宮崎的記憶行

2002年05月01日 今回の旅は記憶の確認であった!


記憶になかったこの刺身は何だ? この画像だけで分かるだろうか?


「お互い生きていることを確認するだけで充分な気がする」

本日は旅の報告である。かなり長くなりそうな気配。他人が読んで面白いかどうかは分からない内容となるはずだが、食い物だらけの内容でもある。読まれる方はそれを覚悟されるがよい!それでは執筆開始だ〜〜〜!!!

4月27日から5月1日まで宮崎の実家に帰省した。父親の10周忌イベントのため5年ぶりの帰省である。早いものだなあ・・・。この帰省に際し、あるテーマを持っていた。それは「遠い過去の記憶の確認」だった。私は子供の頃、4歳〜8歳の5年間ほど宮崎県の小林市に住んでいたが、今も残る子供の頃の記憶は、果たして正しいのだろうか?あの家や遊び場所は記憶の通り存在するのだろうか?42年も前に住んでいた場所へ、その確認に行ってみることにした。ちなみに小林市は宮崎県の西に位置する。ちなみに女優「斉藤慶子」を生んだ市である。42年前の小林市はド田舎であった。

まずは4月27日(土)宮崎は雨であった。実家に辿り着けば、その夜、旧友達が料理屋を予約して待っているはずだった。だが・・・事前にメールでやりとりしてはいたものの、肝心の「どこにある何と言う店なのか?」その情報が私には伝わっていなかったのだ。取りあえず、予約したはずの清水さんに電話してみた。これが出ない。二度携帯に電話をしたが出てくれない。ううむ・・・どうしよう?次に可能性があるのは・・・清山くんか・・・電話をしたところ、こちらは仕事場でもあるのであっさりと出てくれた。

「で、どこに何時に行けばいい?」
「中央通りマルショクの裏にT字路があるっちゃけど、和食のアケボノやが!20時半に予約しちょるて!」

ううむ・・・一瞬無口になる私である。中央通とはどこのことだ?マルショクとはいったい・・・?アケボノ?なんぢゃそれは〜〜〜!ハッキリ言って私は18歳で故里を捨て東京を目指したのである!真面目な少年であった私は、地元の夜の繁華街なんぞはまったく知る由もないのだ!

中央通り、マルショク裏、アケボノの3つのキーワードでタクシーなら到着できると言う。それを信じ時間が来るのを待った。20時過ぎ妻と母を連れてタクシーで出発した。タクシーの運転手はあっさリと店の前まで連れて行ってくれたのだが・・・。店がみあたらない。何故だ?ふっふっふ・・・そこには思い込みがあったのだ!アケボノと聞いて通常は「曙」の1文字を思い浮かべるのではないだろうか?だが目の前の店の看板には「明母野」と書かれていたのだ。とっさにアケボノと読むことが出来なかった御一行様であった。

やがて予定していた人々が集合し会食となった。懐かしい顔が並び「不況」の話となる。まあ、これは昨今しかたがない展開だな。フルコース料理で腹一杯となった。やがて母と妻は先に帰り二次会へと突入した。酒を飲まない私には辛いのだが、久々の付き合いなのだ最後まで付き合うとしよう!カラオケスナックに連れ込まれた。あれこれ昔の話に付き合っているうちに02時となった。お開き前に、取りあえず画像は撮影しておいた。すっかり酔っぱらっているようだが、おつき合い頂いて感謝する次第だ。次の再会はまた5年後か?10年後か?

 
野村君 清水さん                  清山くん

4月28日はいよいよメインイベントの親父の10年祭だ。神道ではそう呼ぶのである。11時神主がやって来た。榊で作った御幣をバサバサ振り回し、祝詞を読み上げる。ついでに横笛による演奏も加わる。この時点で正座した足は感覚を失っていた。シビレを通り越して無感覚となっていた。体重のせいか?この神主パフォーマンスも30分程で終了。ありがたいのか?ありがたくないのか?よく分からない10年祭であった。無宗教の私にはなんだってよいのだが・・・。フルコースの昼食後、墓参りにも行く。

夕方近所を歩いてスーパーマーケットに入った。そこには懐かしい食品が待ち構えていた。「ギョロッケ」という。御存知だろうか?子供の頃、自転車にこれを積んだじいさんが売り歩いていた。弁当のおかずとして頻繁に登場したものだ。思わず買ってしまった。ギョロッケは、さつま揚げにパン粉をつけて揚げたものである。唐辛子が効いていてピリリとしているので、弁当のおかずやビールのつまみに最適だ。これは、宮崎の一部地域だけの食い物なのだろうか?



