読了的新零戦

2002年03月01日 小説の世界は何でもアリだなあ!


鳴海 章著「Neo Zero」1992年3月集英社刊


「国家間の駆け引きが主人公を危うくしていく」

先日も原発や北朝鮮、ロシアがテーマの本を読み終わり、御報告したばかりだが、又しても同じようなテーマの小説を読み終えた。最近、戦闘シーンが多いジャンルのミステリー小説の世界では「原発」「北朝鮮」「ロシア」などのキーワードが飛び交っているぞ。そして翻弄される「自衛隊」の登場というのがほぼ定石である。

鳴海 章著「Neo Zero」1992年3月集英社刊 これまたBOOK OFFの100円コーナーでゲットした本だ。鳴海 章は航空機小説を志し、1991年第37回江戸川乱歩賞を「ナイト・ダンサー」で受賞している。

鳴海 章著「Neo Zero」は北朝鮮、ロシア、アメリカ、中国、そして日本を巻き込んでの大騒ぎだ。今回のメイン・アイテムは航空機だ。戦闘機であり、爆撃機でもある。コードネーム「FSX-90」と名付けられた戦闘機のスペックはここでお知らせするわけには行かない。国家機密だからだ!(なんだよそりゃ〜?)

太平洋戦争時、日本には素晴らしい戦闘機があった。「零式艦上戦闘機」略して、御存知「零戦」だ。敵国には「ゼロ・ファイター」として恐れられていた。運動性能が抜群だったのである。昭和15年(1940年)に零戦がデビューした当時、航続力、上昇力、打撃力、どれをとっても世界で並ぶ航空機は無かった。その為「零戦」は予想以上の成果をもたらし、大日本帝国は体力以上の戦争拡大をしてしまったようだ。シニカルな見方をすれば「零戦」の存在が日本を敗戦へと導いてしまったともとれる。

ところで、なぜ「零式」なのだろうか?非常に気になる。「零」の意味を紐解いてみよう。基準は「皇紀」である。昭和15年は「皇紀2600年」にあたった。これは天皇家が始まって2600年目に当ると言うカウントだ。その下ひと桁が「0」であったたため「零式艦上戦闘機」と命名されたのだ。

そして、鳴海 章著「Neo Zero」は1990年(皇紀2650年)が舞台になっている。これ又、下ひと桁が「0」だ。となれば、そこで開発された戦闘機は「新・零戦」と呼ばれるようになっても必然であろう。すなわち愛称「Neo Zero」となる必然があるのだ。

この小説の全体に漂うのは、戦闘機乗りのリアルな体感だ。かなり細かい機体の挙動と、それにともなう人体の動き、精神状態が克明に描かれている。空中戦のシーンはまさに筆力の勝利である。のめり込み読み続けざるを得ない。さらに全体を覆う謎。国家間の駆け引きが主人公を危うくしていく。

295ページの本だから、一気に読み終える事ができる厚さだ。私は出勤時帰宅時の電車の中で読むので2日で読了することができた。最近読んでいる本は500ページ以上の2段組が多いので、えっ?もう終わり?と物足りない感じもしたが、スピード感で読ませる小説なので、まあ、この程度のページ数が程よいってことか?食事に例えれば、吉野家「特盛り」お新香みそ汁付きのような満足感とスピード感だろうな!(なんちゅう例えだよ!)

小説「亡国のイージス」が好みだと思われた方々には、鳴海 章著「Neo Zero」はお勧めである。「亡国のイージス」ほどの重厚さは無いが、一匹狼が航空機駆って飛び回る軽快さがあるぞ〜〜〜!!!



本日の結論
体調が戻って来た所為で、読書スピードが上がって来たぞ!

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