嘘日的私達歌

2005年04月01日 今日書くと嘘に思われるけど・・・。


インタビューあり!


「深部に携わったものだけが持つ感情だった」

今朝の東京新聞は楽しみであった。この数年は4月1日に見開きで嘘記事が掲載されるようになったのだ。その記事の造りは独断倉庫で昨年好評を得た「凶暴椎茸」のネタの作り方に通じるものがある。明らかに嘘なのだが、その嘘記事に信憑性を持たせるために画像やデータが付け加えられているので、ボ〜ッとして読んでいると信じてしまう可能性さえあるのだ。そして、本日のネタは「FIFA サッカー10人制を承認!」というものだった。

その根拠は「サッカーを10人制にしてスペースを広く採ることで、よりゴールチャンスを増やし。エキサイト感を増大させ、サッカー人気をいっそう盛り上げる」と言うのだ。反面、人数が一人減る事で、ワールドカップの日本代表枠も一人減る事になるので、誰を落す事になるのか悩んでいると・・・。

実際の記事はもっと綿密に組み立てられているので、まだお読みでない方は是非御一読を!ちなみに、この嘘記事の第一回目は「金さん銀さんに実は銅さんという妹がいた!幼いころ別れ別れになり現在ブラジルに住んでいる」というもの。この記事の時は私もすっかり騙されてしまったなあ! それ以来、毎年楽しみにしている「東京新聞名物4月1日の嘘記事」なのだ!

そんな昨今、別の驚くべき話しが持ち上がって来た。ここから先は嘘記事ではないので御安心されよ!

昨年秋に御紹介したのだが、26年ぶりに再会したミュージシャンの話しを書いたことがある。現在は、登録会員00215 関雅夫様として親しくしていただいている。そもそも26年前に何があったのか?が本日の本題である。以前にも書いた話しなのではあるが、もういちど簡単に経緯を書いておこう。 1978年の出来事だから若い方々だとまだ生まれる以前の話しになる。

1977年。彗星のごとく登場したミュージシャン「原田真二」は一気にアイドル化しスターダムを駆け上がった。当時は世良公則、チャー、と共にロック御三家と呼ばれた事もある。だが、原田真二が目指していたのは「アイドル」ではなく「アーティスト」としての存在だった。今では当たり前となった「アーティスト」という言葉が、当時はなかなか理解されなかった・・・。そしてデビュー10か月後、早くも「武道館ライブ」をやれる程のビッグネームに成長していた!

同じころ、私はテレビコマーシャルの制作進行として働いていた。そこに飛び込んで来たのが「原田真二 武道館ライブ映画」の製作話しだった。当初は武道館ライブを16mmフィルムで撮影し、全国のファンクラブに観てもらおうとの計画だった。その時点ではこれほどの映画になるとはまだ誰も予想していなかったのだ!

監督をお願いしたのは、龍村仁監督だった。もとNHKのドキュメンタリー・ディレクターで「キャロル」のドキュメンタリー番組騒ぎでいちやく有名になった方だった。ドキュメンタリーの監督がライブ映像を作るとどうなるのか?そこにシナリオはない。素材として手に入るものは、全てが目の前で起こる事象を客観的に捕らえた映像だけである。

ドキュメンタリー監督は、武道館当日だけではなくそれ以前の合宿も記録する事を提案した。そして私はその1週間の合宿に参加し。昼夜を問わず撮影し続けるスタッフをサポートし続けた。膨大なフィルムが消費された。そして武道館ライブ当日、私はアリーナのど真ん中にいた。センターのカメラにへばりついてフィルムチェンジを手伝いつつ、ステージで起こる全てを記憶に刻んだ。その日は8台のカメラがステージを撮影し続けていた・・・。

この短い1978年の撮影の期間、一緒に生活をし同じ時代の空気を吸ったのが原田真二バンドのベーシストであった登録会員00215 関雅夫様だった。再会したいきさつは今回は省くが、この奇跡的再会がさらに奇跡を呼ぶ事になった。