夕食は「チキン南蛮」にした。ここ10年程の宮崎名物となっている料理だ。日向地鶏の空揚げを甘酢にさっと漬けて、甘いタルタルソースをたっぷりかけて食す。下の画像がそれである。「レストラン おぐら」では御飯も山盛り付いていて腹一杯である!ゲフッ・・・。実は、26日までは約1か月間ダイエット生活を送っていて4kg減となっていたが・・・、帰省による食事攻めでそれが崩壊する心配があった。やはり予想通り早くもその体重増加の傾向が見えて来たぞ〜〜〜!!!うおおお〜〜〜!!!


チキン南蛮

4月29日。曇り空。「遠い過去の記憶の確認」へ弟の運転で出発!母と妻も同行である。母がいないと現地での細かな記憶の確認が出来ないのだ。向かうは「小林市」である。幼い記憶ではとてつもなく遠い地の果てにある町に思えていた。だが、今回車で走ってみると、なんということだ!1時間ちょっとで「小林市」の入り口に到着してしまったのである!私の通勤時間とほとんど違いはない。な〜んだ!

さらに車は進む。道が整備され区画整理され昔の面影はない町並みとなっていた。そりゃそうだよな・・・42年も経っているんだもんなあ・・・。車にはカーナビが積んである。その表示を頼りに進んだ。目印である「売子木」の交差点に到着した。「売子木」は、さてどう読むのか御存知だろうか?なんと「きしゃのき」と読むのである!母は「ちしゃのき」と記憶していたようだが。

そこから1分で辿り着けば42年前に住んでいた「県営堅田原団地」だ。路地を曲がり、かつて住んでいた家の前まできて呆然とした。かつて住んでいた家のあった場所は駐車場となっていたのだ。なんてこったい!私がずっと持ち続けていた記憶の細かな検証は、これで出来なくなってしまったのである!うおおお〜〜〜!!!

 

近辺で記憶のまま残っている場所はないのか?おおお!そうだそうだ!忠霊塔があったはずだ!行ってみよう!小高い丘の上にそれはあった。この広場でピクニックしたり、さまざまな町のイベントが行われていたなあ。その後ろの森で木の実を拾ったりして遊んだものだ。この風景だけが当時のままだと感じさせるなあ。さすがにこのころになると、42年の時の流れが記憶を蹂躙しているのだと感じ始めた。もうよい・・・。愛おしい程、狂おしい程、長い間実現したかった「遠い過去の記憶の確認」は、もう二度と戻らない記憶であり、そこには存在しない記憶でもある。私だけの記憶は私自身にしか残っていない。これ以上追うのは止めよう。


さてと、ここまで結論を出してしまうと、もうやることは無くなってしまった。あっさりとしたものである。しかもまだ午前中だ。さあどうする?弟の提案はえびの高原を回って霧島山の反対側から帰るというのだった。その案に乗った。山に向かって走り始める。季節が中途半端で花があまり咲いていない道である。そ、その時街道ぞいに「日本一へんな公園」と書かれた看板が見えた。なんだこりゃ?気になったが車を停めることは無かった。そのまま進行。

少し進んだところで「出の山」の看板文字が見えた。「いでのやま」と読む。おおお〜〜〜!!!懐かしいぞ〜〜〜!!!40数年前、父親の運転する自転車1台に親子4人が乗って遊びに行ったものだ。「出の山」は「鯉」の養殖場である。「いこいの家」という鯉料理のレストランが併設されていたはずだ。よし!ここで昼飯にしよう!

車を乗り付けると、そこに大きなガラスの水槽が3つあった。淡水魚の展示である。もちろん鯉が泳いでいたが、それ以外にもヤマメが群れをなしていた。さらに驚くことに大きな「チョウザメ」が泳いでいたのであった!なんだとう?チョウザメか?あの「キャビア」を採るチョウザメか〜?

その展示スペースには、平成3年日本で初めて「チョウザメ」の人口孵化に成功したと書いてあった。ほほう!そういうことか〜〜〜!!!でも・・・なんでチョウザメ?さらに散策してみると「出の山」のわき水が「日本の名水100選」だと書かれていた。わき水を飲んでみた。くせが無く、するりと入る。確かに旨い水だ。ほほう!さらに理解出来てきたぞ!美味しい水で育っているチョウザメなのだな?

