宮崎的孤独感
2004年05月03日 帰省の日々に孤独があり!
 

何故、宮崎の人々はこれほどまでに並ぶのか・・・意外な理由があった!


「コドクが出た!」


久しぶりの更新だ!だらだらと書き綴ってみるので、てきとうに読み飛ばしていただきたい!

私のゴールデン・ウイーク前半は墓参の為、九州は宮崎の実家に帰省していた。墓参だけではなく、実弟が家を建てたばかりなので、その新築祝いも兼ねての里帰りなのだ。ではその全貌を御覧いただこう!

4月27日午前中、今年はどうしようと悩んでいた。父の命日が4月29日なので、ゴールデンウイークが近付くと「墓参に行かねば!」と思うのだが、なかなか実現しない。今年はどうする?気になっている仕事がなかなか片付かない為、今年もダメか・・・と諦め始めていた。そしてついに28日午後になり、母へ「帰省できない」のメールを送った。さらに義妹に「墓参用のバラの花」を届けるように頼んでおいた。ところが・・・。

午後16時頃になり、気になっていた仕事が急に片付いたのである!うおおお〜〜〜!!!どうする?どうするよ〜〜〜!!!つい数時間前に「帰省できない」と連絡したばかりなのだ。今さらゴールデンウイークの航空券が手配できるのか?取れなければ諦めるしかないが・・・。

JALのメンバーズカードを所有している私である。すぐにWEBに会員番号を打ち込み検索すると・・・ふっふっふ・・・あっさり往復共に確保できたのである!クレジットカードで購入もWEBで完了!チケットレス扱いなので、後は搭乗直前に空港へ行けば良いだけだ。ちなみに、WEBでチケットレスの買い方をすると、宮崎方面 はノーマルより片道で4000円も安くなるぞ!

そうだそうだ!妻はどうするのだ?電話で確認すれば、あっさり私の一人旅が決定した!

4月28日仕事の後、会社から直接羽田空港へ向かう。いくつかの手みやげを買い込み、飛行機は定刻に飛び立ったが・・・実はそのころ空港で大騒ぎが起こっていたのだ。空港に侵入した車が、滑走路を走り回り、大捕り物の騒ぎに発展していた。最終的には車が海に落ち運転者は亡くなったようだが・・・。ニュースによると覚醒剤反応が出たとか。フライトに影響が出なくて助かったぞ!

母と弟が空港に迎えに来ていた。肌寒い・・・。気温13度。まいった!暑いはずだと思って薄物しかもってこなかったなあ!まずは夕御飯を食おう!私は迷わず「あかえラーメンに行こう!」と提案した。ここなら弟も異論は無いはずだ。だが、あっさり反撃を食らった「もう20時を過ぎちょるかい、やっちょらんが!」ううむ・・・地方文化都市では20時にはラーメン屋は閉店してしまうのか・・・。早すぎる閉店時間である!ううう・・・食いたかった・・・。

気を取り直し、次の店に向かった。「レストラン おぐら」ここも帰省の度に行く定番の店だ。名物は「チキン南蛮」チキンの空揚げを甘酢に漬け込み、甘めのタルタルソースをたっぷり添えたものである。以下がその画像だ。最近は東京方面 でも「チキン南蛮弁当」などの品がコンビニで売られているが、本家とは全く趣が違うのだ。元祖にはとんでもないボリューム感があるぞ!


義妹に頼んでいたバラの花束を弟が実家に届けてくれた。豪華である!その夜は、弟の家には行けず。満腹感であっさり実家で就寝。

帰省2日目、4月29日。朝から快晴!スッキリと晴れ渡り、いかにも南国の朝だ!9時には弟家族4名が車でやって来た。墓参に出かけるぞ〜〜〜!!!墓地公園に立つと直射日光がキツイ。朝なのにジリジリと照らしてくれる!特に頭が暑くなって来た。弟の娘二人は暑いあついと喚きだした。ふっふっふ・・・。こんなことだろうと、東京からバンダナをたっぷり持って来ていたのだ。頭に巻くようにと、女性たちにバンダナを渡した。なんと気がきく「おじさま」であろう!