その後、映画は編集作業へ入った。私と監督、それに編集の大島ともよさんの地味な作業が延々続いた。かなりの時間を費やし、やがて出来上がった「武道館ライブ映画」は「OUR SONG and all of you」とタイトルされた。試写会が数度開催され、映画関係者、音楽関係者から絶賛された。そして急遽、映画として一般公開される事になったのだ。オリジナルの16mmフィルムは35mmへブローアップされ、当時「日劇」の前にあった「日劇文化」という地下の映画館で上映が始まった。2週間の上映期間中、映画館の周りは長蛇の列が出来上がっていた。

それから1年後、池袋の「文芸地下」という映画館でリバイバル上映されたのを最後に映画「OUR SONG and all of you」は姿を消した。それ以来まったく上映される事もなく、そのフィルムはひっそりと眠り続けていた。一度だけビデオ化の話しも上がったが、すぐに立ち消えとなり、その後1/4世紀の間、幻の映画として封印され続けていた。だが、熱烈な原田真二ファン達は忘れてはいなかった。記憶の中の映画「OUR SONG and all of you」を保持し続けていたのだ。

原田真二ファンのサイトでは今でもこの映画の話しが再燃する事がある。その時に出るのは「あの頃地方に住んでいたので、日劇文化にいけなかった!」と、観る事が出来なかった方々の悔しそうな発言だ。潜在的な「あの映画を観たい!」との思いはやがて21世紀になって満たされる事になる・・・。

もちろん私もずっと再上映を望んでいた一人だったのだ・・・。

2005年3月25日、突然事態は動いた!映画「OUR SONG and all of you」がDVD化され発売されたのだ! その情報を手に入れたとたん、私はWEBで探し通販で注文した。初めての通販方式「7&Y」WEBで注文し、自宅に一番近いコンビニ「セブンイレブン」で現金と交換に商品を受け取るシステムである。もともと商品の値引率が高い上に、送料がタダなのだ。当家の隣が「セブンイレブン」なので、受け取りになんの問題もない。不在配達にもならないので、その点でも安心だ!

2005年3月31日夜。私は映画「OUR SONG and all of you」DVDを受け取った。26年ぶりの映画との再会である。帰宅後すぐにMacで再生を始めた。映像は古いものなので、スクラッチやノイズ、ブレがあるが、確かにあの1978年に私が関与し作り上げた映像である。だが一部分違っている事があった。それは武道館のステージが始まった時だった!この瞬間からステージのサウンドはドルビー5.1chになるのだ!

映画の撮影が行われていたのと同時に録音されていたライブサウンドがデジタル化されオリジナル映像に加えられていたのだ。明らかにサウンドのクオリティーが上がっていた。ラストまで一気に観続けた。私も2カット登場していた。私だけが知る秘密だ。やがてラストのスタッフロールへ辿り着いた。あの日、私が手配して作ったタイトルロールだ。その中には私の名前も出てくる。当然、関様の名前も出てくる。

全てを観終えた後、特典映像があるのに気付いた。

現在の原田真二と龍村仁監督のインタビュー映像だった。懐かしい・・・。26〜27年の時を経て、画面の向こう側と再会する・・・。もう若くはない二人が当時と同じ思いを語っていた。私は今も、この映画製作に参加できた事を誇りに思っている。誰にも理解されないだろうが、私にとってこの映画は一生の宝なのだ!DVDのインタビュー現場にも立ち会いたかったと思う程である。

1978年初冬、映画「OUR SONG and all of you」が出来上がり、初めて現像所の試写室でラストロールに自分の名前を観た瞬間、私は突然!感情がコントロール出来なくなり、涙がボロボロとこぼれ始めた。嗚咽が出そうになり必死に堪えた・・・。それは、この映画の深部に携わったものだけが持つ感情だった・・・。



本日の結論
DVDパッケージのどこにも私の名前はない。

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