懐古的大集合

2002年06月12日 時を経て、同じ空気を呼吸する喜びがある!


この椅子の意味がやがて分かる。

「そこで久々に、クイズ大会を開催しよう!」

2002年6月11日夕方に東京青山で開催されたイベントの報告である!

かつて1960年代後半から1970年代前半にかけて、日本中を席巻したファッションブランドがあった。石津謙介氏が創設した「VAN ジャケット」である。青少年達はこぞって、そのアイビールックを手に入れていた。私がそのその存在を知ったのは、1968年に高校に入学して間もない頃だった。同級生に「VAN小僧」がいたのだ。彼の実家は土建屋で金があった。当時の私は貧乏地方公務員の息子なので、自由になる金がなかった。「VAN ジャケット」の商品は、気軽に私の小遣いで買えるファッションではなかった。田舎の少年にも憧れのブランドだったのだ。

1970年大阪万博が開催された時、その会場が修学旅行の行き先となった。高校三年の夏休みの事である。修学旅行は制服での参加であったが、旅行直前になり、備蓄していた小遣いを使ってVANの「薄いベージュのボタンダウンシャツ」と「グリーンのコットンパンツ」を買った。そして、コットンパンツを、わざわざ自力で黒く染めたのであった。これを着ると、遠目には制服と同じ黒に見えた。だが、コットンパンツは近くで見ると光の当たり具合でグリーンに見えた。実にシブイお洒落であった!

一見制服のようでありながら、その実体はVANであるという「青年の抵抗」は修学旅行3日目に破綻する事になる。一人の教師がボタンダウンシャツと制服シャツの簿妙な違いに気付いたのだ!その場でこんこんと説教され、翌日からは「制服」着用を命ぜられたのであった!ううう・・・!

そして、1973年夏、就職してみると、その会社は「VAN ジャケット」のCM制作を一手に引き受けている会社だったのだ!入社直後から、頻繁にVANの本社に出入りするようになった。そこでは当然、石津謙介社長にお会いし、声をかけられる事も何度かあった。それ以来、私の服は圧倒的にVAN製品が多くなった。出入り業者価格で安く手に入る事もその理由の一つだった。

VANは 自由な空気に溢れている会社だった。だが、この自由な空気が災いしたのだろうか1978年VANジャケットは倒産した。最後に作られたCMの担当制作は私だった。そのCMが出来上がった日に倒産したので、オンエアされる事はなかった。一般人の目には決して触れる事がない幻のCMとなった。一時代が終わった気がした。後に、石津謙介氏はファッション界のカリスマとして語り継がれる事になった。そして多くの時が流れた。

2002年6月11日19時。人々は「青山スパイラルホール」を目指した。「ボタン・ダウン・クラブ」の発会パーティーである。これは石津謙介氏を師と仰ぎ、様々な影響を受けた著名人をサポーターにして会員をつのり、新しい文化を生み出そうとする会である。VAN時代の象徴として「ボタン・ダウン」の名を配した。その第一回目の会合が開かれたのだ。

「ボタン・ダウン・クラブ」会合に集合した方々は100名を超えた。そこにはあの時代にVANを共有した人々がいた。私は、取材を兼ねてカブリツキの席に陣取り、パーティー開始の挨拶が始まるのを待った。



司会はテリー伊藤氏。この人選はどうなのよ?と最初は疑問を持っていたが、徐々に適役であった事が理解できて来た。その後パーティーで何が繰り広げられたのかあえて省く。さらに誰が出席していたのかも省く。現在の若造達には理解できないかもしれないが、私にはそのパーティーの間は黄金の時間だったのだ。ただ、画像は撮影して来たので、私の目の前に並んだ方々がどのような著名人だったのか、御自分で御確認いただきたい。全員知っていたら、相当な「70年代通」である。じっくり思い出していただこう!

そこで久々に、クイズ大会を開催しよう!かなり高いハードルである!これからかかげる画像に写っている方々15名のフルネームをメールでお答えいただきたい! もし、完璧にお答えいただけたら豪華景品を、正解者先着1名様にお贈りする事にする!ただし、応募資格者は登録会員のみとする!締め切りは6月15日土曜日12時としよう!でもね・・・このパーティー会場にいた登録会員00079 大原耕人様は応募資格無しとするぞ〜!


この6名のフルネームは?


この6名のフルネームは?


そしてこの3名のフルネームは?


上の画像では分かりにくかったのでサービスカット追加!


これもサービスカット!


石津謙介氏の為に、目の前でナベサダがサックスを吹いた!


唇を負傷していたヒノテルはグレートなタップダンスを披露!


どう言うわけか最後に アカペラで「ラブ イズ オーヴァー」


この会合は、2回目がまた夏に行われるようだ。状況によっては時間をかけて、北海道から沖縄まで全国行脚するやも知れないと、主催者は豪語していた。もし、皆様のお住まいの近くで開催されることが判明したら、1970年代に青年だった方々は是非御参加されてはどうだろうか?その時は「ボタン・ダウンシャツ」を着用するのを忘れないようにな〜!

追伸
遠い昔VANにファッションも仕事もお世話になった者として、私は「ボタン・ダウン・クラブ」のサポーターになる所存である。ここに映像で登場した方々はみなさん「ボタン・ダウン・クラブ」 のサポーターであるとの見地から掲載させていただいた。他意はまったく無いのでお許しいただきたい。



本日の結論
カメラアングルの都合で写らなかった方もいらっしゃるが・・・ゴメンネ!

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