終戦的記念日

2010年08月15日 終戦記念日に想うこと!


「現時点で生きている人類のほとんどが」

本日は何も結論を持たぬまま、とりあえず書き出してみる。

日本では8月15日が終戦記念日。世界的に考えると9月2日だとか。理屈では理解できるが、子供の頃から染み付いた終戦記念日はやはり8月15日だな。体育の日が、いまも10月10日だと思ってしまう感覚に近いね。今日は、蝉しぐれが暑さを更にかきたてる日だ。65年前と同じように晴れ渡って暑い日となった。

終戦という言葉を聞くと、私は父を思い出す。

私の父は戦争に行った。「大東亜戦争」「太平洋戦争」どちらでも良いのだが、精神的には決して「第2次世界大戦」では無かったようだ。父は台湾まで出兵したそうだ。子供の頃、戦時中の話を何度も父から聞いたが、それは戦争が持つ悲惨さを子供の私に諭すような内容ばかりだった。父が受け取ったという召集令状「赤紙」も見せてもらったな。父は招集された後、軍事訓練としてライフルで3発実弾を発射しただけで「訓練終了!」となったそうだ。戦争末期は訓練さえまっとうに出来ない状況だったのだ。幸いにして、父は出兵後敵と交戦することはなかった様だが、軍隊内部の悲惨さ理不尽さ、そして終戦間際の壮絶な飢餓との戦いを話してくれた。

ただ、その父から聞いた話によってバイアスがかかり、私が物心ついてからの思考に偏向をもたらした部分もある。民族的偏見を父はかなり強く持っていた。その根拠もいくつか話してくれたが、戦争に参加した当時の人々の偽らざる心根だったと私は感じている。ちなみに、今の私にそのような民族的偏見はない。

子供の頃、夏になると庭でたき火をしながら、父が戦地から持ち帰ってきた飯盒でご飯を炊いて何度か食べた。あの父の行為は何を意味していたんだろう。単に非日常を楽しんだだけだろうか?今となっては単なる夏休みの思い出でしか無いがね。

大正13年生まれの父は戦後すぐに公務員となり、職場結婚をし定年まで県庁職員として勤めた。もし、戦争がなければ父がなりたかった職業は画家だったそうだ。あの時代はそれが許されなかったのだ。実家には、父が描いた静物画の油絵が飾ってある。私が一番好きな父の絵だ。平成2年に父が亡くなったとき、母に「この絵を形見に欲しいんだけど」と伝えたら、「私もこの絵が一番好きだから、私が死ぬまでまってね」と言われた。 そうか・・・同じ絵が好きだったのか・・・。

私はあと半月したら、母を連れてラスベガスやロスアンジェルスへ遊びにいく。母はついに65年前の敵国本土へ乗り込むのだ。父と母は戦争によって殺されることはまぬがれたが、戦争が持つ様々な災いに巻き込まれていたはずだ。それらの思いをすでに母は捨て去っているのだろうか?

最近になり私が想うことは、原爆投下の事実が、私が生まれるわずか7年前の出来事だったということ。子供の頃の7年はとても長い時間だが、この歳になって振り返る7年前の出来事といえば、2003年の出来事なのだ。朝青龍が横綱に成った年であり、生放送中のロシアの女子高生デュオ「t.A.T.u.」が出演をドタキャンし、カリフォルニア州知事に俳優・アーノルド・シュワルツェネッガーが当選、地上デジタル放送開始、バカの壁が流行語となった年なのだ。これらの事実は、つい昨日のような気がするほどの時間しか経ってないと感じる。たったこれだけの時間経過でしか無い7年という事実は、歴史的事実という原爆投下のスタンスから、もっと私の身に近い出来事に感じられるようになったなあ。

私はこの3年間で、世界33か国の人々とEメールのやりとりをした。そこには何も政治的な壁は無かった。一個人として、対等な立場で相手とEメールのやりとりが出来るのだ。更には、海外ともSkypeで顔を見ながらのやりとりが出来るようになった。極東の小さな国に生まれた私が、現在数百人の友人を世界中に持つことが出来ている事実は驚異的である。

私が中学生の頃、お盆で父の実家に親戚が集まったとき「戦後20年」との言葉が戦争経験者たちから出ていたのを覚えている。そして、すっかり戦争の影響下から脱出したようなことを言っていたが、これもまた、今から20年前の出来事を思い出すと、つい最近の出来事のような気がするのは私だけだろうか?ちなみに1991年はソ連崩壊の年だね。 宮沢りえのヘアヌード写真集「Santa Fe」が発売され100万部の売り上げ、 ロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーがエイズのため死去なんてな年でもあったんだ。

こう考えていると、65年前終戦の事実は決して遠い昔のことではないと感じられるようなる。私自身がすでに半世紀以上生きているのだから、100年という1世紀の単位でさえ、短く感じられるなあ。とは言え、現時点で生きている人類のほとんどが、22世紀まで生き残ることは出来ないけどね。いずれにせよ太陽の寿命は残り54億年だそうだから、人類はそう遠くない未来に消滅するってことだ。それを考えりゃ、身の回りのアレコレなんぞ、どうだっていいことだよね。100年も生きていられりゃあそれだけで充分ってことか。

このまま続けると、いくらでも書きそうだからそろそろこのへんで終わりにしよう。乱文失礼した!


本日の結論
年をとると、時間の感覚がどんどん短縮されていく。

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