「いこいの家」に入って驚いた!メニューに要予約で「チョウザメ料理」と書かれていたのだ!もちろん今でも鯉料理がメインだが、そうか・・・チョウザメは食えないのか・・・と、その時目の前に「チョウザメ刺身」と単品で出ているではないか!これなら注文できるとレジのねえちゃんは言う。よ〜〜〜し発注だ〜〜〜!!!


これが「チョウザメの刺身」だ!

フグのようにポン酢と紅葉オロシで食べてみれば、これが旨い!なかなかイケルのである!コリコリとしてフグの食感に近いな。ナマモノが苦手な母も問題なく口にしていた。機会があれば是非、皆様にもお試し頂きたい「チョウザメの刺身」である!もちろん鯉料理も泥臭さは無く非常に旨い!さらに安い!チョウザメの刺身、鯉の洗い、鯉こく、鯉の丸揚げまででなんと一人2000円以下なのである!


定番の鯉の洗い



鯉の丸揚げ

ゲフッ・・・満腹である!もうこれ以上食えないのである!それほど満腹なのであ〜〜〜る!!!あの減量の日々はいったいどうなったのだ?あの4kg減量はこの数日でどうなっているのだろう?知りたくも無い・・・恐くもある・・・うおおお〜〜〜!!!食い物が〜〜〜食い物が〜〜〜身を滅ぼすぞ〜〜〜!!!

帰りに養殖池を覗いてみると、そこはチョウザメだらけであった。そして、面白い現象を目撃することになった。チョウザメの小さいのがみんな立ち泳ぎをしているのである!一同大笑いである。想像していただきたい。目の前でチョウザメが一斉に立ち泳ぎをしているのである!それではムービーを撮影しておいたので御覧頂きたい!



えびの高原を越え車は走る。そこで人慣れした鹿に出会った。道ばたに何頭も見えた。放し飼い?野生?




しばらく走り高千穂牧場に寄った。牛や羊を眺め、ヤギを撫で癒しの一時である。さらにアイスクリームを舐め、牛乳を飲み、体重増加は加速するのである!


妻と八木橋君


実家にに帰り着けば、その夜は「赤江ラーメン」を食いたいと弟が言い始めた。望むところである!19時20分になった。店じまいが早いと聞いていたので、弟は確認の電話を入れてみた。「もう間もなく閉めます」と返って来た。いかんぞ〜〜〜!!!いかんぞ〜〜〜!!!家族4名は一気に立ち上がりドタバタと車に乗り込み「赤江ラーメン」を目指した。 5分後店に辿り着き「チャーシューメン!」と叫ぶ私だった。ズルズルと懐かしい味を口一杯に広げながら気が付けば、今夜もまた「腹一杯!苦し〜!」とほざく羽目になってしまったぞ!いかんな〜・・・。その後弟は大分の自宅へ帰って行った。本日の運転、御苦労であったな!

4月30日は朝っぱらから歩行することにした。そろそろカロリー消費を促進しなければならない!だが、目指すは昼飯に「豊吉うどん」である。これまた少年の頃から食べ続けていたうどんである。かつて川端康成が旨いと誉めたことが記憶に残っているな。あっさりしたちょっと甘めの出汁が特徴だ。徒歩40分で到着した。新製品の「ごぼうのかき揚げうどん」を発注した。うどんのコシはやや軟らかめである。量は通常のうどんの1.5倍はある。これで290円だ!ゲフッ・・・またもや満腹になってしまったぞ!



夜になり、熊本から車で登録会員が会いに来てくれた。登録会員00070奥田様である。学生時代からの仲間だ。勤務先から2時間半で辿り着けたという。ううむ・・・九州も狭くなったもんだなあ!さらに、夜も深けたころ実家の近所に住む登録会員00084福浦様がやって来た。ありがたいことである!その後ウダウダと深夜まで世間話を繰り広げた。ほんのわずかな時間の再会だが、顔を見るだけで十分な気がする。お互い生きていることを確認するだけで充分な気がする。これまた次はいつ再会できるのだろうか?

 
登録会員00084 福浦様           登録会員00070 奥田様

集まっていただいた皆様に感謝の気持ちで一杯だ。たくさんの記憶とたくさんのお土産ありがとう!



本日の結論
結局、再びデブになっただけの旅だったのかも知れないな!ダイエット再開するぞ〜〜〜!!!

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