帰省的出演談


2019年02月19日 クラス会があるというので帰省してみた!

宮崎青島海水浴場は砂浜がかつての1/4程度に消えていた!


宮崎ー成田で2,000円のチケット」

またしても更新に間が空いてしまいましたが・・・。宮崎への帰省に関するアレコレを!

2月10日から18日にかけての宮崎帰省はまず飛行機のチケットで躓きました。シニア割引を使いたい場合は当日の空席がないと乗れませんが、1日1席も空いていないことは想像し難く、2月8日の午前中に羽田へ着いてみると「本日は全航空会社、全便満席です」といわれてしまい撃沈。すごすごと自宅へ帰り二日後に出直しとなりました。積雪の情報もありでドタバタいたしましたが、何とか2月10日に飛び立ちました。宮崎はその頃に各野球チームやサッカーチームがキャンプに来ていて、ファンやマスコミが押し寄せていたのでエアチケットは週末満席が続いていたと。10日は連休中日で奇跡的にガラ空きでした。

私の実家は1962年に建てられた建売住宅です。57年前ですね。一部建て増ししてありますが、基本構造は建築当時のまま。つまり耐震構造も古い基準のままなんです。91歳の母が一人で住んでいます。今は大きな地震が来ないことを祈るのみです。30戸程の住宅地ですが、聞いてみると空き家が増えていました。在住のオリジナル住民は4人だけ。母もその1人ですが今年92歳になりますから、 やがて私自身もここに戻ってくることは無くなるでしょうね。私がこの実家に住んだのは9年間です。今の自宅は30年間ですが、実家の記憶は多感な時期だったので多く残っていますよ。母に言わせれば「あんたよくそんなに覚えちょるね!」だそうですが。

帰省初日に奇跡的な出会いが!おなじみの友人である綿貫さんが社員旅行で鹿児島から宮崎へ移動し、観光を終えて私が到着した2月10日の夕方に宮崎空港から名古屋へ帰ることが判明。私の実家は空港に近いので、友人に頼んで空港へ17時に行きANAカウンター前で合流!お茶を飲みながらしばしご歓談でした。妙な縁でスケジュールが重なるのは面白いですね!

今回一番楽しかったのはこれ。
2月12日に宮崎のケーブルテレビ番組「JUNK TV」のディレクター日高ひばりさんから「お話をうかがいたい」と申し入れがあり会うことにしました。最近は、Youtube でも見られるようになり全国的に「JUNK TV」の人気が出てきたようです。

2017年と2018年に開催された「宮崎エアポートギターショー」に出展した際、二度ほど同番組に取材された経緯があり、その際に展示していた、ラリーやロベンをはじめ多くの有名人のサインを見て「どういう人物なんだ?」と日高さんは気になっていたと。その時はペダル音出し無しの取材だったので、展示してあるペダルのサウンドも気になっていたようです。

午後一時に「コメダ珈琲 恒久店」待ち合わせ。私は早めに行って一旦場所を確認した後しばし散歩をしました。やがて時刻になりお店へ。日高ひばりさんは駐車場で私を見つけてご挨拶。席に着くと「さて何から話しましょうか」とコーヒーを飲みつつ私の経験談を話し始めました。それは長い長い話となりました。1973年就職した頃に遡りましたが、それはペダルを作り始めるための必然を説明するのに必要でした。

因みに日高ひばりさんは男性です。お仕事ネームとして「ひばり」を名乗っておられます。私の機材をテーマにしたJUNK TVの番組を作りたいとも考えていたとか。

ペダルを作り始める経緯や海外のギタリストとの交流の話や、それにまつわるエピソードなど語り続けること4時間半。よく話し続けたものです。日高さんから「今日はこれからJUNK TVの収録があるんですよ」と振られて迷わず「見学しても良いですか?」と参加することに。

19時半に自宅まで迎えに来てもらってライブハウス「ニューレトロクラブ」へ。この一階に録音スタジオがあって今回の収録はそのスタジオをお借りして。テーマは「ペダルボー道シリーズ」の第何弾かでした。ゲストのイスさんと司会のシローさんが自前のペダルボードを前にしてウンチクを語るという内容です。スタッフが音楽やギターなどの機材好きなので、それに関する番組が多いんですよ。


