到達的五拾歳

2002年05月14日 人生50年のはずではなかったのか?


「今さら人生が変わるわけでもないので」

朝っぱらのラジオから懐かしい音楽が聞こえて来た。レッド・ツェッペリンの「イミグラント・ソング」だった。邦題「移民の歌」だ。イントロのハイートーンの雄叫びが魂に突き刺さる感じがする。あまりの懐かしさにウルウルしてしまった。昭和46年にレッド・ツェッペリン武道館ライブに行ったのを思い出したのだ。昭和46年といえば西暦1971年にあたる。今を去る事31年前の話だ。このページを御覧の皆様方の中で、あの日武道館に行った方はいらっしゃるだろうか?

レッド・ツェッペリンはカタカナで書くと「赤い飛行船」と感じるが、本当は「鉛の飛行船」だ。つまり意味としては「飛べない飛行船」なのだ。その昔、私の田舎のアマチュアバンドで「レッド・ツベルクリン」というグループがいた。この場合のレッドは「赤」のつもりなのだろうなあ。

このように懐かしネタでスタートしたのにはワケがある。本日私は50歳に到達したのである!

人生五十年。下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。
この世に生を受けて、滅せぬもののあるべきや。

( 幸若舞「敦盛」)

この歌の通りであれば、私の寿命は本日時点で尽きている事になる。これから先はオマケの人生ってな事になるのだろうか?50年も生きてくると頭の中には「雑学」が溜まってくる。経験値から導かれる判断も生まれる。それに反比例するかのように記憶力は退化を始めた。明らかに瞬間的記憶の持続時間が短くなっているのを感じるのだ。

だが、大脳に刻み込まれた若い頃の記憶は衰えていない。3才の頃の記憶さえしっかりと残っている。肉体的年齢に比べ、精神的年齢がなかなか衰えないのは、記憶そのものが若い頃のまんまだからだ。結婚してから本籍地を何度か動かした。それは全く覚えていないのだが、私が生まれた時に登録された本籍地は「宮崎県児湯郡妻町大字右松575」だ。これはどう言うわけか今も忘れる事がない。やはり若い頃に刻まれた記憶だからだろうな。

ところで、自分の人生はどのような経緯を辿っているのだろうか?簡単に書き出してみた。あなたの人生と比べて、どうなのだろうか?同じ年齢の時や、同じ年号の時に、自分は何をしていたのか?思い出していただきたい。年齢と年号がずれていると感じる部分もあるが、誕生日前か後かで1才の違いが生まれているのだ。気にしないように。

西暦
年号
年齢
出来事
1952
昭和27年
0
宮崎県児湯郡妻町大字右松575 にて誕生
1955
昭和30年
3
弟が生まれる
1971
昭和46年
18
東京へ出る
1973
昭和48年
21
就職する
1976
昭和51年
23
結婚する(早いんじゃね〜か?)
1978
昭和53年
25
初めてのマンション購入(早いんじゃね〜か?)
1980
昭和55年
27
バンド活動開始 THE SIZZLE ギター担当 8年間続ける
1981
昭和56年
29
長女誕生
1982
昭和57年
30
オートバイに目覚める「SUZUKI KATANA750」購入
1987
昭和62年
35
マンションのローン全額返済完了(早いんじゃね〜か?)
1988
昭和63年
36
キーボード入力に目覚める リコーのワープロを購入
1989
平成01年
37
マンション売却、現在のマンションを購入転居
1990
平成02年
38
Macintoshに出会い中古のSEを即購入 バブル崩壊
1992
平成04年
39
父を亡くす
1996
平成08年
43
ShockWaveに触発され自力でWEBを開設
1999
平成11年
47
突然ギターを思い出し、レストアと収集を開始
2001
平成13年
49
出向により子会社勤務となる
2002
平成14年
50
いつのまにやら半世紀を生き抜いていた

まあ、ざっと書けばこんな風になる。さらにこの隙間を丹念に埋めて行けば、私の人生の何たるかを書き残すことができるってえ寸法だ。でもなあ・・・隙間を埋めたところで今さら人生が変わるわけでもないので、放っておくとしようか。

今朝の事であった。今日が私の誕生日であると妻は気付いていないように感じたので、駅に送ってもらう車の中で妻にさり気なく言ってみた。

私 「俺も今日で50才になってしまったよ〜!」
妻「あら・・・そうだったわね」

反応はこの程度である。実にあっさりした誕生日の朝である!



本日の結論
50才になった記念にギターでも買うとするか〜!(買うのか〜?)

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