読了的自我喪
2004年05月28日 どっちがどっちで・・・!
 



「自分がもう1人存在している」

これまたBOOK OFFで100円コーナーを覗いている時に見つけた本だ。北川歩実の著書はこれで2冊目。後から読んだこの「僕を殺した女」がデビュー作であると読み終えてから知った。ジャンルとしてはミステリーなのだが、一風変わった内容だ。「記憶喪失ミステリー」と腰巻きに書いてあるが・・・。。

「ここはどこ?」酒を飲み過ぎた翌朝に目覚めた瞬間そう思った経験はないだろうか?だが、その時「私は誰?」と思うことはまずないはずだ。短期の記憶喪失になっても酔いから醒めたら自我はちゃんとしている。自分で自分を疑うことはまずない。では自我とはなんだろうか?「我おもうがゆえに我あり」の言葉通り、自分を自分として認識することで「我」は成立しているのだが・・・。

私達は自分がナニモノであるのか?一般的な解釈での意識はある。だが若きころ「自分を見つめる」ことに目覚めると「私はなにものだろう?」あるいは「私ってなに?」とか、この肉体を持ち、この顔を持ち、鏡の中に映り込んでいるコイツはナニモノなのだ?と自分自身を客観的に見つめることがあった。そんな小説が「僕を殺した女」だ。

だが・・・この小説のシチュエーションはさらにその上を行く異常な状況からスタートする。

ある朝、自分のマンションで目覚めた主人公「僕」は、ふと部屋の様子が違っているのに気付いた。部屋の間取りは同じに見えるのだが、調度品が違っている。さらに、隣の部屋に全く見知らぬ男が寝ていたのを発見し仰天する。酔っぱらって知らない人の家に泊まってしまったのか?とりあえず、シャワーを浴びようと浴室へ入るが・・・。服を脱ぎ去った時、鏡の中にあったのは若い女性の肉体だった。

「僕」は自分の胸を触ってみた。確かに自分の体のようだが、その膨らみと柔らかさに違和感があった。股間を触る。そこにも存在感のない違和感があった。自分は「男」のはずなのに、存在しているのは「女」の肉体。「自我」は男なのに・・・。服のポケットを探ると女性名のクレジットカードがあった。全く知らない名前だ!「おいおい!だったら僕は誰なんだ?」

この状況が自分に起きたと想像してみよう!女性の場合はもちろん「女」の自我に「男」の肉体を持っている状況と考えていただきたい。自分の記憶の中に別性の部分がまったくないのに、自意識がはっきりしているのに、肉体だけが違っているのだ!うおおお〜〜〜!!!幼いころから育ってきた自分の人生の記憶がある。確かに自分は今持つ肉体とは違う性別で生きてきたはずなのに・・・と、まずは、うろたえるはずだ。何が起こったのか?何が起こっているのか?

これは、映画「転校生」でも見られたシチュエーションだ。男女の精神的入れ代わり現象はSFとして考えればありがちな状況設定だ。だが・・・この本は「SF」ではない。「記憶喪失ミステリー」なのだ。ミステリーである以上、最終的に合理的な論理性をもって謎が解かれなければならない!

さらに、この話が複雑化して行くのは「僕」が持っている「自我」が「自分の名前」だと信じている名前を別の人が名乗っていることだ。さらにその人物は「僕」から見ても「記憶の中の僕」にしか見えないのだ!さ〜て困ったことになった!「僕」の自我が認識する「自分」がもう1人存在している状況なのだ!ドッペルゲンガーか?ますますワケが分らなくなって行くぞ〜!「僕」はいったい誰なんだ?誰なんだよ〜〜〜!!!

と、主人公は混乱しつつ、読者も混乱しつつ「論理の渦」に巻き込まれて行くのだ。疲れるぞ〜!

どんでん返しの直後にいくつものどんでん返しがあり、最終的には謎が解きあかされ「僕」は自分が何者であるのかを知ることになる。解明されて行く行程は辛抱強く丹念に読み進まないと「論理」を見逃すことになる。じっくりと理解しつつ読破していただきたい!とんでもない論理で作者は攻めてくるぞ〜〜〜!!!



本日の結論
自分は本当は何者なのだろうか?この歳になってもまだそんなことをふと思ったりして・・・。

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