失態的鬱判断
2006年12月15日 こんな事で気付くとは!

鬱病の実態について

「他人事ではない世界」

休職して以来約9か月、徐々に鬱の症状は消え始め、昨今は気分もかなり軽くなり今ではほとんど回復しているのでは?と勝手な自己判断をしていた矢先の出来事だった。それがとんでもない間違いであると気付かされた出来事がこの数日間に起こった。鬱を侮ってはならないと体感したのだ。

きっかけは先日書いた独断倉庫ネタの中にあった。本来書くべきではない事柄を私の不注意で書いてしまったのだ。それに対し指摘があり、すぐに修正を加え問題が無いようにしたのだが・・・。まずは、ご迷惑をおかけした相手に対して深くお詫びしたい。そして、そこで私が気付いた事がいくつかあったのだ。

まず、健康なときの私であれば間違えなかった判断をなぜ簡単に間違ってしまったのか?ここに判断力の著しい劣化が見て取れる。私の仕事は、客観的な判断力を必要とされているのだが、自分では正常に戻っていると思っていても、これではまだまだ客観的にはなれていないと判断せざるを得ない。

昨年の鬱発症時に半年で車の接触事故を4回も起こしてしまった。これは鬱の症状により明らかに視野が狭くなり、周辺に対する注意力、判断力が異常に低下していた為だと思われる。それが今もまだ残っている事実が判明したのだ。物理的な視野だけではなく、精神的視野もかなり狭くなっているようだ。私にとってはかなり悲しい事実。

さらにもっとキツイ状況も発覚した!不注意の間違いであると気付いた瞬間から急激に精神状態が下降を始め、一気に一年前に味わっていた泥沼の精神状態へフィードバックしたのだ。こうなるともう身動きができなくなる。頭が重くなり思考は停止し、後悔の念だけが体を縛り、フツフツと悲しみがわき出し、何かにすがらなければ生きて行けない感覚にとらわれ始め起きていられなくなった。食欲も無く、自己嫌悪に陥りただただ苦しみを抱えつつ、風呂にも入らず寝込み続ける日々の4日間だった。精神的視野が狭くなっている事で、そこからいつまでも脱却できなくなってしまうのだ。

久々に寝込んでいる私に妻も心配して「どうしてそうなるの?」と質問して来たが、答えるすべが無かった。なんと説明してよいか分からなかったのだ。自分でもコントロールできない精神状態の変動である。体も動かせない。精神力で何とかなるものではない。鬱病の患者に健常者は「考え過ぎだよ!」と言いがちである。私も働いている時に言われた経験を持つ。だが、そうではない。鬱病患者は思考と肉体が自力でコントロールできない状態に陥っているのだ。

ストレスにより私の精神状態が一瞬でここまで簡単に崩壊してしまうのは、実務レベルで考えると「まだとても働けない」と判断せざるを得ない。ずいぶんよくなったような気がすると医師に伝えた際に「それは薬が支えているんですよ!」と言われた意味がようやく体感できたのだ。

鬱が発症してからすでに22か月が経過した。鬱病は完治するまで時間がかかるとは知っていたが、いざ自分がそうなると「いったいいつまでかかるんだよ!」といらだちも覚える。休職しはじめたときには「半年もあれば治るんじゃないか?」と当初考えていたのがとてつもなく甘い考えであると思い始めた昨今である。かといって絶望しているわけではない。回復までの期限を考えずに、ゆったりと時が流れるのを待つしかないとも考えられるようになって来たのだ。

5日目の今朝もなかなか起きられなかったが、なんとかようやく起き上がれるようになり、この感覚を覚えているうちに書き留めておこうと動き始めた。書き留める意味は、自分の精神状態の移ろいを記録する事で自分を客観視するため。さらに「鬱」の実態を皆様にも知ってもらいたいからだ。「鬱」の感覚はなってみて初めて知る世界となる。言葉だけでは簡単に伝わらない世界だとおもうが、少しでもこの症状の実態を知っていただきたいと思う次第である。鬱は誰にでもやって来る可能性がある。他人事ではない世界なのだ。



本日の結論
まだまだ復活の日は遠い・・・!

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