JUNK TVセッテイング風景

収録のセッティングが終わりかけた頃、もう一人の見学者が現れました。ギタリストの磯貝サイモンさんでした。そして、ディレクターから見学者二人にハンドマイクが手渡されました。「とりあえず持っといてください」なんだこれは?と思いつつも受け取って・・・。

収録開始。順調に進むかと思っていたら突然、司会の濱田詩郎さんから「・・・ですよね田辺さん!」と振られてが画面外から返事をする羽目に。しかしその時カメラはしっかり私を撮影していたのです。これかなり仕込まれたなあと・・・。もちろん磯貝サイモンさんも意見を求められ、そのうち見学者の話が多くなりついにはカメラ前にひっぱりだされ、いつのまにか禅駆動と弾駆動の試奏番組に様変わり。収録会場のオーナー松浦さんが弾駆動の所有者で、さらに私も禅駆動をサンプルとして持ち歩いていたので、現物が揃ったというわけ。

試奏が始まった途端一斉に「太い!」の声が飛び出しました。ギタリストがよく使う褒め言葉です。ギターを弾く方々全員が言ったのでびっくりしましたが、気に入っていただいたようで、収録後は四名の方から「オーダーしたい!」と声を掛けられましたよ。収録に参加してよかった!



濱田詩郎 さん   私   日高ひばりさん

その後は、番組の打ち上げでお座敷がある飲み屋へ移動。私はアルコールを飲まないので、ウーロン茶で参加することに。ここであれこれ経験談を始めたら、結構盛り上がって、延々と私の独演会の様相を呈し始め気がつけば、3時間以上あれこれ話し続けていました。お昼の1時から話し続けているのですから、よくもまあネタが尽きないものです。我ながら呆れますが、人生を長くやっていると面白いネタが蓄積されるんですよね!番組の仕上がりがたのしみです!




私  磯貝サイモンさん  濱田詩郎さん

いつものごとく、私のソウルフードである赤江ラーメンも頂きました。たっぷりのモヤシはラーメン専用のもので、麺と絡んで食べやすいですね。日々、友人たちとも顔合わせしつつ、ほぼ実家でのんびりすごしましたよ。


今回の帰省目的は高校のクラス会でした。10名集まるというので参加することに。23歳の時に一度参加しましたので、今回は43年ぶりの参加です。爺さんばっかり11人というのも何だかなあと思いつつ集合地点へ。私のクラスに女子はいなかったのです。というか私達の学年だけ女子が一人も合格しなかったといういわく付きなんです。

2月15日夕方市内の指定場所へ集合。集まってきたおっさんたちの顔を見て「・・・誰?」と43年の月日は少年たちの容貌を大きく変化させていました。ほとんど判らず・・・。とその時「あっ!ベッキーのご亭主だ!」との声が。我々の横を巨人軍の片岡コーチが通り過ぎていきました。

クラス会会場のスナックへ到着。西橘通りのビルの二階にある店でした。マスターも同じ高校出身で同じ学年だとか。11名全員が自己紹介からはじめましたが「えええっ・・・あいつがこうなった!!!」と切ないくらいの変貌ぶりでした。その3週間前になくなったという級友もいて物故者は4名でしたね。クラス会は地元の者たちは話が近いのでなんとか盛り上がっていたのですが、私は明らかに離れていた期間が長いのでなかなかノリについていけず。まあ、業界も全く違うので仕事の話もできないしね。一つだけ救われたのは「あっ!田辺くんやがね!」と気づいてもらえたこと。意外にも全員に認識してもらえていたので一安心しました。

 


南宮崎駅の海側に赤江小学校があります。当家が直ぐそばなのですが、その赤江小学校の目の前に「いわきり珈琲店」があります。金土日月の11時から18時までしか営業しない喫茶店です。実弟の友人がマスターなので、私も昔から知っている方です。今回は3回ほど飲みに行きましたよ。お近くの方はぜひお出かけくださいませ!


いわきり珈琲店

私が帰省すると、母はいつも「肉が食いたい!」と焼き肉を所望します。そして実弟とともに行きつけの「夾竹園 宮崎南店」へ出撃するのです。一人では食べに行きにくいので、私が帰省すると必ずですね!91歳で日本酒とともに肉を食う気力体力があるのは嬉しいですよ!


