読了的暮手帳

2011年09月16日 謹呈本を即日読了!


馬場マコト著 白水社刊


「それを私は否定できるのでしょうか?」


馬場マコト氏は取材旅行に出た後、執筆活動にずっと集中していたのでしょうね。昨年11月17日に彼との連絡が途絶えてから10か月が過ぎた9月15日昼に、突然その本が届きました。馬場マコト著「花森安治の青春」白水社刊。昼食後の13時過ぎから読み始め、18時までかけて一気に読み続けました。本は映画と同じで、いったんスタートすると最後まで一気に読了しないと、気持ち悪い私です。私なりに感じたことをダラダラと書いてみますが、書評とは違うので悪しからず。

まず、著者をご存じない方の為にちょっとだけご紹介を。

馬場マコト氏は、広告業界で活躍されています。かつて馬場氏は広告代理店のクリエイティブ・ディレクター。私はCMプロダクションのプロデューサーという関係でした。私が一番楽しかった広告業界時代の仕事相手でした。あのバブル真っ盛りの頃、様々な仕事で面白い体験を一緒にしましたよ。

そして、馬場マコト氏は作家でもありました。小説家、ノンフィクション作家も広告の仕事と平行して活躍されています。人物像を詳しくお知りになりたい方はこちらでお読みください。。

さて「花森安治の青春」を読み終えて、私自身の記憶と経験から想起させられることは沢山ありました。まず感じたのは、前作の「戦争と広告」が書かれた時点で、この「花森安治の青春」の構想がすでにスタートし始めていたという事実からして、この2冊をセットとして読むと、戦前、戦中、戦後に渡る広告・出版の時代背景が分かりやすく見えてくること。「戦争と広告」の中で描かれていた「花森安治」の存在をさらに拡大して、彼の全貌を描いたのが「花森安治の青春」ですね。

では「花森安治」とはナニモノか?私は中学生の頃から「暮しの手帖」の編集長としてその名前を知っていました。母がずっと「暮しの手帖」を購読していたので、本好きの私は当然の様にそれを読み続けていたのです。ただかつて私の知っていた「花森安治」の人物像は、スカートを着用したおっさんとか、広告を掲載しない編集方針程度でした。

私が少年の頃読んでいた「暮しの手帖」は、様々な電気製品を複数メーカーで対比し性能比較をしていました。それは、男子でも充分に面白い読み物として存在していました。もちろん、様々なコラムや読者の手記も面白く読んでいました。高校を卒業すると同時にもう読まなくなりましたがね。

「花森安治の青春」を読むと、いくつかの経験値があると内容が理解しやすいと感じました。まず「暮しの手帖」をある程度の期間読み続けた経験があること。さらに広告や出版の業界に身を置いた経験があること。そして、三島由紀夫の割腹、浅間山荘事件などをリアルタイムで知っていること。つまり、体感した時代性を自分の肌で知っているとその時代性と対比して読み進めることが出来るんですよね。逆にそれらの経験を全く持たない者が読んだ場合、どう感じるのか?気になるところです。

戦前、戦中の時代を私は知りません。1952年(昭和27年)生まれの私は物心ついたのが、1960年頃ですから「花森安治の青春」の中では十章あるうちの最終章の時代経験しかありません。しかし、たったそれだけのことでも想起できることは沢山あったのです。少年時代の記憶の奔流。

例えば、母はどのような思いで「暮しの手帖」を購読し続けていたのでしょう?母は裁縫が得意で、私が子供の頃ミシンで様々な服を作って着せてくれました。きっと、その中には「暮しの手帖」で身につけた知識もあったのではないでしょうか?先ほど書いた時代性の経験値とはこのようなことも指します。「暮しの手帖」が生まれた背景と、その時代にその情報を必要とした私の母の存在。これらが「女性の為の出版」を目指した「花森安治の青春」のリアリティーを醸し出します。

この本の中に何度も出てくる言葉。「あなたが生きられるだけ 私も生きたい」戦時中に花森安治が従軍手帳にメモした言葉です。従軍中の悲惨な経験が書かせた言葉ですね。ところが、この文を読んだ時に私が想起した言葉は、全く逆発想の言葉でした。「どうせ死んじゃうんだから!」これは、元オフコースのベースだった清水仁氏がライブの時に発する言葉です。「だから、今を生きて楽しめ!」という意味ですね。私にとっては全く同義語です。

馬場マコト氏は、前作「戦争と広告」のあとがき中で「自分は戦時広告に加担するのか?」と問いかけ「求められれば間違いなく戦時広告を作る。それが広告屋の業」と書いています。「広告屋の業」とは何でしょうか?目の前に仕事があれば、クライアントの為にベストを尽くす事ですね。依頼者が「悪人」であろうとベストを尽くす弁護士と同じことです。「求められれば間違いなく戦時広告を作る」の部分だけを取り上げて「広告屋の勝手な言い草」と吐き捨てる様に書いているWEB上の書評が多々見受けられました。文脈が読めない人々。でも私の視点は違っていました。「だから戦争を起こしてはならない」こちらを主語として扱うべきです。そしてそんな評価をした人々に対しての馬場マコト氏の回答が「花森安治の青春」であったと感じます。



戦争がもたらしたものは何だったのか?そして戦争がもたらすものは何なのか?「花森安治の青春」はノンフィクション反戦本です。その根幹は「戦争と広告」と同じ。戦争に行かなかった私は、父から聞いた話と重なりあう内容に涙するのです。つまり戦争を実体験したことの無い私は、これらの本によって反戦意識を確固たるものにする為に、戦争を追体験をするしかないわけです。父は軍隊の暴力性について強く嫌悪していました。そして、戦争は絶対に嫌だと。花森安治の軍隊体験の中に、父も語った同じ光景がありました。「1銭5厘の赤紙」で集められ使い捨てされる人生。

かつて私は、テレビコマーシャルのプロデューサーをやっていました。その際に自分の中で決して加担しないと決めていたスポーサーがいました。「たばこ」と「原発」がそれです。もしこれらの仕事で声がかかったら私は断るつもりでした。しかし幸いなことに、私が現役引退するまでにこの2つの仕事が来ることはありませんでした。これは、断ることで命が取られることも無い平時だから言えること。

もし、戦争中に「戦時広告のプロデュース」を軍部から依頼されたら、それを私は否定できたのでしょうか?決して出来ないはずです。しかし、これは「広告屋の業」とは違います。国家がそれを要求するのなら、加担せざるを得ない・・・。今の時代に、これらの本を読んで「戦争が起きても私は絶対加担しない」と読者が言い張るのは勝手ですが、それは国家権力に対する想像力の欠如でしょう。

今ふと思うことは・・・。実はこの本は私ではなく私の母が読むべき本ではないのでしょうか?戦前、戦中、戦後、を経験し「暮しの手帖」を愛読していた母が、その本の編集長の人生をどのように解釈して読むのか?そして「暮しの手帖」誕生の裏側にあった事実を、2011年の今になって知ることになる。母の反応がどのようなものかとても興味があります。

とりとめの無い内容になっているので、そろそろ書くのを止めますが、もうひとつ気になったことがありました。馬場マコト氏は「花森安治の青春」で花森安治の足跡を追い、その編集者としての人生の明暗を詳らかにしました。では、私が死んでしまった時、誰かが私の人生を追うことは可能なのでしょうか?そんなことも思わせてくれる本でした。


本日の結論
暮しの手帖本社玄関に行ってみたい気にさせる本です。

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