時間的感覚談
2004年05月06日 記憶と時間の距離!
 



「とうとう文脈が乱れはじめた!」


本日は書きはじめるにあたって、まだテーマが無い。行き当たりばったりで書いてみる。とにかく書きだしてみる!

今日からまた仕事が始まり、日常に戻った。そして・・・出勤電車に乗っている時間がとてつもなく長く感じられた。たった1週間の休みでこれほどまでに感覚が違ってくるとは・・・。だがすでにゴールデンウイークの過ごし方で、自分の感覚の中でとんでもない時間の錯誤を発見していたのだ。その感覚の違いと記憶について本日は書いてみることにする。

まず、ゴールデンウイーク前半の実家への帰省では、先日御報告した通り様々な出来事があり、ドタバタと時を過ごしていた。周りの環境の状況もあるのだろうが、一日が長く感じられた。日々が充実していたというより「無駄な時間が少ない」感じだ。非日常性がそう感じさせたのだろうか?それだけでは無さそうだが。

そして、川崎の自宅に戻り過ごしたゴールデンウイーク後半は、それこそ「矢」のように過ぎて行った。早すぎる時間経過。自分でも驚く程の時間に対する感覚の違いがあったのだが・・・。その違いはどこから生まれたのだろうか?

まず、コンピュータの存在がそうしている可能性がある。私は仕事上でもプライベートでもMacの前にいる時間が多い。ということは、常になんらかの文章を書いている時間が多いということだ。さらに自宅では画像処理したり、ギターを触ったりとあれこれ遊んでいる時間も多い。と同時に傍らのテレビをつけっぱなしにしてニュースを中心に番組を一日中眺めている。テレビに関しては業務上の情報収集の一部だ。現在流されているコマーシャルを見る必要が在るのだ。

だが、帰省中はほとんどテレビを見ることも無く、コンピュータをいじることも弟の自宅でほんのわずかだけだった。このことで浮いた時間が実は膨大に在るのでは?と気付いた。その浮いた時間に、墓参りをやり、マージャンをやり、飯を食い、旧友と会い、散歩をし、本を読んだ。これが濃厚な時間を生んだのだろう。

旧友達と食事の際に「●●君覚えてる?」と聞かれた。「覚えていない」と答えたが、すぐに「黒子があった●●君よ!」とさらに聞かれた。まったく思い浮かばない・・・。37年程前の同級生なのだが、どうしても思い出せなかった。私の生活基盤が関東地方に移って34年目である。まったくといっていいほど関与していなかった故郷の情報を、突然聞かれてもまたく思い出せない・・・。それが地元の旧友には不思議に思えたようだ。永年使わない記憶の引き出しは錆び付いてしまうのだろう。

5月4日と5日は天気が悪いとの情報から出かける予定も無かったので「DVD三昧」をしようと、4日午前中に近所にできたばかりのビデオレンタル「GEO」に向かった。会員登録を行い2日間で観た映画は7本。よくもまあ、ぶっ続けで鑑賞できたものである!だが、ここに問題が残った。私の記憶に初日の映画の題名が1本だけ残っていないのだ!ううう・・・なぜだ?何故思い出せないのだ?内容も全く思い出せない・・・ううう・・・2日前の出来事なのに!(老化現象!)

5月4日 「英雄」「ノイズ」 「?」

5月5日 「SIN」「トゥームレーダー2」「ターミネーター3」「ブルース・オールマイティー」

そんな脳の働きに関して気になっていたのでBOOK OFFで見つけた養老孟司の本を買ってみた。「記憶がウソをつく!」がその本だ。人の記憶は、都合の良いように物語り性を持って作り替えられると。さらに、3年経って消えなかった記憶はずっと消えずに残るのだという。昔の記憶が美しく都合良く残っているのは、そのように作り替えられているからだ。

もともと、人間の体は新陳代謝で細胞が入れ代わり続けている。現在の肉体は細胞が全て入れ代わり、3年前の肉体とは全く違うものに生まれ変わっているのだ。記憶もピュアなまま残り続けていると考える方が不自然であるという。

自分が真実だと想っている記憶には「嘘」があり、特に老人からの聞き取り調査には「裏付け」を取らないと危ないと書かれていた。遠い記憶はねじ曲げられ都合良く記憶されているのに気付かず「これが私の目撃した真実!」と主張されてもそれが真実だとは限らない。自分自身を振り返っても、過去の出来事を人に語る時、わずかながら「盛り上げ」の造り話が入っていると感じられる時がある。この独断倉庫だってそんな「無意識の作り話」だらけであると言えなくも無い!(間違い無い!)

