再会的豪州者

2011年07月26日 ローマ字表記のメールが届き!



「2年ぶりの来日ですね!」

7月24日12時、ついにアナログ放送が終わって、地上デジタル波に切り替わりましたね。その瞬間をこの目で見ようと待ち構えていたのですが・・・。当家のテレビはCATVなので、地上波を観ようにもデジアナ変換されていて、切り替わり後も番組が見られることに気付いたんです!おっと!いけねえ!これじゃ歴史的瞬間を体感できないっす!

そこで思い出したのはカーナビのテレビ。先日地デジチューナーを取り付けたばかりですが、アナログのチャンネルは元のままだったのです!そこでアナログ停波の5分前に車に乗り込みアナログ放送をスイッチオン!その時が来るのを待ちました。そしてついに!12時になった瞬間、画面はブルーのアナログ放送終了お知らせ画面に切り替わりました。あああ・・・終わったか・・・。さらに深夜0時にはブルーの画面が砂嵐に変わって完全に停波しましたなあ。


アナログ放送の歴史は、私の人生そのものでした。1953年2月1日がテレビ放送の開始日です。私が産まれたのは1952年5月ですから、私が0歳児の時にテレビ放送が開始されたのです。5歳の時に東京タワーが完成し、当家にモノクロテレビが来たのは小学校3年生のとき。そしてカラーテレビが来たのは高校1年生のときでした。成長した私はその後東京に出て、1973年8月にテレビコマーシャル制作会社で働くことに。やがてテレビ技術は進化し、音声がステレオ化してコマーシャルの音もクリアになり表現が広がりましたね。

1980年頃に、NHKがハイビジョン(アナログ)を開発し発表会を開催。私は会社の代表としてハイビジョン発表会に送り込まれました。新しい技術に対して、私が社内で一番好奇心を持っているのを経営者は知っていたのですよ。そこで見せられた映像にタマゲました。私が欲しいと思っていたTVの画質がそこにあったのです!そして、もうひとつ驚きの出来事も有りました。


会場に入って一番前の椅子に座ったところ、直後に私に向き合って太った髭面の外国人おっさんが座ってきました。どこかで知っている顔だなあと考えていたらなんと!「フランシス・フォード・コッポラ」監督だったのです!「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」で高名な監督です。驚きましたなあ!彼はその後、撮影機材にハイビジョンを使って積極的に映画を作っていたのは有名ですね。

その後、最終的に日本が選択したのは「デジタル ハイビジョン」でした。近年のコンピュータやインターネットの発達により、デジタルへの路線変更は揺るぎないものとなりましたね。ちなみに「ハイビジョン」は日本独自の呼び方です。一般的には「HD」と表記しています。これは「High Definition」(高品位)の省略形です。

私はテレビCMプロデューサーとして長年働き続けました。2年前に業界から足を洗ってしまいましたので、現場でアナログ放送の終焉を観ることは出来ませんでしたが、カーナビのテレビでその瞬間を確認できたので満足ですよ。今は、なんだか自分の人生に一段落ついたような気分がしますね。

さて、本日の本題に移りましょうか(えっ?これから本題かよ!)

皆さんは、tj eckleberg という人物を覚えていらっしゃいますか?オースラリアのギタリスト兼シンガー兼振付師の彼です。3年ほど前にオーストラリアから初めて禅駆動をオーダーしてくれた方です。その直後、突然仕事で来日にすることになり、横浜で顔合わせをしてすっかり仲良くなりました。

その後も2回ほど、来日する度にお昼ご飯を食ベたりお茶を飲んだりして親交を深めて参りました。半年前から彼はドイツのベルリンに招かれてレコーディングの仕事をやり続けていました。それが一段落したら、今度は日本から招かれて先週来日したのです。そこでようやく自由時間が取れたので、私に会いたいと tj eckleberg から昨日メールが届きました。2年ぶりの来日ですね。

驚いたのは、tj のメールの文体でした。アルファベットの並びが何となく不自然だったので、よ〜く読むと「ローマ字表記の日本語」になっていたのです。英文と混在していましたが、かなり多くの単語が日本語でした。今ゆっくりと日本語の勉強をしている最中だとか。

2か月ほど前にベルリンから tj が Skype で連絡してきました。その際に、画面の端に映る女性がいました。アノ方は誰?と聞いたところお付合いしてい女性だと正直に答えてくれました。そしてその女性は日本人の方だったのです。なるほど!「外国語を習うならその国の女性とつき合うに限る」ということですね。今回は、tj の意思を尊重して、なるべく分かりやすい日本語を使って会話を楽しむことにいたしましょうか!

