眩暈的救急車

2002年01月20日 突然襲った眩暈と吐き気?



こいつを手首に巻かれてベッドに寝かされた!


「でもまだちょっとフラフラしますなあ〜!

「眩暈」はめまいと読む。

1月18日午後の事だった。昼食にピザを一切れつまみ、前日から続いていた書類作成の仕上げを行っていた。18日夕方までに契約を終わらせる必要があった。14時頃、ふと顔をあげると景色が軽く歪んで見えた。同心円を描くように少し回転している。ちょっとクラクラしてきたので、机に伏して5分程ジッとしていたのだが・・・。

それでも・・・さらに頭がふらつき始めた。風景の歪み具合がさらに大きくなって来る。いそいで机を離れ、会議室のソファーに横たわった。2000年11月に一度経験した現象だ。あの時は回復するまで10日かかってしまったが・・・。10分程目をつぶり耐えていたが、目を開いて天井を観たとたん!激しい嘔吐感が襲って来た。ソファーから転げ落ち、一番近いゴミ箱へにじり寄った。顔面を突っ込こむとさらに嘔吐感が胸を締め付けて来た!唾液と胃液が吹き出してくる。

少し吐くと嘔吐感は落ち着いたが、身体を動かすことは出来ない。床のカーペットの上に突っ伏した。目をつぶり続けた。その姿勢であれば眩暈の感覚が少し軽くなる気がする。身体は動かせないが、頭ははっきりしている。脳の疾患では無さそうだ。このままでは、夕方までの契約を終えることが出来ない。先ほど作った書類の最後の一枚は、まだプリントアウトできていなかったのだ。声はまだ出せる。すぐに、大声でデスクを呼んだ。

床に倒れたまま、夕方までにやるべき手続きを指示した。こうなるともう仕事バカである。だが、契約の期限は数時間後に迫っていたのだ。回復してから再度やれば間に合う種類のモノでは無かった。とにかく契約を妥結しなければここ数日の私の作業は意味が無くなるのだ!私は指示を伝え終わると、救急車を呼んでもらった。

それから先はほとんど目を閉じ、救急車が来るまで床に大の字に伏せていた。周りの会話は耳に入ってくる。ん?救急車を呼ぶのに電話番号を間違えたようだな?デスクが謝っている声が聞こえた。と、その時どうするのだ?と思いが過った。救急車が来れば当然、担架が出てくる。だが、このビルのエレベータは小さくてとても人が横になれない。私は立ち上がらなければならないのか?今の私にはとても出来んぞ!さあどうする?

救急隊員はまず声をかけて来た!私が答えるのを聞いて脳に重大な病状が無いことを確認したのだろう。救急隊員が私を仰向けにさせようとしたが、頭をほんの少し動かしただけで嘔吐感が押し寄せて来た!差し出されたゲロ袋に思いっきりさっき食べた未消化のピザが吹き出して来た!しばらく嘔吐感との戦いが続いた。

うっすら目を開けると、そこには椅子型の担架が置いてあった。おおお!そうか!狭いエレベータ対応型なのだな!だが、目の前のその椅子型担架に自力で座ることさえ出来ない。とにかく頭がほんの少し揺れただけで吐き気が押し寄せるのだ!しかし、座らなければ救急車に乗ることが出来ない。必死の思いでなんとか担架に座り込むとすぐに待たしてもゲロ袋の世話になった。やたらに手ティッシュで口の周り拭いてくれている存在があるのを感じた。目は閉じ続けているのだ。

エレベータから降り、救急車に乗る前にフラットな担架に載せかえられた。この乗り換えがまた地獄の苦しみである。その時、一瞬目を開いたが見えたのは「東京消防庁 松山」と書かれたバッジだけだった。顔も覚えていない。ようやく救急車に乗り込むと、後は気を失なったようにジッとしていた。目を閉じているのでどこをどう走っているのかは分からない。ピーポーとサイレンが鳴り続け、山手通りに出たがちょっと渋滞にはまったようだ。ちなみに、患者として救急車に乗るのは2回目の経験である。

