長髪的教師考
2005年01月20日 髪を切る理由!
 



「脱毛の危険の方が大きいのではないか?」

先週、北朝鮮が「長髪の撲滅キャンペーン」を行っているというニュースが流された。なんだか懐かしい香りがする内容だなあ・・・。日本でもずいぶん昔に似たような話しがあったね。かつて私が中学生だった時代の1967年頃、やはり日本でも長髪が流行り始めていた。流行のスタートはビートルズのマッシュルーム・カットだったのだろうか?私自身はまったく興味が無い髪型だったが、同級生がそのような髪型に近付くに連れ、嫌悪感を持ったものだった。今から思えば不思議な感覚だ。

当時は男子の髪の長さに世間は嫌悪感を表しただけで、それに理屈を付けて国家レベルで撃退しようとの動きは無かった。一部の学校では校則によりバリカンが持ち出され、教師が「長髪狩り」を行っていた事実もあったようだが・・・。そこに理屈は存在しなかった気がする。しいて言えば「校則だから!」なのだろうか。教師の主張は「不良化の防止」だったような気がする。

ニュースを見ていると北朝鮮国内では「髪を長くすると栄養分が髪に奪われ、酸素も髪に奪われるのでバカになる可能性がある」との啓蒙番組が流されているとあった。なんだそりゃ?さらに「男子の長髪を罵倒する女性」も出演していたのだが。その罵倒している女性は長い髪をしていた・・・。おいおい!髪が長いとバカになるんじゃなかったのか?女子は髪を短くしなくてよいのか?その「長髪はバカになる」論理を突き詰めて主張するのであれば「全身の毛を剃るキャンペーン」にしなければならなくなるが・・・。「国民全剃髪法」でも作って実行するのなら笑いながらも「アッパレ!」と一声かけてやってもよいのだが。単なるファッションの統制に理屈をこねるからお笑い事になっちまんだよね。

キャンペーン基準として「男子の髪の長さは5cm以下」と規定しているようだった。はげ隠しに年寄りは7cmまで認めるとも言っていた。どうも、私が持っている長髪のイメージからは程遠い長さの基準である。「僕の髪が肩まで伸びて〜♪」なんてな長さの話しではないのだ。本日の私の髪型は明らかに北朝鮮の基準を逸脱しているなあ。そろそろ散髪に行くか! (おいおい!北朝鮮に準じてどうするんだよ!)

なんてな長髪規制の話しを書いていたら、教師の言動に対してもう一つ思い出したことがあった。
中学三年生の頃に全校生徒集会の席上で教師が「バスケットシューズを履いての登下校は禁止」と言い出したのだった。今程多様にスニーカーが溢れていなかった時代、バスケットシューズはファッションでもあり、スニーカー代わりに履いているものがチラホラ出始めた時期だった。

それを学校側が禁止しようと動きだしたのだ。今回の北朝鮮長髪問題に似ている動きである。「ファッション統制」だな。だがそれは田舎の中学生に当時やっと芽生え始めた「ファッション感覚」だったのだ。名称は「バスケットシューズ」だが本質は「運動靴」である。靴を履いて登校するのにどのような問題があると言うのか?その部分を勇敢なる中学生は突いたのである!そして愚かにもバカな教師は信じられない論理で回答したのだった!

教師の本音としては「不良化の徴候」と言いたかったのだろうが、愚かにも「バスケットシューズは足首まで締め上げるので、転ぶと足首を折ったり捻挫する恐れがある!」とワケの分らないウソ理屈をマイクを通じて全校生徒の前で発したのである!

その瞬間、体育座りをしていた全校生徒は大笑いに包まれたのだった!私の在籍していたクラスにはバスケット部のメンバーが多かった。頭のいい奴らも多かった。すかざず生徒達の反撃が始まった。だが、反撃に出たのは日頃「こいつはバカ」と私が思い込んでいた「学年で一番の不良」だった。もちろんバスケット・シューズで登校していた一人である。

「バスケットボール部の生徒に、何故そのように危険な靴を履かせて運動させるのか?
 それほど危険であれば、まずバスケットボール部にバスケットシューズを履かせない指導をするべきでは無いのか?
 
 本来バスケットの激しい動きで足首を痛めないように、
 そして直ぐに脱げないように造られているのがバスケットシューズではないのか? 」

これらの反撃に対し、教師は何も言えなかった。つまり田舎の中学生と言えども教師の「嘘の理屈」に騙されるような稚拙な存在では無いのだ。なまじ「嘘の論理」を口にした事で教師側はそれ以上の論理的反論が出来ずバスケットシューズ問題は黙認せざるを得なくなったのだ。よく言われる「不良化の徴候」とはそれほどまでに根拠の脆弱なものだった。もっとも、反撃した生徒は「不良化の徴候」ではなくきっちり「不良」だったのだが・・・。ところで不良ってなんだ?人間に適用するには規定が難しい、いい加減な単語だよなあ・・・。

さらにもう一つ思い出した出来事がある。前にも一度書いた気がするが・・・。

高校生時代だ。春先は詰め襟の制服に学制帽をかぶり登校していたが、夏になり「この制帽はなんとかならんのか?」と汗だらだらになりながら思い始めた私だった。学生服も大嫌いだったが、制帽はとてつもなく嫌いだった。それは私だけではなかった。そんな状況の中でさらに問題が起こって来た。制帽を冠ってこない生徒が増えたために、教師による登校時の「制帽チェック」が始まったのだ。当然、生徒達は校門が見える位置まで来てからと制帽を冠る行動に出た。だが、生活指導の教師一人がそれをチェックするため校門より遥かに手前でもチェックする事態が起きた。



タダでさえ嫌なものを日々強制されるのである。勇敢なる高校生諸氏の怒りは頂点に達した!制帽の存在を何とか出来ないものか?生徒会長と仲がよかった私は作戦を立てる仲間に入った。そして全校生徒集会の開催を学校側に要求したのである。さらに「制帽着用の問題」についてをその議題のひとつとしたのだった。まさに1970年代初頭、学生運動ピーク時の出来事である。その影響がジンワリと田舎の高校にも押し寄せて来ていたのだ。だからといって私が左翼に傾倒していたのではない。あくまでもノンポリとして事態の進展を楽しんでいたのである!(今と変わんねえな〜!)

