知事的宮崎訛

2007年02月03日 日々聞こえて来る懐かしい訛り・・・!


「訛り続けてくれ!」

そのまんま東こと、東国原宮崎県知事が誕生して以来、毎日欠かさずテレビのニュース番組に登場している。私の故郷である宮崎県の情報が、これほど長く多く取り上げられた記憶は過去にない。この現象により、私が再認識し、思いが変化した事実がある。

もう見なくなって何年になるだろうか?最近音沙汰を聞かない、一時期「笑っていいとも」にも出演していた女性デュオ「0930」(オクサマ)は宮崎県出身だった。しかも宮崎弁の訛りとしてディープな西都市出身であった。何を隠そう私も西都市で生まれたのだ。

女性デュオ「0930」はテレビに出ると強烈な宮崎弁を放っていた。その発音を聞くたびに「懐かしい」というよりも「嫌悪感」を感じていた私だった。近親憎悪とでも言うべき感情だろうか。「0930」の訛りを聞くたびに、消え入りそうになるほど身の置き所が無い感覚に見舞われたものだ。

私は東京に出て来てから、自分が訛っているのに気付いた時とても辛かった。その後、仕事をするようになってさらにその劣等感は大きくふくれあがって行った。やがて無口になって行った。直そうと思っても治らない「ナマリ」・・・。ずっと長い間その劣等感を抱いたまま仕事を続けた。そして、東京に出て来て36年が経った。

ここに来て、ニュースで東国原知事が出るたびに「宮崎弁」が毎日聞こえるようになった。「0930」の時と違いその声に違和感は感じなかった。なぜだろうか?私自身に何か変化があったのだろうか?じっくり考えてみると「0930」の宮崎弁は「純粋むき出し」の「ハードタイプ宮崎弁」だと思える。それに比べ東国原知事の宮崎弁は、東京で30年過ごした結果生まれた「ソフトタイプ宮崎弁」だと感じる。

宮崎県民は気付いているのだろうが、東国原知事の宮崎弁はイントネーションの純粋さを失った宮崎弁に聞こえる。それが私にとっては心地よく感じられるのだ。私の耳自体がもうハードタイプ宮崎弁に対応できないほどに東京方面での生活をしすぎたのだろうなあ。

しかし、ここでもう一つ気付く事がある。私の友人たちにも東京出身者は多いが、彼らには訛りが無い。(正確に言えば東京弁の訛りはあるのだろうが、それは通常「訛り」と私は認識していない)私たち地方出身者が持つ訛りは、日本語内でのバイリンガルである。地方出身者は二つの日本語を操る快感を持っても良いのではないだろうか?東京出身者はその快感を持てないのだ!

大学の入試も終わり、これから春になれば地方から上京して来る若者達がまたしても「俺って・・・ナマってるし・・・」と悩むシーズンになる。かつて私もそうだったのだが・・・若者たちよ!そんなものは気にしなくてよい!時が経てばその訛りは「人格の味」へと変化するのだ。豊かな人間性を作り上げる源となるのだ!故郷を持っている証にもなるのだ!

これほど長く関東地方で生きて来て生活圏はしっかり関東地方なのに、今も東国原英夫宮崎県知事のニュースをテレビで見るたびに、妙にニヤけてしまう自分がいる。故郷はいつまでも故郷であり続けるし、気になる存在であり続けるのだ。東国原宮崎県知事よ!訛り続けてくれ!ニュースに出る度に訛り続けてくれ!そうすれば、やがて宮崎弁が全国的に市民権を得る日が来るのだ!!!(こねえよ!)


追伸
ほとんどの国民がフルネームで知っている県知事は宮崎県くらいのもんじゃね〜のか?



本日の結論
地方出身者よ!訛りを持つ誇りを持とうぞ!

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