移動的週末話


2018年10月22日 3日間をどうやりくりするか!

まずは東京楽器フェアから!


「画策しているようですが」

今月の頭に気づいたことがありました。スケジュールのフォース・ブッキングが発生したのです。正確に書くと一日ではなく、10月19日から21日にかけて全体像としてそうであると気づいたのです。どれかをサボれば問題ない流れになるのですが、いずれも参加したい件ばっかりだったので、なんとかしてクリアしようとスケジュールを組みました。体力的にどうなのか?が一番の心配事でしたが「やってやろうじゃないか!」と燃える私でした。しかしそれを聞いた妻は「やめといたら?車の運転も心配だし・・」と心が揺れるようなことを言い放つのです !

この3日間でやらなければならないことは4つ。東京楽器フェアが3日間開催されるので参加。かつて勤めていた会社の会長が退任されるのでその送別大パーティーに参加。群馬県片品村で毎年開催される「片品村笠松邸ジャズライブ」に参加。マンション理事会の今年度最後の会議に参加。それぞれのスケジュールを綿密に考えて一連の流れを組みました。


清水一雄さんによる Kz Guitar デモ。


まずは、10月19日(金)東京ビッグサイトにて「東京楽器フェア」が開催されるので、10時半自宅出発で東京ビッグサイトへ。オープン直前に到着してチケット入手。この時点でジャスト12時でした。例のTシャツを着用してウロウロと。まずはKz Guitar で清水一雄さんにご挨拶。伊集院さんにもね。すぐ隣のブースに李さんもいてご挨拶。なんてなことで、場内をうろつくこと数時間。床が硬いので5,000歩あるいたところで足の踵が限界となり、休憩所で一休み。


Mr. Allen Hinds

すると隣のテーブルに知った顔の外国人が座っていました。あれ?誰だっけ?会ったことあるような気がするんだけど・・・いや、会ったことないなあ・・・。といろいろ思考つつ結局現場では思い出せず。他にも、BOSSのブースでご挨拶したりユーザーにお会いしたりで夕方18時まで居ました。この時点で足にかなりキテました。あの外国人がずっと気になっていたのですが今頃になってようやく誰だかわかりましたよ!ギタリストの Mr. Allen Hinds でした!ああスッキリしました。

そこから急いで移動です。JR恵比寿駅近くのパーティー会場まで18時半開場予定だったので、それに間に合うようにズンズンと歩きまして、なんとかたどり着きましたが・・・しかし、会場の準備が遅れていて入り口で待機。そうするうちに参加者が集まり始め入り口で昔話の雑談が始まりました。十年ぶりで会う方も多くてね。

やがて開場して、続々と参加者が詰めかけました。1973年8月に私が入社した会社「株式会社 葵プロモーション」は当時青山の裏通りにあった小さなテレビコマーシャルプロダクションでした。当時の上司が今回の主役です。78歳で会長職を退任されるというのでその「お疲れ様パーティー」でした。遠い昔から今まで会社に勤務した元社員たちに声掛けがあり、集合したというわけです。私自身も、遠い日に一緒に働いた方々に逢いたくて参加したのですよ。


会場で平野くんと久しぶりの顔合わせです。

「東京楽器フェア」の帰りに寄ったわけですから、当然あの「弾駆動Tシャツ」姿です。私の最近の事情を知るかつての同僚たちは面白がって私に話しかけてきました。「ギター作ってるんだって?」とか勘違いされている方もいましたがね。概ね音楽好きの人々は喜んでくれましたよ。数人は私の現状の話にとても食いついてくれましたがね。このようなパーティーでいつものことですが、私は出されたパーティー料理にほとんど手を付けません。飲み物だけを少し。ナゼだか分からないのですが、どうも苦手なんですよパーティー料理ってやつが。酒を飲まないせいもあるんでしょうね。

大盛況のうちに22時半頃にはお開きとなり、会場を出ましたが駅に向かう道でかつての部下と話をしていたら「コーヒーを飲みたい!」となり、コーヒーショップで話の続きをすることに。私がなぜ、今このような仕事をしているかの詳細を知りたいとのことでした。話し続けていたら23時過ぎになり、これは電車がなくなると慌てて切り上げました。これで、2つ目がクリア。

自宅にたどり着いたら0時きっかり。慌てて「群馬県片品村笠松邸」へ向かう準備です。目覚ましを04時半にセットしてベッドに倒れ込んですぐに熟睡。しかし、04時きっかり目覚めました。老人の朝は早いのです。とてもお腹が空いていましたね。すぐにシャワーを浴びて一段落したところで駐車場へ。05時05分出発!目標は2時間30分程度の行程です。土曜日の早朝ですから道は空いていまして、楽勝と思っていましたが、意外にも環八が後半になりやや渋滞気味に。関越自動車道に乗ったのは06時05分。ここまで1時間もかかってしまいました。

