贈呈的写真集

2011年09月04日 Photo Book が楽しくなって来て!


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「それは濃密な3日間でした」

今を去ること2年9か月前、2008年12月のこと。突然飛び込んで来たオーダーメールの主は Henry Kaiser と名乗るプロギタリストでした。日本にも25回以上来たことがあると言っていました。当時、私は彼がナニモノであるか全く知らぬまま、何度かメールをやり取りし、面白いおっさんだなあと思っていました。オーダーされたペダルを作りつつ、念のためにスーパーギタリスト是永巧一氏に問い合わせると、グレートなセレブギタリストであると判明しました。

伝説のギターアンプ DUMBLE を世に広めたのが、この Henry だと言うのです。その後、自分でもあれこれ調べて行くうちに、グラミー賞も受賞しているかなり有名人であることを理解しました。さらに水中撮影の権威でもあるとね。かつて若い頃に、日本に長期滞在して映画製作にもかかわったと後になり知りました。勝新太郎にかわいがられたそうです。以下の画像は、彼が最初に送ってくれたもの。笑えます。



そんな Henry は私の作った禅駆動をとても気に入ってくれました。やがて弾駆動もオーダーがありましたので、その際に彼の為に開発した「燦駆動」プロトタイプも送りつけてみました。彼はとても喜んでくれてサンプル演奏の画像を送ってくれました。さらに驚くことに、その直後彼は「Guitar Player 誌」にレビューを書くので、サンプル機を編集部に送って!」と連絡して来たのです。

2009年9月末、私は突然会社を辞める決意をしました。不景気による経費削減の一環として自主的に退社を申し出たのです。もう一つの理由は、その時点で4年半も苦しんでいた鬱病がなかなか抜けてくれなかったからです。組織の中にいる限りストレスはつきまといます。組織から離れなければ、私は鬱から離脱できないと信じての離職でした。

勤め人を辞めてしまえば、24時間が自分の自由時間となります。自由はあるが金はない。そんな生活になりましたが、なんとかして Henry に会いに行きたいと思い続けていました。さらに、LA には Howard Leese や Paul Jackson, Jr.も住んでいます。どうやれば彼らに会いに行けるんだろう?そう思うことが楽しくもあり、彼らとのメールによる交流は、鬱にとってはとても良い薬となりました。

2010年2月にようやく「Guitar Player 誌」は出版され、それを読んだ Howard Leese からオーダーが来る展開になってきました。驚きです。彼らとのメールのやり取りは楽しく、すっかり友達になってしまいました。そうこうするうちに、彼らに会ってみたいとの思いが沸き上がってきました。彼らも友達であると言ってくれたのだから、会いに行きたいと伝えればなんとかしてくれるだろうと淡い期待を抱いていたのです。

やがて2010年5月、私の鬱がほとんど抜けた頃に娘が結婚し籍を入れました。当時、娘夫婦はハワイで二人っきりで結婚式を挙げる計画を練っていました。ところが、それを聞いた私は「どうせ海外に行くならラスベガスはどう?その方が、きっと楽しいはず!」とケシカケてみました。その発言が功を奏し、ラスベガスでの結婚式が決定!私と妻、それに私の母も同行することにしました。

そして!エアチケットの手配をしている時に気付いたのです!「この便は LA 経由ぢゃん!」ということは、帰り道にLAで数日滞在して、私が会いたいと願っていたギタリスト達に会えるかもしれない!そう考えたのです。私たちのスケジュールを伝えて、ギタリスト達に「会いに行ってもいいですか?」と問い合わせしたところ、全員が「どうぞ、家に遊びに来てください!」と応えてくれたのです。それからの私は、シカゴの綿貫さんとLAのHIROさんのご協力も得ながら、会いたかった全員に会えるよう綿密にスケジュールを組み上げました。

2010年9月2日。私たちはラスベガスへ向けて出発。9月3日結婚式。その後は8日まで遊び、9月9日LAへ移動しました。その日に Paul Jackson, Jr. の招待で指定されたレストランへ綿貫さんと向かいました。夢のような2時間が楽しめました。

2010年9月10日。Henry Kaiser はわざわざサンフランシスコから車を飛ばして会いに来てくれました。しかも、彼の親友であるMatt Groening の豪邸でのランチに招待されたのです。さらに Henry は多くのギターとともに、DUMBLEアンプを2台持って来てくれました。弾きたい放題の状態です。極めつけは、一度に会える様にと Howard Leese もランチに呼んでいてくれたのです。もう一人、Richard Thompson もランチに呼んでいました。彼もまたスーパーギタリストですね。奇跡のような時間はあっという間に過ぎて行きました。

長くなりましたが、これらの Henry のとてつもない心遣いが1年経った今頃になってジンワリとこみ上げて来たのです。そして、先月中旬に初めて知った iPhoto による Photo Book の製作方法で、なんとか Henry にその思いを伝えたいと考えました。私が人生で Henry に実際に会ったのは、LAで1日、昨年12月の来日の際に2日間のトータル3日間に過ぎません。しかし、それは濃密な3日間でした。その間に撮影した写真は沢山残っているはず。

手元に残っていた画像をかき集めて、Henry を主体とした Photo Book をプレゼントするのはどうだろうか?それで思いは伝わるだろうか?考えているより実際に作った方が早いと、2日間かけて写真をレイアウトし、英文を書き上げました。英文に自信が無かったので、シカゴの綿貫さんに添削をお願いしました。すると、ほぼアメリカ人化している娘さんがそれを引き受けてくれて、粋な言い回しに書き直してくれたのです。ありがたい!これでもう安心!堂々とHenry に渡せます。


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Photo Book を組んでいる際に知ったもうひとつの事実がありました。それは本として印刷するのではなく、PDFで書き出せばiPadではBookの様にブラウズできると言うのです。それであれば、印刷を発注して手元に届き、さらに Henry に届けるまでの時間が大幅に短縮できますね。PDFであれば、メール添付で送れますから。かくして、完成した Photo Book には「Oh! Henry! 2010」とタイトルを付けました。もちろんあの小説家の名前をもじって付けたタイトルですがね。そして、先週そのPDF写真集を Henry に送りました。

2日後、Henry からメールが届きました。

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TANABE-SAN!

domo arigato gozaimashita!

this is great to have
thank you so much!

these memories are surreal for me, too!

Next time in California I will take pictures of you and make a photobook for you!

best, Henry

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かなり喜んでくれたようですね。次回は、Henry が写真を撮って写真集を作ると言ってますが。チャレンジして良かったですよ。たった一人の為に写真集を造る行為は、自分自身が楽しくもあり、また相手がどのように喜んでくれるかとの反応も楽しみです。さらにPDFで作る場合は、変更が何度も出来るので、納得できるまで作り込みをやり直せます。意外に印刷してから「あああ・・・ここ間違っているし・・・」と気付くことも多いんですよね。

これからは機会があるごとに、写真を沢山撮って Photo Book を作りプレゼントするという新しい遊びを見つけてしまいました。原価はほとんど掛からないので、今の私には嬉しい趣味ですね。さてと、次は誰をターゲットにしましょうかね!


本日の結論
そういやあ、私は元々カメラマンになりたかったんだよね!

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