比較的心臓部

2010年10月12日 真剣に聞き比べてみた!


「えっ?なに?」

私の作るべダルの心臓部であるオペアンプについて、先日500個入手できたとご報告していたのだが、実はそれ以前に少しだけ触れていた別件があった。それについて、本日はご報告しておこう。

もう何度も取り上げてきているのでみなさまもご存知だろうが、私が使っているオペアンプは「JRC4558D艷アリ」と呼ばれているICチップである。1980年代のパーツなので、ショップではもうまとまった量が手に入ることはない。ギターペダルの心臓部である。入手が難しいのだが、このパーツが違うと音質が変わってしまうので、なかなか他のものに取り替えることが出来ないでいたのだ。

しかし、どこかに「JRC4558D艷アリ」に近いサウンドが作れるオペアンプが無いものかと、この2年間探し続けていた。50種類ほど試しただろうか・・・。結果として、どれも私にとって満足できるものではなく、絶望的になっていたのだった。

しかし!今年の8月に取り寄せてテストした現行品のオペアンプの中で、ひとつだけ「ひょっとしてアタリかもしれんなあ・・・・」と思えるものがあったのだ。そのサウンドチェックの際にはあまり大きな音を出さずにチェックしたので、シビアな耳で再度確認して貰いたいとスーパーギタリスト是永巧一氏に試奏をお願いしておいたが・・・。

だがなかなか時間が取れず、それも出来ずじまいで今日まで時が過ぎてしまったのだった。

午前中にやるべき事柄をすべて処理した私は、妻がいつものようにスポーツジムに出かけるのを待った。ついでに、シャワーも浴びてさっぱりしたところで、久々にチューブアンプのスイッチを入れた。アンプは「Ceriatone OverTone Special」だ。通電させるのは何か月ぶりだろうか?しばしは、ペダルをつながずにアンプ本来のサウンドを楽しんでみた。

前月、Henry Kaiser の DUMBLE ODS を弾かせてもらった時の感覚を思い出しつつ、ノブを調整しながらかなり近い感じまで作り込むことが出来た気がする。本物の音を知ってから再度このような作業をやってみると、ちょっとテンションが上がって楽しくなってしまったなあ。楽しくなったところで、足元に禅駆動を2台並べた。片方が従来の「JRC4558D艷アリ」をセットしたもの。もう一台は現行品の全く品番が違うオペアンプをセットしたもの。

ノブは2台ともすべてをセンターにセットした。まずは新オペアンプから。ハイトーンでしばし弾いてみると「やはりかなりイケル感じ!」がした。同じフレーズを「JRC4558D艷アリ」の個体で弾いてみたところ、殆ど差を感じなかった。そこで2台を切り替えつつ何度も引き比べてみたが、あまり差は感じない。コリャいけるか?と思いつつ・・・。

今度は開放弦を含むロートーンで弾き比べてみた。すると・・・???わずかに違いが感じられた。何がどう違うのだろうか?それを確認するために、指板のさまざまなポジションで比較してみた。さらにギターのボリュームも絞ったりフルにしたり、アンプ側もマスターとボリュームの双方をいじって比較を続けたところ・・・音量を上げてみて、やはりその違いがハッキリ見えてきた。

言葉で書くのは難しいのだが、あえて書くと「太さの違い」が一番わかり易い表現だろうな。それに「コク」の違いとでもいうのか、そんな部分に違いを感じたのだ。この違いは、以前何かで感じたことがあるなあ・・・と必死に思いだしたところ、同じ1980年代の「JRC4558DA艷アリ」が同じ感覚だったことに気づいた。2年半前にその比較をしたのだが、その時の違いがどういうわけか自分の中で記憶としてしっかり残っていたのだ。

その当時、違いに関する表現として「JRC4558DA艷アリは、ぜんざいの甘みを砂糖だけで作った感じ」と書いた。もちろん「JRC4558D艷アリ」は甘み + 塩ひとつまみである。音の違いに対してこのような表現はどうなのだろうか?とも思うが、私にはコレがぴったりと当てはまる感じがする。つまり、今回試した新しいオペアンプは「スッキリ感が強くて雑味が無い。HiFiではあるが、温かみがやや欠ける」感じなのだ。その「雑味」の部分が太さの差として感じられたのだろうな。

「細かいことは気にしねえよ!」という方にはその新しいオペアンプでもOKかもしれないが、私が信じている「禅駆動」や「弾駆動」のサウンドとはやはりちょっと違う。耳の良いギタリストであれば「これは違う!」と即座に明言するのは明らかだ。私でさえ分かるのだから、もちろん是永巧一氏もそう判断することは明白である!てなことで、是永氏にお願いしていた「オペアンプ違いの判定」は自主的に中止することにした。

残念な結果となったが、今回のチェック作業のオペアンプ聴き分けで、自分の耳がまだ衰えていないと感じることが出来た。これは思ってもいなかった喜びだ。最近は、私がテレビを観ていると妻から「ボリュームが大きすぎない?」と注意されることが増えたし、妻から小声で話しかけられると「えっ?なに?」と聞き返すことも増えてきた。

肉体が衰えることは自然の成り行きだけど、徐々に進む老化現象は、あるレベルまで達しないとなかなか本人は気づきにくいものだ。老眼の様に明らかに目の前のモノが見えなくなると分かりやすいのだが、聴覚の衰えは明らかに周波数の高い方から徐々に聞こえなくなってくるので「今日から聞こえづらい!」のような境目が存在せず、とても気づきにくいのだよ。


本日の結論
このところ耳鳴りが少し聞こえてくるようになったなあ!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



GO TO HOME PAGE