そういうことで、私は7月26日火曜日の正午に東横線「日吉駅」改札口で tj を待ち受けました。彼は滞在地の「大森」から電車でやってくるようです。過去2回も同じ場所での待ち合わせですから、全く問題無しです。で、ピッタリ12時に改札口に行ってみると、すでに tj はそこに立っていました!ベースボールキャップに少し無精ひげを蓄えてていました。

さてまずは昼飯としますか。なるべく日本ぽい食い物にしようと考えていたので、大戸屋ごはん処に入店。写真入りのメニューを前に何を食べたい?と tj に聞いたところ「あなたのお勧めは?」と返って来ました。当然の反応ですね。それを予測していましたのですぐに決定!前回は天丼でしたので、今回はカツ重にしました。

すると意外にも、tj は「カツ丼大好き!」と日本語で言い放ったのです。おおお!!!そうですかそうですか!それであればカツ重を2個オーダー致しましょう!料理が運ばれるまで iPad2 に入れておいた写真をたくさん見せながら積もる話を。やがてカツ重が運ばれて来ました。蓋をとって tj もニンマリとしていましたね!「

それを観ていたとなりのテーブルにいた老婦人が「あら!外人さんが丼物ですか!」と笑いながら驚いた様子。そこで「彼はカツ丼が大好きなんですよ!」と返しておきました。tj は「おいしい!おいしい!」を連発しながらバクバク平らげてしまいました。私も久々のかつ重に大満足でした。


その後は、スタバでコーヒーにしました。オーストラリア人はコーヒーが大好きだとか。今回彼はベルリンからやって来ました。ベルリンのコーヒー事情は最悪だそうです。おいしいコーヒーがないので、自分でスペシャルブレンドを作ってドリップで飲んでいるとか。そのご愛用コーヒーを私へのお土産に持ってきていただきました。私もお返しに、アルモノ(秘密)をプレゼント。彼は大喜びしていましたよ。


ベルリンの食事情も聞きましたが、これまた美味いものがほとんどないそうです。野菜等の食材は安いそうですが、そこで和食(うどん)を食べたりお好み焼きを自分で焼いたりしているとか。アラビア料理だけはとても安くて美味いそうですがね。それからビールも異常に安いと。日本円にしたら500mlが50円から80円程度だとか。クラブで飲んでも500mlで150円〜250円程度とか。

ベルリンの楽器屋もかなりダメダメだと言っていましたね。ほとんどファ−ストフード店みたいなもんだとか。弦もなかなか真っ当なのが選べないようです。欲しい物がほとんどないと言っていました。日本へ来ると楽器屋巡りが楽しいそうですよ。昨日もお茶の水の楽器屋で試奏しまくって、かなりグレートなジャパンオールドを見つけたので1本買ったとか。

tj は1週間後に日本を離れ、オーストラリアのシドニーへ戻ります。そこで不足していたギターやペダル等の機材を整えてから再びベルリンに行くのだそうです。そして2か月後の9月末には日本戻って来るのだとか。今まで自分が社長をやっていたシドニーの会社をたたんだので、今後は基本的にシドニーでの生活はもう止めにして、ベルリンと東京を行き来する生活になりそうだと教えてくれました。

ここまで約2時間話し続けましたが、tj はなるべく日本語を使おうとしていた事が印象的でしたね。この分だとかなり自由に日本語で話ができるようになるのはそんなに遠いことではないでしょう。てなことで、9月末の再会を約束して tj とお別れです。

その後は、自宅まで50分かけて歩いて帰りました。散歩はアレコレ妄想しながら歩くと時間があまり気になりませんね。気温はさほど高くなかったのですが、湿気が多くていささか参りました。帰りついたら汗ダクダク。ガリガリ君梨味にかぶりついたのは言うまでもありません。夏はこれだね!


本日の結論
さて、次回は何を tj に食ってもらおうかな!

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