だがここから先、波瀾の一日が始まったのである!そもそも母は、私が帰省するとの連絡をした時点ですでに様々なスケジュールが確定していたのである。地区の役員をやったり、卓球の練習があったり、麻雀の日であったりと、昭和2年生れと言えども、母は大忙しなのだ。



朝のうちに墓参を済ませると、母はその日夜中まで忙しい身なので、本日は私の相手をしている暇は無い。さらに弟は前日引っ越しが終わったばかりで、その片づけに没頭している。私の相手をしている時間は無い。久々に帰省したのに、ファミリー一同に見放され、私は身の置きどころが無いのであった!ううむ・・・!と、その時、母はこう言うのである。

「今日はYちゃんとこにいっちょきない!」(Yさんの家に行っていなさい)

「Y」さんとは私のいとこであり「M嶋」さんである。昔から母を「まさこねえちゃん」と呼び、仲のよい親戚 なのだ。遊びに行くのはやぶさかでは無いが、一つ気掛かりなことがあった。「Y」さんは女性であるが故に喋りが好きなのである!いったん話を始めるといつまでも喋り続けるのである!果 たして私はそれについて行けるのだろうか?

M嶋家は墓地公園の近所。無事墓参を終えた私を送り届けるには便利だ。私は10時過ぎ「M嶋家」に送り届けられた。母はそこで「Y」さんに向かってこう言ったのだ。「敏彦を預かって!」おいおい!俺は学童保育児かよ〜〜〜!!!

かくして私は、囚われの身となり「言葉の渦」に巻き込まれたのである!積もる話や昔話、父のあれこれと尽きることは無かった。私もかなり反撃してみたが、すぐに喋りに疲れが出始めた。やがて昼食時間となり、御主人と3名で出かけることにした。そこで、Yさんはこう言う。

「ケイにいこうや!」

私には意味が良く分からなかったが、取りあえず「学童保育児」としては言うなりに動くしか無い。素直について行った。表に出るとそこには車があった。「軽自動車」である。はああ、御主人の普通 車ではなく、Yさん用の「軽」で行こうとの先ほどの発言であったのか〜!「ケイでいこうや!」の聞き違いだったのだろうな。


「軽」に乗り込み数分走れば、もうそこは昼食の為に予約した店。車から降り店の構えを観て笑ってしまった。店の名前が「圭」だったのである!ううむ・・・「圭」と「軽」か・・・。とんだ「ケイ」算違いだったな!バランスが取れた旨い昼食であった!


食後、さらに怒濤の事態が生まれた!まずは怪し気な電話がその始まりだった。
掛かって来た電話で伝えられた言葉が急激に秘密結社を動かし始めたのだった。「ありがとう!」と電話を切ると、Yさんは伝言ゲームのごとく次々に「コドクが出た!」「コドクが出た!」と、友人達に電話で伝え始めたのだ。秘密結社の合い言葉は「コドクが出た!」のようである。確かに私はその時点でファミリーに見放され「孤独な帰省」状況であるように見えるのは納得できる。しか〜し!人々に伝え回る程の状況では無いはずだが・・・。

「コドクが出た!」とはいったいなんだろうか?

「コドクが出た!」と伝えた近所の御夫婦がさっそく車でやって来た。全員が慌てている。私も追い立てられるようにM嶋さん夫妻と共に車に乗り込んだ。向かう先は宮崎空港。空港もすぐ近くなので、10分で到着した。ここで、一番上に掲げた写 真の状況が生まれたのである!



秘密結社が使うコードネーム「コドク」とは・・・。宮崎には、かつて皇太子が宮崎で焼酎を飲まれた際に「これは旨い!」と誉めたたえたことで一気に有名になった「百年の孤独」という名の 焼酎がある。ちなみに「百年の孤独」は、ノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスの本で有名なタイトルである。この画像に並ぶ人々の中で、この本を知る方は何人いるだろうか?ちなみに私は17年程前に読んだなあ。


その焼酎「百年の孤独」がかなり前から品不足となり、地元では手に入らなくなっていた。そんな品不足のはずが、東京では飲み屋に行くとたいていは置いてある。つまり、飲み屋の出荷用に出回ってしまい、地元の流通 量が圧倒的に少ないのだ。さらに「百年の孤独」は現在1本2,880円で販売されているが、WEBオークションではなんと7,000円〜9,000円程度で取り引きされているのだ! さらに通販の店で調べてみると12,000円でも販売されていたのだ!ブッタマゲである!10年前は定価1,500円の焼酎なのだが・・・。

さて、話しを戻そう。
有人知人に「百年の孤独」が手にはいらないか?と問われた宮崎人は「なんとかしよう!」と思うはずである。さらには「買い置きしてオークションにでも出すか!」と換金商品としての価値も「百年の孤独」に認めているのである!しかし、なかなか一般 人には手に入れ難い「百年の孤独」なのだ。

そこで秘密結社が生まれた。空港の土産物店には時々出てくる幻の焼酎「百年の孤独」がある。だが、不定期であり、決して事前に知らされることは無い。そこに目を付けた暇な人々が、お互いに「百年の孤独」ウォッチャーとなり空港の売店を覗くのである。そして販売開始の看板を見つけると「コドクが出た!」との合い言葉が連絡網を駆け回るのである!

