鬼滅的幼少期

2020年11月06日 歴史は繰り返す!



最近、小学校の習字の時間に多く書かれる文字!


「大正時代がテーマのアニメというものが妙に気になったのだよ」

孫の幼稚園男児たちが「鬼滅の刃」の影響で炭治郎や善逸に成り切って、おもちゃの刀を振り回す姿を見ていて泣きそうになった---。私も幼稚園に入る前から玩具の刀を腰に差し、悦にいっていた時代があったからだ。あの時代は「赤胴鈴之助」だったなあ。赤胴鈴之助が鍛錬して身に付けた技は「飛鳥流真空斬り」ラジオドラマで小百合役を吉永小百合が演じていたのは有名だ。その後映画化されて、1958〜9年頃によく観に行ったものだ。時代は繰り返すね(^^)



私自身の刀に関する記憶は、以前も書いたのだが幼稚園に入る前の時代のこと。3歳頃だと思うのだが、親にねだっておもちゃの刀を買ってもらっていたようだ。当時の刀は玩具とはいえ木製の鞘に金属の刀身だった。もちろん切れるわけはないが、ずっしりとした重さだったのだろう。

私の記憶の中の刀の存在は、当時住んでいた小さな一軒家のトイレに強烈な記憶がある。当時のトイレは板の床に汲み取り式だった。下を除くと、便槽の周りにいくつもおもちゃの刀が落ちていた。私が腰に差したままトイレに入りしゃがみこんだ拍子に、鞘から刀身が抜けて落下したものだ。それを何度も繰り返していたようだ。あの光景が今でも忘れられない。65年ほど前の光景。

そして特筆すべきは、刀を買ってもらうときのセリフである。一本では決して納得しなかったと母から聞いたことが有る。「侍は二本差しちょる!」と言い張っていたようだ。確かににその主張は今でも納得できるなあ。などという経緯があり「鞍馬天狗」などの影響もあり当時の少年達はちゃんばらごっこを楽しんでいたのだ。

そして現代は「鬼滅の刃」だ。親、子、孫まで通用する話になっている。孫と一緒に映画にでかけたりできるのだ。おそらく、コロナ騒ぎで自粛期間にインターネットでアニメ「鬼滅の刃」24話分を一気に観た方が多かったのだろう。私もその口だった。娘に勧められて孫たちと一緒に観たのだ。残酷な内容では有るが、孫たちは意外にも平気だった。むしろ炭治郎や禰豆子に感情移入がたっぷりで楽しんでいた。

映画も妻と観に行ったが私はいまいち乗り切れなくて、再度TVアニメバージョンを一話から全話観直しようやく全体像を把握できた。おそらく、最初にTVアニメを孫たちと観たときに私は半分眠っていたのだろう。私の中で映画のストーリーがどうも繋がっていなかったのだよ。

「鬼滅の刃」を観ていて気になったのは陽光のことだった。鬼たちは陽光で滅してしまうので夜に動き回る。そこで感じたのは「月の光は陽光の反射じゃねえのか?」との疑問。まあ、そこは「直射じゃないと効果は無いのだろう・・・」とオトナ的解釈をしておいたのだがね。大正時代に刀を腰に差して動き回ることは可能だったのか?との疑問も有るが、それはあの世界では可能だったと理解しよう。実は私の父は大正13年生まれだったので、大正時代がテーマのアニメというものが妙に気になったのだよ。父が生まれた時代はあのような時代だったのか?そんな訳はないな・・・。

と、ここまで書いてもうネタ切れ・・・。本当に書くことが思い浮かばないので・・・。

鬼滅がコロナ滅になってほしい昨今では有るが、東京オリンピック滅になりつつ有るとも聞く。今年の年末に書かれる漢字一文字は「滅」であろうと予測しているのだが・・・。


本日の結論
孫たちがあの残虐なシーンを平気で見ているのが不思議でならない!

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