10分もしないうちに病院に着いたようだ。会社からかなり近い感じだ。目を閉じているのでどのあたりかはまったく位置関係が分からない。救急車から降ろされると一気に病院内へ移動である。そのまま治療室までズンズン動かされて行く。まるでTVドラマ救急救命24時の世界である!移動ベッドが揺れる度に頭がクラクラする。もっとゆっくり動かしてくれ!と声も出せない私であった。

すぐに眩暈止めの注射がされ、CTスキャン室に送り込まれた。だが、ここでまたひと騒ぎが始まった。CTスキャンの台に移ることが出来ないのだ。ちょっと頭を揺らしただけで嘔吐するのである。CTスキャンをゲロまみれにするわけには行かない。カタツムリの歩みのごときからだの動かし方で時間をかけなんとか移動に成功!その結果、頭には異常なしとの判断が出た。

あとは、点滴を打ってしばらく休むしか手は無くなった。担当医師は「点滴が終われば帰れるでしょう!」と明るい希望的観測を述べてくれた。だが、ちょっと目を開いて天井を観たがグラグラ揺れ続けている。とてもじゃ無いが帰れるとは思えない!廊下からは家族と連絡がついて、こちらに向かっていると聞こえて来た。

暫くして医師と再度話しをした「どうですか?まだ眩暈はありますか?」「ええ!揺れてます!」「そうですかこのまま帰すのは酷ですねえ・・・それじゃ一晩入院していきますか?」「ええ!そうしてください!」すぐに看護婦が手配を始めた。412室に決定した。すぐに移動!やっと柔らかいベッドに寝かされることになった。

看護婦が聞いてきた「ズボンを抜がしましょうか?」うっ?今日は勝負パンツを履いていないのでマズイぞ!(なんだよそりゃ?)すると別の看護婦が「やめた方がいいですよ!この患者さんはちょっとでも揺らすと大変そうですから!」てなことで、パンツを見られることは無くなった。結局会社で倒れた時のまんまの服装で一晩寝続けることになった。

やがて駆け付けた家族も、病院まで付き添ってくれた部下も帰ってしまい、私はひたすら眠り続けることにした。が・・・その先に想像しなかった悲惨な事態が待っていたのだ〜〜〜!!!それは、消灯時間の21時になり突然 始まった。カーテン一つ隔てた隣の親父のいびきだった。ゴワ〜〜〜!!!ガピ〜〜〜!!!これが朝まで止むことなく続いたのである。一睡も出来ない程の轟音が響き渡ったのである。

眠れはしなかったが 一晩点滴を続けたことで眩暈がほとんど無くなった。トイレにも点滴袋をぶら下げたまま行けるようになった。この調子ならもう帰宅してもよいだろう。もう一晩泊まってあのいびき攻撃を受けるのはカンベンして欲しいぞ!しかしなあ・・・同室の他の方々は日々眠れているのだろうか?不憫でならないなあ・・・。朝の回診に来た医師に相談して退院をきめた。すぐに看護婦の鶴田さんに退院手続きを頼んだ。会計で清算すれば支払いは13,940円だった。安いのか高いのか?良く分からない値段だなあ。

昼前になり、家族が車で迎えにやって来た。まだ少しゆれは感じるが、激しく頭を揺らさない限り大丈夫だろう。娘の運転であったが、走行中は快適であった。すこしは上手くなったようだな!1時間後やっと帰宅し、メールチェックをしようと自分の机の上を見て息を飲んだ。そこにはすっかり忘れていたが、次に読もうと思っていた本が置いてあったのだ!その本の題名は、島田荘司著「眩暈」(めまい)うおおお〜〜〜!!!なんてこったい!




本日の結論
取りあえず復活できたので一安心です。でもまだちょっとフラフラしますなあ〜!

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