風景的望郷感
2005年07月14日  こんな風景は近所にある?




「後悔することしきりである」

今日は一枚の画像から自分の記憶を掘り起こす作業だ。

初夏らしい画像が登録会員00084福浦様から送られて来た。自宅の目の前の風景だそうだ。宮崎県在住である。私の実家から歩いて10分ほどの距離だ。デジカメを買ったらしいので嬉しかったのかもしれないなあ。さて、この風景を見て貴方はどのように感じられるだろうか?私には郷愁が有る。子供の頃育った環境は周りにこのような田んぼが沢山あった。カエルがいたし、ドジョウもいた。ゲンゴロウもアメンボもいた。自販機がない少年時代、喉が渇けば子供たちは小川のせせらぎでのどを潤した。思い出すのは45年以上前の原風景だ。

やがて秋になればこの田んぼは黄金色に彩られ、豊穣の時がやって来る。刈り取られ干された稲は脱穀され、残ったワラが山積みにされて行く。家の形に積み上げられたワラ山によじ上り子供たちは遊んでいた。器用な子供はそのワラを自分で編んで縄を造った。私も縄をこの手で編むことが出来る。

私は実家が公務員だったが、友達に農家が多かったので、遊びに行っているうちに色んな遊びを覚えたのだ。現在都市部に住む方々にはそのような経験は無いだろうがね。

春になる頃には田んぼは一面鮮やかな紫色のレンゲに埋め尽くされていた。ミツバチが飛び交い、蜂蜜の収穫である。それが終わる頃再び田んぼは耕され水が引き入れられ新しい稲が植えられるのだ。その自然のサイクルの中で今が一番爽やかで美しい時だと思うな。

だが、危険なことも思い出した。40数年ほど前だろうか、田んぼの上にセスナで農薬を撒いていたのを思い出した。風景はかすみ、真っ白となり、風に乗り農薬は近隣の家々へと降り注いでいた。あの風景はさすがにもう観られなくなっただろうなあ。

この画像をじっと見ていると、弟のことも思い出す。中学校理科の解剖実験用に必要となったトノサマガエルを近所の田んぼから弟が捕まえて来てくれた。私は爬虫類や両生類が苦手だったのだ。私は中学生の頃、雨上がりの登校途中に「玉虫」を捕まえたことがある。それも2回。いずれも理科室に持ち込んで標本にしてもらった。とても美しい虫だが、それ以来お目にかかったことはない。あの中学校にまだ残されているのだろうか?

画像の稲穂を観ていると、新米の美味さを思い出した。私が初めて新米のうまさを知ったのは20代後半のことだっただろうか。知人が農家から手に入れたばかりの新米3合を持って来てくれた。米のうまさをあまり感じたことがない私だったが、その時は別だった。初めて知る新米の甘み。米だけを食べても美味い。おかずが必要ない美味しさだったなあ。よ〜し!宮崎産の新米を今年は手に入れてみるか!

なんてなことを書いていたら急に父親に会いたくなった。だが、私の父が亡くなってすでに13年経っている。しかも私が会いたいと思っている父は、若い頃の父だ。今の自分より若い頃のね。そうだなあ40歳〜45歳ころか?私は父が47歳のとき、実家を離れた。それ以来亡くなるまで20年間ほとんどまともに話すチャンスはなかった。つまり、私は大人になってから父と話したことがほとんどないのだ。今思えばもっとたくさん話をしておけばよかったと後悔することしきりである。

登録会員福浦様は今年、父上が亡くなられた年齢になったと言う。つまり53歳。父上はずいぶん若くしてなくなられたなあ。私も彼の父上にはお世話になった。最後にお会いした時のことはよく覚えている。福浦様が高校卒業後宮崎を離れる時に、自分が使っていた90ccのオートバイを「しばらく使いなよ」と私に預けてくれたのだ。1か月ほど使っていただろうか、ある日福浦様のご両親が当家を訪ねて来られた。「バイクを廃車したい」との申し出でだった。その日、ヘルメットと共にご返却した。今思えば、あの時のバイクのお礼を福浦様に何もしていなかったなあ・・・。今からでも遅くはない!なにか考えようっと!

こうやって古い記憶を掘り起こす作業は、やればやるほど息苦しくなって来るなあ。二度と会えない人や風景の記憶が多いもんなあ・・・。


本日の結論
新米はホント〜に美味いよね〜!

------------------------------

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



GO TO HOME PAGE