生演的空手家

2002年05月16日 突然のライブ開始である!



私の知っている空手家と言えば大山倍達である!

「ひえ〜!ちっちぇ〜!」

「カラテカ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
私が高校生の頃、梶原一騎原作 つのだじろう画で連載が始まった劇画「空手バカ一代」は大ヒットし、その後アニメになった。極真会館の創始者である大山倍達氏の伝記だ。千葉真一主演で映画にもなった。「空手家」と聞けば、まず大山倍達の名を思い出すのが中年男子の通常の反応である。

しかしここに現代の異質な「カラテカ」が存在する。「カラテカ」は吉本興業所属の漫才コンビである。「カラテカ」の一員である「ヤベ タロウ」は、日本テレビ「進ぬ電波少年」の中でT部長に拉致監禁され、スワヒリ語、韓国語、モンゴル語、などの言語でその国の人々を笑わせる事ができるかに挑戦させられていた。ずいぶん長い期間続けていたが、ついに解放の身となり、はれてコンビでテレビ出演をするようになった。

かなりの回数「進ぬ電波少年」を見ていたが「ヤベ タロウ」の言語修得能力には感心するものがあった。かなりの短期間でその国の言葉を覚え、ゼロから「笑いを取る」までに成長をするのだ。その能力を使えば、もっと他の職業でも立派に通用するような気がするが・・・。「進ぬ電波少年」で始まった「若手芸人の過酷な戦い」は「猿岩石」に始まるが、帰国後の急激な人気上昇ぶりには凄まじいものがあった。だが・・・問題は彼等の本業である「漫才」のネタの貧しさだった。

「ドロンズ」もそうだったが、彼等の人気は瞬間的なものでしかなかった。芸に裏打ちされた人気ではない。その為、人気が下降しテレビの露出頻度が極端に落ちてしまうのも早かった。さて、そこで「カラテカ」はどうだろうか?確かに帰国後、テレビの露出度は上昇したが、それまでの人々の状況とはかなり違っている。一言で言えば「見た目が地味」なのだ。いまいち盛り上がりに欠けているなあ。

そして、5月16日16時「カラテカ」が都内某所に出現するとの情報が入った。

その場所は私が勤務する会社のホールだ。当社の社員を集めネタの披露をすると言うのだ!ほほう!それは面白い!やってもらおうじゃないか!私の勤務先はテレビコマーシャルの制作会社だ。若手芸人としては、コマーシャルに使ってもらえればかなり「おいしい仕事」になるのだ。その為、当社でプロモーションライブがセッティングされたのだ!

開始時刻5分前になり、会場に並べられた椅子の一番前に陣取った。横を見れば私を入れて3名しかいない。ううむ・・・寂しい状況である。このまま始まってしまうと「カラテカ」もさぞ辛かろうなあ・・・。そんな心配も必要無かった。開始時刻には次々にあつまった社員達で埋まり、追加の椅子まで引っぱり出されて来た。まあ、そこそこ集まった人々は50名程度だろうか。これなら大丈夫!



「こんにちわ〜!吉本興業のカラテカで〜す!」ひえ〜!ちっちぇ〜!二人とも身長は158cmだという。さらに「ヤベ タロウ」は体重38kgだという。ううむ・・・軽すぎる・・・!「ヤベ タロウ」の体重は私のちょうど半分なのだ! うっへ〜〜〜!!!同じ人類とは思えないぞ!

身体的特徴を使った軽い前振りの後、ネタは始まった。その内容は省くが、結構笑える。漫才コンビはやはり漫才をやっている時はイキイキとして見えるなあ!で、数々のネタを笑いながら観ていると、ふと気付く事があった。それは「ヤベ タロウ」のイメージの変化である。事前には「エキセントリックなヘンナヤツ」もしくは「アブナイヤツ」的イメージを持っていたのだが、どうも彼の本質はもっと「知的」な芸人であると見えた。

思い返せば、確かに「進ぬ電波少年」の中で披露していた「語学修得能力」は、わずかな手がかりから論理的解釈を見つけ出すものだった。集中力だけではあれは出来ないだろう。「ヤベ タロウ」は声にも特徴がある。すぐに裏返るのだ。その声のおかげでさらに「変な人」を醸し出しているが、皆様方よ騙されてはダメだ!「知的芸人が変人を演じている」のだ! 「ヤベ タロウ」をアナドルではない!

私    「記念写真を撮っていいですか?」
カラテカ 「ありがとうございま〜す!」
私    「ちっちぇ〜〜〜!!!」
カラテカ 「そうなんですよ〜!」



本日の結論
もう1人の名前がどうしても思い出せないぞ〜〜〜!!!

------------------------------

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



GO TO HOME PAGE