全校生徒集会開催はやはり体育館である。いくつかの議題の後に「制帽着用」について質問を開始した。

生徒代表は「なぜ、制帽着用が強制されているのか?」と論理的な回答を学校側に要求した。当然返って来るのは「校則にある」との通り一遍の答えだった。次に「その校則は誰が決めたのか?我々は合意した記憶が無い!」との質問には学校側は誰も答えられなかった。さらにここでよせばいいのに生活指導の教師がバカな論理を持ち出して来たのだった。

「通学時には交通事故等の危険がある。頭部保護の為に制帽を着用させているのだ!」

これ又、体育館中がお笑いであった。すかさず反撃が続いた。

「その理屈であれば、何故女子は帽子の着用を義務付けられていないのか?
 この程度の布切れで本当に事故を防止できると思っているのか?
 さらに、それが事実であれば何故教師は通勤の際に帽子を着用しないのか?
 夏場の発汗で頭皮が蒸れて脱毛の危険の方が大きいのではないか? 」

などと、生徒代表は言いたい放題であった。こうなると論理的に負けてしまい反論できない教師達は、さらに生徒代表の突っ込みを受ける事になった。この時点で生徒側は「校則を制定した当事者が存在せず倫理的説明が出来ないのであれば、当事者の我々が改訂要求しても問題ないはずだ!」と勢いは止まらなくなった。この場を収めるためには、着任して日が浅かった校長がなんらかの打開策を述べなくてはならない。生徒側にとってはこの時点で「帽子の着用の有無」が主たる目的ではなくなり、学校側と渡り合って屈服させる事にテーマが変容していたのだ。

直後、校長の苦渋の決断がなされた。「制帽着用に関し、ここで全校生徒の多数決をとり、その結果に学校は従う」と言い放ったのだ!選択肢は「制帽廃止」か「制帽着用」の二つだったが・・・そこでひとりの生徒が挙手をし意見を述べ始めた。「私は冠りたい!制帽着用をしたい者はしてもかまわないという選択肢が欲しい!」と発言したのだ。つまり「全面廃止」「強制着用」「自由着用」の3つが選択肢として並んだのである!

なかなか玉虫色の選択肢である。我々は「全面廃止」に持ち込みたかったが、学校側としては着地点として「自由着用」が最大譲歩であろうと当初読んでいた。多数決の結果、やはり「好きな人は御自由に冠り、強制はしない」の選択がなされた。これにより、ほとんどの男子生徒が翌日から制帽を着用せずに登校したのは言う間でも無い。校門でチェックする教師の姿も消えた。

それまで雨の日も校門でチェックし続けていた生活指導教師達の異様なエネルギーは一体なんだったのだろうか?これほど簡単に覆ってしまうほどの「意味のない強制へのエネルギー浪費」だったとしか思えないのだが。制服、制帽、その他ユニフォームには論理的「必然」が無ければ着用されない。軍服には機能がある。様々な職業で安全性を高め作業効率を上げるためコスチュームの工夫がなされているが、男子学生服に私はそれを感じられなかった。黒い詰め襟は苦痛だった。私にとって「苦しみの6年間」だったなあ・・・。そういやあなんで制服そのものの反対運動をしなかったのだろうか・・・。中途半端に青かったね〜!

当時の生活指導の体育教師はその後、別の取締対象をきつくし始めた。つまりその教師にとっての「取締の本質」は「支配の快感」であって「生活指導」ではなかったようだ。厳しい体育教師として恐れられていたが、ある日を境にその教師は急に驚く程おとなしくなってしまった。なぜだろうかと探りを入れたところ、体育教師は学校の裏手に呼び出され生徒にボコボコにされたそうだ。「論理性のない取締り」にキレた下級生がやったようだった。独裁的支配者はいずれそのような反撃を受けるのだ・・・(規模がちっちぇ〜!)


話しを戻そう。
髪の長さが国家的に規制されるのが変なのは誰しも理解できるが、今日の私は「髪を切りたい!」と思っているのだ。かつて若いころ肩まで髪を伸ばしていた時には「もう二度と髪を短くする時代は来ないだろう!」と思い込んでいたのだが・・・。本音は、髪を短くさっぱりしたい昨今なのである!さらにこのところ寒い日が続くので帽子も冠りたいなと思っているのである! (なんだよそれ!)

*ここに書かれている生徒と教師の会話はすべて「宮崎弁」で交わされたが、
 掲載にあたり論理的かつ標準語化したものである(論理的か〜?)

いま気付いたのだが・・・最近「学制帽」を町中で見た記憶がない・・・。全国的に「制帽」はどうなっているのだろうか?ほとんど絶滅したのだろうか?絶滅したとしたらいつ頃なのだろうか?それともしぶとく生き残っているのだろうか?



本日の結論
昨日髪を短くした。あ〜サッパリ〜!

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