店頭に並ぶ「百年の孤独」の量は極めて少ない。連絡があれば何をともあれ、すぐに車をすっ飛ばし空港売店へ急ぐのだ。今回の我々の動きがそうであった。果 たして自分の分まで在庫はあるのだろうか?不安が過るが列の最後に並ぶしか手は無い。お一人様1本限りの販売だ。変装して並び直しは禁じて手で、必ず排除される仕組みになっている。


孤独な人々の群れである!

15分後、我々一行は無事に「百年の孤独」を手にし帰路につくのであった。ふ〜〜〜っ・・・。ちなみに受け取った時、列を振り返ればまだ100人程並んでいた。たぶん最後の方は無理だろうな・・・。

その後、M嶋家に戻り一気に麻雀大会に突入!適当に勝ち負けが続き、私の負けは-12となった。やがて又しても食事の時間が迫って来た。そこで選択されたのは再び「圭」であった!おいおい!またかよ〜!って思ったものの、旨いのだからまあいいか。そこで先ほどの5名揃って出かけた。



夜の部もお任せコースで旨い!これでお一人様2,000円だと聞いた。安い!行きつけの店になるはずだなあ!ところでこの店で気になったのはコース最後の料理だった。以下にその料理の画像を掲載するがいったいなんだかお分かりだろうか?



これは「納豆だんごの空揚げ」なのだ。かぶりつくと、中はまさに納豆のカタマリである。全員がこれを旨いと誉めていたが・・・。いつからこうなってしまったんだろうか?私は18才で家を出るまでに納豆を口にしたことは2度しか無い。ましてや自宅で口にしたことは一度もない。そもそも宮崎ではかつて、一般 的に「納豆」がほとんど販売されていなかったのだ。宮崎の伝統的食文化に「納豆」の影はまったくない。それが今では、当たり前のように料理として「納豆」が供され受け入れられている。故郷を出て34年目にして感じた、明らかな食文化の変化であった。

食後もまた麻雀大会の続きである。私にもまた参加するように誘われたが、そろそろ精神的「脱出モード」の態勢に入っていたので、こっそり弟に携帯電話で迎えを頼んだ。弟は引っ越し荷物がまだ片付いていないようだが、私はかまわないのだ!義妹が子供達と車でピックアップにやって来た。

弟の新居にたどり着けば、なかなか小じゃれた樹の香り豊かな家だった。面白いゆったりとした造りである。あれこれ積もる話をだらだらと続け深夜に実家に戻った。中身の濃厚な一日だったなあ。

帰省3日目、4月30日。私は母から頼まれて麻雀の一員に組み込まれていた。実家で週2回開催されている定例麻雀日なのである!12時半になり麻雀仲間のおばはん達が集まってきた。思い起こせば、前回の帰省時にも同じメンバーで麻雀をやらされたが、その時は私の一人勝ちだった。で、今回の結果 は・・・私の独り負けであった!これは親孝行の結果だと思っていただきたい!(単に負けただけだろ?)2日間、大負けをしても900円程度だ!実に平和な麻雀である!

その夜、弟の新居にいる時突然、宮崎在住の登録会員00152吉田様がやって来た。現役の医師である。もともと実弟の同級生なのだ。もちろん恒例の貢ぎ物もいただいた。ありがたい御好意である!この貢ぎ物に関してはまた別 の機会に御紹介するとしよう。

帰省4日目、5月1日。

ついに天気が悪くなって来た。薄ら寒い。実家には私が昨年から送り続けていた「ミステリー本」や「ハードボイルド本」が山積みになっていた。120冊はあるだろうか?母もそろそろ処分したいと思っていたようだ。そこで、近所のBOOK OFFで処分することを考えた。この量があれば引き取りに来てくれるシステムのはず。電話で交渉した結果 、明日5月2日11時に引き取りが決まった。

お昼になったので、念願の「あかえラーメン」に弟を誘った。もちろん車で迎えに来てもらう。何故「あかえラーメン」なのか?九州ラーメンと言えばトンコツなのだが、私が東京方面 で口にするトンコツラーメンは、いずれも私が知っている宮崎の味では無いのだ。

