笑声的雑談日

2005年09月12日 私はもっと笑うべきだが・・・!

笑いたいのに笑えない

「極端な省略形

何か笑える話を書きたいと思った。じっくり考えてみたが、ナニ一つ気の聞いた話は思い浮かばなかった。思いつくままに「わらう」について書いてみよう。

帰宅時に、電車の中で突然聞こえて来た携帯電話の着信音。クレヨンしんちゃんの声で「メールが来たぞ〜!メールが来たぞ〜!」と叫んでいた。なんだこりゃ?と観ていたところ、目の前に立っていた40才前後と思われるサラリーマンが胸ポケットから携帯電話を取り出してメールチェックを始めた。それを見て私の隣に座っていた若き女性が必死になって笑いをこらえていた。周りの客たちもニヤニヤしていた。文章で書くと別におかしくとも何ともないが、現場の笑いの臨場感には相当なものがあったなあ。

「嗤う」こちらの漢字の「わらう」は怖い感じがする。

お笑い番組の薄っぺらな「あるある」的笑いにはそろそろ飽きて来たなあ。ヒロシの自虐ネタも再利用が増えて来たし。

当家の娘が1才くらいの頃、私の部下が自宅に遊びに来た。そして、娘を抱き上げたところ、娘はその部下の顔をまじまじと見て笑い始めたのである。普通の赤ん坊の笑いは「キャッキャ」程度に相場は決まっているのだが、その時の娘はそうではなかった。ゲラゲラ笑い出したのである。息継ぎが出来ないほど顔を真っ赤にして大声で「ゲラゲラゲラ」と延々笑い続けたのである。赤ん坊がこれほどまでにゲラゲラ笑う姿は初めて見たのだが、笑われた部下も「いったい何がウケてたんでしょうねえ?」と不思議がっていた。もちろん私も不思議でしょうがなかったがね。

「わらう」という言葉にはいくつもの意味があるが、一般的に使われていないのが「ものを取り除く」という意味で使う場合だ。これは映画業界から始まった業界用語の使い方だが、映像業界の撮影現場では広く使われている。主に、モノに対して使われる。「テーブルの上の花瓶をわらって!」のように使うのだが、たまには人に対しても使われる。撮影現場で「そこの女性わらって!」とカメラマンから言われても「わははは」と笑ってはいけない。その女性は画面から外れなくてはならないのだ。この場合の「笑って」は「せっかく画面の中に準備したのだけれど外して下さい。笑って許してね!」の極端な省略形なのである。

人は人と出会い、時とともに何らかのつながりが出て来る。私と妻は、出会った時はお互いに18歳だった。現在私は53歳。妻とは35年間の付き合いとなっている。最近、ふと思うことがあった。「妻は何故私と結婚してくれたのだろうか?」深淵なる素朴な疑問なのである。愛するとか、愛されるとかの概念ではない別の要素は無いのだろうか?それとも笑える程簡単な理由なのだろうか?

結婚前、私には笑える程金がなかった。私には家も無かった。私には車も無かった。あるのはただ未知の未来と若さだけだった。妻には、もっと多くの人と知り合うチャンスがあったはずだ。だが、若くして私と結婚した。私が23才のときだった。お互いに郷里を捨て、自力で頑張って行こうとしていく望みだけは当時あった。そして、25才でマンションを購入した。二人が求めていたのは、自分たちだけの安住の地だった。若い頃私たちは二人でよく笑い合っていた気がする。

時は流れ、次のマンションへ引っ越した。そして平成になった。家庭は緊張感に満ちて危うい状態の時も有る。お互いがお互いの心を理解出来ない時代は必ず訪れる。そこを越えられるかどうかでその後の家庭の安定は決まるように感じる。そんな家庭内で最近嬉しいことは、妻が頻繁に笑うことだ。テレビを見ながら腹をよじって笑う姿をよく見かける。大声で笑うことが出来る家庭環境は平穏な証拠だろう。最近あまり大声で笑うことの無い私もついつられて笑ってしまう。平成も17年になり我が家はかなり安定している・・・ように思えるなあ。そして、私はもっと笑うべきであるとも思う。昔は私も頻繁に笑っていたような気がするが・・・。

先週土曜日の夕方、近所のスパーマーケットに車で出かけた。帰りに駐車場から通りに出る際、ちょっとだけバックする必要が出て来た。1mほどバックさせてから前に出ようとしたら、突然おばさんが恐い顔で運転席の私に向かって何やら叫んでいた。窓を開けて聞いてみると、私がバックした際に、直ぐ後ろに続いていた車のバンパーを擦ったようだ。確認してみると確かに当家の車のバンパーにも擦った痕が残っていた。ううう・・・擦り傷程度だけど・・・きっと相手はバンパー交換しろと言ってくるよなあ・・・笑えねえ話しだ・・・。



本日の結論
今日もまたネタが薄くてツライ!

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