実弟と母

今回の旅で意外だったことをもう2つほど。
以前このサイトでも書いたのですが、腰痛の痛みを緩和させるテクニックを披露するチャンスが有りました。知人宅へ友人が集まった時、一人の方がしばらく前からあまりにも腰が痛くて動きが取れず、少し歩けるようになってから温泉巡りをして体を温めているというのです。それでも痛みが消えず困っていると。そこで、私の知るテクニックを試してみることに。うつ伏せに寝かして、背骨の手前側から指を押し当て、上半身を揺らすのです。ほとんど力は必要ないですね。体の自然な揺れに任せてゆっくり揺らすと5分ほどで筋肉がユルユルになるのです。

7分後。「それじゃゆっくり立ってみて!」すると立ち上がるのも苦痛だった方が、すっと立ち上がれてビックリ!「あっ!痛みが殆ど消えてる!ありがとう!助かった〜〜〜!!!」との反応が。翌日にメールが来て「更に調子が良くなって今まで本当に痛かったの?」と思えるほどだとか。良かったよかった!お力に成れて幸いです。

実家に帰ると母も「腰の下のほうが痛くてね・・・」と言っていたので、同じテクニックで5分ほど揺らしてみたところ母もまた「あっ!楽になった!」ととても喜んでいました。実弟が近くに住んでいるのでテクニックを覚えて時々母にやってくれるように頼みました。

自宅に戻る前日、天気が良くなったので墓参りも済ませました。4つの家の墓が在るので全部回って一気に。そのなかで母の実家の墓を見に行って私の母方の爺さんが58歳で亡くなっていたと知りました。かつて写真で見たときは80歳位かなと思っていたのですが、58歳には驚きました。そして母の一言が「あんたはよく見たら爺さんに良く似てるわ!」と。いままで、父親似だと言われたことは頻繁でしたが、母方の爺さんに似ていると言われたのは初めてでした。母方の兄弟は7人いましたが、残っているのは現在母一人に成ってしまったので、客観的証言は母の発言のみですがね。かつて見せてもらった写真を探してもらいましたが見つからず、再確認することが出来ませんでした。

帰路、宮崎空港で空港責任者の藤本誠一さんにお会いしました。宮崎エアポートギターショーの主催者の一人で、弾駆動ユーザーでもあります。お昼だったので、ランチを御馳走になりつつしばしお話を。来年はギターショーを長めの期間やりたいとのご希望でした。ごちそうさまでした!


私 と 宮崎空港責任者 藤本誠一さん

羽田へ向かう飛行機は15分遅れで飛び立ちました。いつもなら羽田までの1時間半を眠って過ごすのですが、天気がそこそこ良かったので、下界を眺めつつ乗ることにしました。海岸線が日本地図の通りに見えていてなんだか嬉しくなります。あたり前のことなのですが、妙にウキウキしました。やがて静岡県が見えてきた時、富士山と伊豆大島のコラボがとても荘厳で美しかったですね!思わず写真を一枚。


この年になって、急ぐ旅でもなく期間も適当で「この便に乗れるから行ってみるか!」とか「この便が空いてそうだから帰るか!」気軽に動けるのが嬉しいですね。シニア割引で。

と思っていたら、もっと安い手があることを実弟から知らされました。Jetstar だと、オフシーズンのバーゲン期間には宮崎ー成田で2,000円のチケットが発売されるというのです。ちょっとずれても3,990円だとか。この金額だと、とりあえず予約しておいて行けなくなっても諦められますからね。これからちょっと研究していろんな場所へ出没してみようかなと考えています。



ただ、Jetstar は成田が拠点なので、川崎の当家から成田の往復がネックとなっています。調べたところ約1時間で1,000円程度で行けることが判明。手荷物は7kgまでで、預ける荷物は有料だとか。つまり、大きな荷物は先に宅急便で送っておいて、7kgの手荷物と体だけで飛べば2,000円でフライトが可能だということですね。年内には一度試してみたいなあ!


本日の結論
交通費は安く出来ても結局、実家以外だと宿泊費が高いんだよね!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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