「あかえラーメン」は一般的なトンコツスープよりもあっさりと薄味である。細いたっぷりのモヤシと独特のチャーシューが他では味わえないものだ。私のラーメンの味に対する基準はここにあるような気がする。一気に食い終わり満足!その後、弟の家でだらだらと過していたが、夕方になり「ハンズマン」に行こう!と弟の子供達3人を連れて出かけた。

弟の子供達は、皆素直で元気に育っていた。彼等にとって私は初めて見る「おじさん」である。どう見えているのだろうか?長女が誰かに似ていると思ったのだが・・・数分後「田中麗奈」顔をしていると気付いた。さらに私の子供の頃の顔にも似ていると感じた。そうなると、私と「田中麗奈」が似ているということになるのか?ふ〜ん・・・。

「ハンズマン」はD.I.Y.の大きな店だ。家一軒建てられる程の資材が売られている。で、店内をしばらくうろうろしていた時であった。突然声をかけられたのである!

「おひさしぶりです!M嶋の次女です!」

おおお!!!なんと言うことだ、12年前に会ったのが最後だったはずだ!それがどうしてここにいるのだ?聞くと仕事の帰りで、傘を買いに立ち寄ったそうだ。この店には年に3〜4回しか立ち寄らないと聞いた。私も生まれてはじめて来た店だ。まさに奇遇と言える出合いだな。更にその時、私の携帯電話が鳴り始めた。

「福浦です!しばらくコンピュータが壊れていて、今日になってようやくメールを読んだっちゃが!」

登録会員00084福浦様からの電話だった。帰省する直前に、私の携帯電話の番号をメールで知らせておいたのだ。今夜は私に用があるので、明日の午前中に私の実家で会おうと約束した。やがて夜が来た。旧友達と繁華街の飲み屋でミニ同窓会である。会場に行ってみると私が一番乗り。その時、集まるメンバーの顔を思い浮かべてみると、実は登録会員00084福浦様も同級生であることに気付いた。すぐさま「出ておいでよ!」と携帯電話で呼び出し、合流することになった!その後はいつものごとくダラダラと飯を食い、話し込み夜がふけていった。

帰省5日目、5月2日いよいよ最終日である。朝からポツポツと雨が落ちている天気。やや蒸し暑い。
朝っぱらに電話が掛かって来た。BOOK OFFからだった。社員が休んでしまったので本日引き取りに来られないとの断わりの電話だった。引き取りは翌日になると言う。なんだかなあ・・・。

その時、ふと昨夜の話を思い出した。登録会員00084福浦様も本好きなのだ。この中に読みたい本があるはずだ。手みやげも渡しそびれていたので、電話を掛けてみた。家が近いので10分程で彼はやって来た。で、話しているうち「BOOK OFFに売りに行こう!」と盛り上がってしまった。予約していた店とは違うのだが、かまやしない!最初の店には断わりを入れれば良いのだ!

福浦様の車に積み込み10分後BOOK OFF到着!母も参加である!予測金額は4,000円あれば上出来だろう。15分後計算が終わってみると、サービス券450円分と返って来た現金を合わせて約5,000円にもなった。わっはっはっは〜〜〜!!!BOOK OFFで購入し再びBOOK OFFに売ったことで、1冊あたり60円で読んだことになる。さらに私と妻、それに母の3名で読んだのだから、実質的には1冊あたり20円で読んだ計算になる。大笑いの結果 となったなあ!

3日前の焼酎「百年の孤独」のドタバタ騒ぎの話を福浦様にしたところ笑われてしまった。ところが・・・彼は笑いながらも言うのである。「百年の孤独は、並ばんでも定価で手にはいっとぢゃが!何本いっとね?」(百年の孤独は、並ばなくても定価で買えますよ。何本必要ですか?) ううむ・・・蛇の道は蛇・・・。世の中には独自に開発されたルートがあるんだよなあ・・・。

福浦様は、ジャズ好きであると言う。初めて知った事実である。そろそろ子供からも手が離れ始めたので、ギターを習いに行きたいと言っていた。ここにもまた六弦好きがいたなあ!

最後に帰省の仕上げとして昼飯に「豊吉うどん」を食った。このうどんは「川端康成」が旨いと誉めたことで地元では有名である。高校の近所だったので下校途中によく食べていたなあ。先程稼いだBOKK OFFのお金で豪遊だ!と、意気込んでたらふく食ったが、3人分で1,420円にしかならなかった!安いぞ〜〜〜!!!

てなことで皆様!帰省中はお世話になりました!感謝いたします!次はいつになることやら!



本日の結論
帰省中は頻繁に携帯電話を使っていた。とてつもなく威力を発揮してくれたのだ!
携帯電話持たずには帰省できない時代になったな〜〜〜!!!

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