鬱病的経過報
2006年10月05日 再び下降気味か?
鬱の経過、1年7か月。

「自分の存在の意味の無さ」

鬱病の療養のために今年の4月から休職している私は、休み始めて半年が経過した事になる。日々、自宅でウロウロしている私のその後はどうなっているのか?自分でも状況を確認するために経過を書いてみよう。

そもそも鬱病を発症したと気付いたのは2005年3月頭、今から1年半前の事だった。突然精神状態が下降気味になり、何もやる気が起きなくなって来た。夜になるとほとんど眠る事が出来ず、夜明けまで悶々としていた。その分だけ朝になると眠気が襲って来て、勤務中に眠くなる始末。そして食欲も極端に減少してしまったのだ。この時点ではまだ「鬱病」だとは思っていなかった。

常に精神状態が沈み込み、深い悲しみが毎日渦巻いていた。朝起きて会社に行くという行為がとてつもなく困難になっていた。でも仕事だからと、無理矢理体を引き起こし熱いシャワーを浴びて出かけるのだった。今から考えれば、自分でコントロールできない仕事上のストレスがいくつか重なりそれが引き金になったようだ。

それまでは毎日本を読み過ごしていた通勤電車の中でも、小説を読む事が出来なくなった。本を開いてもそこに書かれている文章がまったく頭に入らないのだ。意味が把握できずタダの文字列にしか見えなかった。目を開いている事さえ辛い始末。結局電車の中ではひたすら眠りこける事になった。それでもすぐに回復するだろうとこの時点では甘く考えていたのだった。

やがて4月になり、業務命令でラスベガス出張が決定した。とても行く気持にはなれず一度は出張を拒否したのだが、どうしても行けとの業務命令であったためしかたなく出かける事にした。これがさらに病状を深くする原因となったのだろう。出張から帰って来た4月末、さらに気分は深く重く、日々苦しい状況が続いた。そして体重は3月〜4月の2か月で7kgも減少していたのだった。やがてゴールデンウイークに突入した。

どこにも出かける気はせず、連休中は自宅にじっと潜んでいた。精神的に身動きが取れなかったのだ。で、連休明けに出社しようと、妻の車に乗って駅に向かったがその途上で精神状態が限界に達した。「このまま精神科のある病院に向かってくれ!」と妻に頼み込んだ。近所の総合病院に急行!だが、予約制のためその日は受け付けられないという。その時点で私は気が狂うほどの苦しい精神状態で何かにすがらずにはいられなかった。すぐ自宅に戻り、インターネットで鬱病に対応してくれる病院を探した!

見つけたのは溝口にある大学病院だった。午前中に来てくれれば当日に診察してくれると言う。30分後、私はその病院にいた。文書による問診を受け、その後そのデータを元に女医の問診を受けた。自分の精神状態の深部を探るように問診は続いた。30分ほど話した頃だろうか、突然気持ちが楽になり始めた。理解してくれる他人が居る事で楽になれたようだ。その後、主治医の診察になり告げられた病名は「鬱病」だった。とりあえずその日は薬を出してもらい、睡眠を確保できるようにしてもらった。その日から2週間に一度の通院が始まった。

薬を服用すると、便秘になったり胸焼けがしたりと少し副作用があったが、それも2週間するうちに慣れて来て問題なくなった。薬の効き目は偉大だった。夜は眠れるようになり、出社が少し楽になって来た。だが、それと反するように副作用で、勤務中に眠気が襲ってくるのだった。特に昼食後に薬を服用すると眠らずに居られないようになった。つまり午後一番の仕事はかなり困難になったのだ。勤務中に突然悲しみが全身を縛り付け、身動きが取れない事もしばしばだった。この時点で私は自分の病名を会社に報告していた。部下にも伝えていた。

薬を飲み始めたからといってすぐに鬱の症状が改善するものではない。回復まで時間がかかる病気なのだ。会社内での私はその後は病状が悪くもならずかといって良くもならない一進一退状態が続いた。仕事には集中できず、かつ能動的ではなくなった。ただ出社し続けるだけの日々。やがて発病後半年が過ぎ、悲しみや、自己否定が深くなり始めた。こうなると自殺願望が現れ始める。

日々、出社のため駅のホームに立つたびに線路上に飛び込みたくなる衝動が生まれていた。心の中には寒い風が吹き抜け、回りで起きている事柄が遠い世界で起きているような感覚があった。それでも治療しているのだからもうすぐ治ると思い続け、何とか我慢し続けていた。だが、日々の眠気との戦いはどうしようもなかった。

やがて発病から一年が経った時、会社内で私の回りに居る人々もそろそろ限界ではと気付き始めた。私自身もそう思い始めていた。そして社長と会談の結果、1年間の休職を決意したのだった。

2006年3月4日から病気治療のための有給休暇として休み始め、4月1日からは正式に休職に突入した。休み始めてしばらくは、ひたすら寝転がってウダウダと時が流れ去るのを眺めていた。ところが、3か月経ったある日、突然好転が現れた。それまで目の前に精神的な大きな壁が立ちはだかり、頭の上には低く重い雲が垂れ込めていたのだが・・・目の前の壁に突如ひび割れが出来、その隙間から明るい光が差して来た。やがて壁はがらがらと崩れ去り、光が溢れて来た。さらに頭の上の雲はいつの間にか青空に代わり、明るく温かな光が満ちて来たのだ。その間数分の出来事だった。とても気分が良くなり、体を動かしてみる気になり始めたのだった。

医師にその変化を伝え、再度ペーパーテストをやってみてもらったところ、かなり症状が好転している事が判明した。私にも明るい希望がわいて来たのだった。だが、鬱病がそう簡単に治るはずも無い。私はまだ発病1年7か月なのだ。 竹脇無我は鬱病で7年間苦しんだと言う。小川浩は完治まで10年かかったと言う。彼らもやはり、強い自殺願望があったと語っていた。

その後、精神状態が軽くなった私は気分よく過ごしていたが、この9月後半になりやや体が重くなり始めた。再び一日中眠い日が多くなり始めたのだ。脳にエネルギーが無い感じだ。昼の薬はもう飲まなくなっているので、薬の副作用だとは思えない。惰眠をむさぼる日々に運動不足が重なり、体重もかなり増えて来たようだ。

治療を受けていて嬉しく感じる事は、自殺願望がその後は出てこない事だ。一時期あれほど思い詰めていた「自分の存在の意味の無さ」が感じられなくなっているのだ。今日の時点では、数日前から少しだけ精神状態が下降気味だと感じている。不快感はあまり無いのだが、何となくだるく、しゃっきりしない。たぶん日照時間が短くなって来たのが原因だろうな。日照時間が長い夏場は気分が良い日が多いのだ。鬱の症状には通年でかなり波があるようだ。株価のように上り下がりを繰り返し、緩やかに快方へ向かうのだろうな。

私の鬱はすでに1年7か月経過している。この先、脱出するまでにどれほどの期間がかかるのだろうか?2年か?5年か?10年か?まだまだ長い付き合いになりそうだなあ・・・。

ちなみにWEBの更新が、以前ほど頻繁でないのは鬱によるやる気の無さが原因だ。ネタがほとんど浮かばないのだ!ネタが転がっていてもそれを見つけられなかったり、ネタとして育てられなかったりで、これまた苦しい思いをしているのだよ。



本日の結論
鬱病かなと思ったら、すぐに病院へ行こう!死なずに済むぞ!

------------------------------

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。


GO TO HOME PAGE