記憶的蹂躙感
2006年03月02日 記憶を辿って行くと・・・。



「週末は長い長い話をしよう!」

今回はかなり個人的な記憶の話である。他人には全く理解出来ない話だが、自分の精神状態を安定させる為にとりあえず書き綴ってみる。果たして精神安定に役立つのか?

昼間にうたた寝していたら、幼い頃の記憶が突然蘇り私を翻弄した。狂おしいほどの記憶への郷愁が蘇って来たのだ。当時の父に会いたい。母に会いたい。そう思ってしまった。時期的に言えば、弟が生まれる直前だろうから昭和29年〜30年頃の記憶である。もう50年も経過した記憶だ。私が3才のころだろうか。それ故に間違って覚えている事実も多いだろう。

町外れのその家は6畳一間に4.5畳ほどの土間がついていたと思う。土間にはかまどがあり台所があった。とても小さな家だが、3才の子供にとっては広い空間だったのだろうな。家の裏側には小川が流れ、草が生い茂っていた。当時はガスコンロもなく、石油コンロもなかった。調理は全て薪や炭火で行っていたはずだ。

ある日の出来事。私は、台所で七輪の炭火をいじっていた母に近づいた。私は半ズボンを履いていた。その時、母が何気なく振り向いた。母の右手には金属製の火箸が握られていた。それは炭火をいじったばかりでまだ高熱を放っていた。振り向いた母の火箸は私の足を直撃した。私の記憶はそこまでである。当然、やけどとなって私の足に傷跡が残った。それから10年以上もそのやけどの傷跡が消えることはなかったが、今となってはそれが右足だったのか、左足だったのかの記憶さえないほどに傷跡が無くなってしまった。

その小さな家で、どのような生活が営まれていたのかは他には全く記憶していないが、やけどの瞬間の光景だけは妙にリアルな風景として私の記憶に刻まれている。それにもう一つ、トイレの中におもちゃの刀がたくさん落ちていたのを記憶している。私が落としたものだろうな。その度に、父が買い与えくれたのか・・・。それらの事実がなかったら、多分、あの家の記憶は私には何一つ残っていなかっただろう。

それともう一つかすかに残っているのは10円札を使った記憶だ。店の中にいる私が10円札を握りしめているその光景がぼんやりと浮かぶ。当時、そのお金で何を買ったのだろうか?50年前の10円札はまだ使い出があったはずだが。同じ時期の出来事のような気がする。

突然記憶は飛んだ。私と妻が出会った時の記憶だ。千葉県市川市下総中山の某所で行われた「九州県人会」そこで宮崎県出身の私と福岡県出身の妻は出会った。隣に腰掛けて話をした。1971年春の出来事だ。当時の妻は大人びて見えた。最初に会った時の妻は2才くらい上の年齢だと思っていた。やがて、1975年の暮れに私たちは結婚したのだから、ずいぶん早い結婚だったな。私が23才、妻が22才の出来事だ。色んな出来事が通り過ぎて行ったね。初めて出会ってから35年も経ったのか。早いものだね。

それから今までの私はどうしていたのだろう?一所懸命に仕事に励んでいたが、妻を家庭を顧みる時間はあまりなかった。旅行好きだった妻を新婚旅行以外にまともな旅に連れて行った記憶がない。などと記憶を掘り下げる行為を続けていると、自傷行為にどんどん近づいて行く感じがし始めた。徐々に心が苦しくなって来る。自分が妻に対し、子供に対し、果たせなかった様々な記憶が私を蹂躙し始める。「鬱」にも似た罪悪感が呼び覚まされて行く。いかん!早く止めなければ!このまま記憶を辿る旅を続けて行くと、私は心の迷路にはまって溺れてしまいそうだ。狂おしいまでの記憶の奔流はすぐに消えそうにもない。

そして今日、社長と話し合い休職する事にした。休暇ではなく、休職だ。明後日から出社しなくなり休職生活に入る。期間は「鬱完治」までと考えているので今は未定だ。休職期間が半年になるか、1年かかるか?それは現時点ではなんとも言えない。ただ、その期間はのんびりと過ごすつもりだ。今夜は妻とゆっくり話をしようか!初めて会った頃の話をしよう!私には幾らでも時間はあるのだ。週末は長い長い話をしよう!そして35年間の話をたっぷりしよう!



本日の結論
これからしばらくは、ずっと家にいて暇なので遊びに来て!

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