郷愁的夏休暇
2004年07月26日 山や川があったのだが・・・!
 
 


「夏休みの時期が来る度に浮かぶのは」

夏休み真っ盛りだ!すでに部下の中にはたっぷり休みをとった者もいる。1週間の海外生活を楽しんできたようだ。しかし!歴史的な記録となった先週の「灼熱地獄」を彼女は体験できなかったのである!これは日本在住関東人としての共通体験を一生涯失ったまま生きて行かなくてはならないのだ!おおお〜!なんと勿体無いことをしでかしてしまったのか!

「とっても暑かったらしいわね!でも私NYに行ってから知らないのよ〜!」

なんてなことを、あの「灼熱地獄」の話が出る度に彼女は繰り返すのだろうな・・・。

今を去ること16年半前、昭和天皇崩御に際し私は旅行でHAWAIIに居た。翌日、日本へ向かう飛行機に乗り込んだ。ゆえに、昭和から平成に変わった「オブチさんが平成の文字を掲げた瞬間」をリアルタイムで体験していないのだ!あの激震の数日間のうち当初の2日間が体験できなかったのは、私にとって一生涯の損失なのである!なんてなことを私も何度口にしたことか・・・。

話を夏に戻そう。幼い頃の夏休みは果てしなく長い休みだった。やることはいくらでもあったし、やらなければならないことも沢山あった。行くべき場所も、御盆には父の実家や母の実家と確実に存在した。海に行き、川に行き、金は使わず体力で遊んだ。テレビも無く、ましてやゲームマシンも無く、遊ぶための道具は全て自分達でつくり出していた。西瓜は井戸水で冷やされるのがお約束だった。

テレビが普及する前と後で、子供達の夏休みが大きく変化した気がする。当家にテレビが設置されたのは私が小学3年生の時だった。NHKではSFドラマの「不思議な少年」とか。アニメでは「フィリックス」や「チロリン村とくるみの木」なんてな人形劇をやっていた。アメリカのウエスタンドラマ「ララミー牧場」もこの時代だ。西田幸子の「アカシアの雨にうたれて」がヒットしていたなあ・・・。

テレビが存在しなければ、当然ながらそれに拘わる時間は存在しない!テレビを見ながらの夜更かしも存在しなかった。

実は私は小学校を3つ経験している。小学2年生までは宮崎県小林市の田舎に住んでいたので、周りは山や川などの自然に溢れていた。遊んでいて喉が乾けば、迷わず川の水を飲んだ。クリーンな自然を相手にした遊びは幾らでも見つけることが出来た。そんな時代でもテレビはかろうじて住宅地の数軒が持っていたので、特に見たい番組は仲良くしている家に上がり込んで見ていた。この光景は、今から考えるととても不思議なものだ。

夕飯の時間のいわゆるゴールデン・タイムになると茶の間に、近所の子供をメインとし大人もちらほら混じった他人がズカズカ上がり込んでいたのだ。それが日々続くのである。今の都会の生活ではとても考えられない日常だ!それを当然の事として受け入れていた「テレビのある御家庭」の皆様にいまさらながら感謝する次第である! ちなみに、盆暮れには母親が「砂糖」をお礼に差し入れていたと後年になって聞いたなあ。

まあ、こんな話をいまさら繰り広げたところで、今の若者に理解できる状況ではないのだろうな。夏なのに、冷蔵庫も無ければ扇風機も無かった。ましてやクーラーなんて存在はまったく知らなかった。だが、そのぶんだけ自然の風はやさしく涼やかだった。そんな私の子供時代なのだ。それを貧しいと感じたことは無かった。他の家もほぼ同じレベルの生活だった。子供時代の記憶はそんな貧富のレベルを飛び越え、長く楽しかった日々の記憶が強く残り続けている。

当時の子供にとって墓参りは移動距離がとてつもなく大きいイベントだった。交通機関が発達していなかった時代に、バスや電車に乗って遠くに出かけるのは非日常だったのだ。今から考えると、その距離は私が日々通勤で移動している距離より短かったのだろうな。私が持ち続けている「原風景」は私の記憶の中にしかない。時の流れが、今では実在しない風景へと変化させてしまったのだ。



私が上京したばかりのころ「宮崎なまり」があり「田舎者」としての劣等感が多く存在した。やがてその劣等感は年月を経ると共に、日本の原風景を記憶にとどめている優越感へと変化して行った。東京に出てきてから知り合いになった人々の中には「故郷」が東京である方が何名か存在する。今まで私が書いてきた「自然溢れる日本の原風景」を持たない人々である。私には狂おしい程の子供の頃の風景に対する郷愁がある。都会で生まれ育った方々には何が「郷愁」なのだろうか?と・・・ここまで書いてきてふとある事実に気付いた!

私も妻も九州出身だ。どう考えても田舎者である!しかし、当家の娘は、東京生まれの神奈川育ち。彼女の「望郷」や「郷愁」はいったいどこに存在し、何が「原風景」として映っているのだろうか?

と・・・毎年夏休みの時期が来る度に浮かぶのは「切ない望郷感」である。

そんな時、WEBで宮崎県小林市について調べてみたところ、意外な事実が浮かび上がってきた!市町村合併話しが持ち上がっていて、新しい市の名前を募集していたのだ!おいおい!まかり間違えば、風景だけではなく私の唯一の幼少期の記憶のよりどころであった「小林市」の名前そのものが消失してしまう可能性が出てきたと言うのか?お〜い!頼むからそこまでは消さんでくれ〜〜〜!!!



本日の結論
今の私は夏休みをとったとしても、いまさら行きたい場所が見つからないなあ・・・。

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