不用的消文具

2002年04月22日 突然、その存在が気になり始めた!


消しゴムがこんなに大きい必要はあるのだろうか?


「あの人々は今どうしているのだろうか?」

美術の時間、木炭を使ってデッサンする際、消しゴム代わりに食パンを使っていた。美術の授業がある日は高校の登校途中にパン屋に寄って、数枚の食パンを購入したものだ。あまってしまうパンの耳は、腹ヘリ状態の若者の胃の中に消えて行くのは自然の摂理であった。今もあのデッサン時の食パン文化は残っているのだろうか?それとも「練りゴム」が主流になっているのだろうか?

そんな昔を思い出しながら、フト気になる事があった。文章を書く為に鉛筆を使っていたのはいつまでだっただろうか?鉛筆で書いては消し、書いては消し、さらに仕上げに清書をする文化は消えてしまったのだろうか?私はこの12年、キーボードで文章を書くようになった。明らかに、鉛筆やボールペンで書くより早い。何より修正が楽である。一度で、考えていた通りの文章がかける事はまず無いのだ。

事務処理上書かなければならない文章は、コンピュータの普及によって、一気に手書きが無くなってしまった。と、同時に私が使わなくなった文具に「消しゴム」がある。いつ以来使っていないだろうか?その昔、製図をするのに消しゴムは必須文具の位置を確保していた。消しゴム無しでは製図は成立しなかった。車で言えば消しゴムは「ブレーキ」にあたるのだろう。

ところが、近年は製図が「CAD」に変貌してしまった。コンピュータで車も家も設計がなされるのである。さらに絵を描く際の下書きもコンピュータを使う時代だ。一般事務で使用量が激減したと推定されるこの状況に「消しゴム業界」はどのように立ち向かっているのだろうか?そして「伝説の消しゴム職人」と呼ばれたあの人々は今どうしているのだろうか?(そんなの居るのか〜?)

「消しの政」と呼ばれた伝説の消しゴム職人がいた。斉藤政次郎(68才)。13才で消しゴム業界に身を投じた。

昭和30年代までの消しゴムは生ゴムが原料の主流だった。しばらく使わないでいると、表面が硬化し使いづらくなった。擦ると文字が消えず、ノートが黒く汚れた。強く擦るとノートが破れた。「消しの政」は、その現状に唇を噛んだ。軽く擦るだけできれいに消える消しゴムが作れるはずだ。いつまでも柔らかく使える消しゴムが作れるはずだ。

厳しい修行時代を経て、25才で結婚、独立し、小さな文具屋を営んだ。その傍ら、永年の夢だったオリジナル消しゴムを研究する為に、わずか5坪程の小さな消しゴム工場を店鋪の裏に建てた。研究の日々に、貯えた金がたちまち底をついた。10年後結論が見えて来た。原材料の転換を図るべきだった。政次郎は石油にそれを求めた。

突然のオイルショック。原材料の枯渇。度重なる挫折が彼を襲った。だが、平成を迎えた時、奇跡の逆転劇が始まった。「ナンシー関」の「消しゴム版画」の影響で逆に消しゴムの消費量が増大してきたのだ!国民のつましい娯楽は「パチンコ」と同次元に「消しゴム版画」を押し上げて行った。学校教育にも「消しゴム版画」は正式に採用されるようになった。

消しゴム版画はある程度大きいサイズの消しゴムを必要とする。劇的に消しゴムの消費量は延びて行った。だが、いくら消費が増えても、その使い道に「文字を消す」という本来の機能は必要とされていなかった。政次郎の思いと会社の営業方針に大きなズレが生じていた・・・政次郎は60才で世界一の「消しゴムメーカー」の会長職をあっさり捨て「究極の消しゴム」開発に戻った。

そして、今も「究極の消しゴム」を造り出す孤独な戦いを、自宅裏に再び作った5坪程の小さな消しゴム工場で続けている。これは、戦後の教育と文具の普及に命をかけ、55年に渡り消しゴム作りに立ち向かった男の壮絶なドラマである!(おいおい!番組が違うぞ〜!)

あのでかいサイズの消しゴムを見て、ふと浮かんだウソの人物紹介はそろそろ止めるとして・・・一度、思いきって机の中を整理していただきたい。忘れ去られていた消しゴムがゴロゴロ出て来るぞ!(で、それからどうするの?他に使い道は無いけど・・・)


本日の結論
スーパーカー消しゴム。キンニクマン消しゴム。なんてなものは私の世代には関係ない!

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