記憶は脈略のない点在したものは残りにくい。そこで辻褄をあわせるためにストーリー性を持った記憶にすり替えられて行く。私の記憶の中に在る様々な出来事も、実は自分自身の都合が良いようにねじ曲げられて保持されているのだろうな。自分で自分の記憶を疑ってかかるというのはなかなかできることでは無いが、そろそろそんな検証もやってみるべき年齢に達したような気がする。

で、話は突然飛ぶ。

ビデオレンタルの会員登録の際、あららら!と思えるシステムの案内がされたので、ひとこと書いておこう!皆様は「JAF」を御存じだろうか?年会費を5000円程度払って受ける「ロードサービス」のことだ。車のパンクや、キーの閉じ込め、ガソリン切れ等のトラブルに対し、24時間対応で救助に来てくれる有り難いシステムである。車の所有者には必須のサービスなのだが・・・。

先日、車を買い替えた時にディーラーのサービスとして「JAF」の会員カードをプレゼントされた。1年間使える。その際に「同じようなロードサービスが増えてきたので、最近JAFの会員数が減っているんですよ!」と気になること聞かされていた。そして、ビデオレンタル屋入会の際にその現状が判明したのである!

クレジット・カード機能を持ったレンタルビデオ屋の会員証を作り、年間に1回でもそのクレジット・カードを使うと、それ以降なんとロードサービスが1年間無料で受けられるというのである。DVDを借りる時にクレジット決済すれば、それだけでロードサービスが1年間無料になるのだから、こりゃあいくら老舗とは言え「JAF」の立場は弱くなるはずだ!「JAF」は5000円。こちらは無料。あなたはどちらを選ぶ?

ほら・・・とうとう文脈が乱れはじめた!私は記憶と時間の錯誤について書こうと想っていたのに、もうその前提条件が崩れつつある。この短時間内でも記憶が保持できないのだろうか?乱れついでにさらに別 の話へ飛ぼう!

今回の帰省でもう一つ感じたことがあった。平凡な日常の連続は感覚を鈍らせる。思考が同じ場所で空回りする。混沌が混沌を生み精神状態が埋没していく。そこから抜け出すために、あれこれ長い間もがいていたが・・・。今回の帰省を期に「たまには旅をしよう!」そう感じ始めたのだ。現実に体を動かし旅をするには時間と財力が必要だ。どこまで実現するかまだ分からないがね。

さらにさらに、ここまで書いてきて気付いたことがあった。時間経過の感覚の違いは、肉体を動かすかどうかでかなりの違いが在るのでは?帰省中は近所ではあるが肉体を頻繁に移動させた。だが、自宅に戻ってからはジッとモニタの前かテレビの前に座り込んでいたのだ。無意識に旅をしたいと考えはじめたのは、実は「身体を動かす」ことが目的ではないのだろうか?

もっと、帰省で感じたことは時間の活用の為に東京より「車」と「携帯電話」が有効な道具であること。狭い地域で交通 量が少なければ、車の威力にはとてつもないものがある。地方都市の郊外には、やたらとチェーン店がひしめいている。東京方面 と似たようなものだ。だが、郊外といっても自宅から10分程度でその世界へ突入するのだ。東京で1時間〜2時間も渋滞の中を出かけるのとわけが違う。思い立ったらすぐにいけるのだ。都会で想っているより、田舎暮しには時間と距離が関係ない、効率的な新しい世界が生まれているぞ!

なんてね、ここまで書いてきて・・・どうなのだろうか?この文章は何かの役に立つのだろうか?(暇つぶしの役に・・・)



本日の結論
ほらね!最近は時間と記憶と願望がカオスとなって押し寄せているのが自覚できているんだよね!
ちなみにど〜しても思い出せなかったDVDのタイトルをその後調べたところ、
「戦場のピアニスト」でありました!なんで忘れるんかな〜・・・。

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