。


移動の途中に出会った清流。実に気持ちよい空間だった!


早朝からのハードなドライブの途中、仮眠中の福浦氏。

椎葉村の旅館で昼食にしたが、その際に大笑いのメニューがあった。「ざるそば定食」ざるそばと何がセットになるのか聞くと「握り飯がついています」と返ってきた。ざるそば+握り飯・・・でんぷん+でんぷん・・・話のネタに迷わず注文してみた。ワラビの小鉢はついていたが、確かに「ざるそば+握り飯」の定食だった。あまりの状況に写真を撮り忘れたことが悔やまれる!

3時頃になりようやく高千穂峡に到着。そこで新たなる事実が。混雑していたため、かなり離れた駐車場へ誘導されたのだが、そこから目指す場所まで遠いこと。距離もそうだが、谷底まで降りて行く階段も急で体力を使う。往復するとかなりヘロヘロとなり、膝が笑う結果となった。当然翌日はふくらはぎが筋肉痛。

高千穂峡は写真で紹介されているのを見ると、いつも同じアングルからの写真である。それは何故なのか?現場に行って判明した。そのアングルしか見るべきものが無いのだ。なるほどね。以下の画像がそのポイントで撮影したものだ。もうちょっと左のアングルに行きたかったがね。



5月5日は、宮崎の弾駆動、禅駆動、ユーザー全員が集まってくれた。市内にあるライブハウスSOHOで、彼らがライブをやるというのでそこに私が出かけたのだ。実弟家族と福浦氏も誘って出かけた。宮崎でライブハウスに行くのは初めての経験だった。音楽ファンがセッションをする為に集まる店だね。楽しいひとときを過ごせたなあ。



今回もまた、多くの人々に支えられて過ごした2週間だった。まだ完全な体調に戻り切ってはいない感じだが、なんとか普通の暮らしが出来るようになっている。お世話になった皆様には感謝の言葉を述べるしか出来ないが、また帰省した際にはお会いするのを楽しみにしている。

特に、突然転がり込んだことであれこれご迷惑をおかけした実弟とご家族の皆様へ、暖かく対応していただいてひたすら感謝するばかりである!ありがとう!


本日の結論
休暇なんて、あっという間に終わってしまう!

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