そして、意外なことが。この時間帯なので空いているだろうと思っていたら関越自動車道にパトカーが出没。スピードを上げさせないように先導していました。全行程ほぼ時速80kmのアベレージでした。安全ではありますがちょっと苛つきました。2時間半も走っていたので、赤城高原で朝食兼ねて一休み。食事が胃に入ったので眠くなると困ると思い、直ぐに出発。8時25分ころに笠松邸到着。約3時間20分のドライブでした。

邸内ではちょうと朝ごはんの準備が終わったところ。しかし、私は先程そばを食べてきたばかりだったので、食事はしないでしばし笠松さんたちと雑談を。ご挨拶代わりに、ナイフを一本プレゼント!やがて10時になり気を失うように寝てしまいました。人の気配で目が覚めると12時ジャスト。今度はお昼ご飯の準備が始まっていました。広い庭に天幕を張り、テーブルを出してBBQの準備です。9月に修理したピザ窯にも火が入っています。バンドメンバーも到着しました。全員揃ったところで・・・。


ギターで初参加のタクシくんと。

殻付きの生ホタテや牡蠣が持ち込まれ、刺し身にしたりバター焼きにしたりで大盛り上がり。もちろんビールや酒もガンガン消費されていきます。秋刀魚が焼かれ、先程さばいたホタテの紐も調理されて出てきました。私が持ち込んだロテサリーチキンもピザ窯に入れて温め直し!皆さんで一気に食べきりました。皆さんのお腹もいっぱいになり、日が陰ってきたので、笠松邸のベランダでいつものジャズ・ライブです。今回はギター・ベース・サックスのトリオ。



しかし・・・この頃になって私は気づいたのです。「疲れている・・・」とね。なんだかグッタリして、あまり食欲もないのです。無理やり食料を詰め込んでみましたが、一口目は良いのですが二口目に手が出ない。おおお・・・こりゃダメだ。やはりこの年になると、強行軍に対して体が素直に反応するのですね。「無理するな」と。若者たちはあれこれ食事の準備をしたり調理したりで動き回っていましたが、私はそれに反応できずでちょっと悲しい思いもありましたよ。



夜になり、室内で自家製ピザやたこ焼きなどを頬張りつつ、ジャズライブ室内編の始まりです。しっとりと堪能したあとに、ギターのタクシさんが「弾駆動」の試奏を開始。一人で床に座って、じっくりと3トーンの違いや細かなセッティングの違いを試していました。そのトーンがよくてね。試奏なのに、みんなで聞き入っていたら、突然ベースの松本さんが立ち上がり、その試奏しているフレーズに対してベースラインを加え始めたのです。



するとさらに気持ち良いサウンドになりやがて「ロックの名曲をやってよ!」と盛り上がりだし・・・。サンタナ、ジェフ・ベック、クラプトン等の名曲が繰り出されました。ちょっとジャズっぽくね!堪能しつつ試奏は終わりましたとさ。タクシさんにも「弾駆動」を満喫していただいたようです。



更に夜は深まり、皆さんのお酒も進みましたが、私はアルコールは嗜まないので、ぼんやりと眺めたり世間話をしたり。0時になったので「私は明日の朝5時に出発します!また来年お会いしましょう!」と服を着たままこたつで雑魚寝です。4時50分に目覚ましをかけておきました。

「田辺さん!もうすぐ5時ですよ!」といきなり叩き起こされて時計を見ると4時45分。ちゃんと心配して見守っていただけるとはありがたい!車で出発するまで寒空でお見送りいただきました。ところが!!!車のエンジンを掛けると、フロントガラスが霜で凍りついていたのです!ワイパーを動かしたらザリザリとひどい音が!暖房を掛けファンをぶん回し解凍させてみましたが、眼の前に小さな範囲しか溶けてくれずでした。溶けるまで待っていられないので、その小さなのぞき窓を凝視しつつ、車を発進!笠松邸の場所をご存知の方は「おい!無理すんなよ!」といいたくなるくらいの急な山道なんですが、なんとか無事に降りて一般道へと出られました。怖かった・・・。

10月21日朝、関越自動車道は流石に日曜日の上りですからガラ空き!順調に走って自宅についたのが8時半。しばしリビングで水分をとって会議まで待機です。念の為9時45分に目覚ましをセットしておいたら、案の定すぐに寝落ち。目覚ましに叩き起こされて、あわてて会議室へ向かいました。

今期最後のマンション理事会でしたので。総会へ向けての決定事項が多くて通常なら1時間半から2時間で終わるはずが3時間近くかかってしまいました。でもこれで一年間の大役が終わるのですからね。大したトラブルもない一年間でしたので一安心です。13時に自宅へ戻りまたしても一休み。リビングのソファーで崩れるように寝込んでしまいました。

こうして3日間に渡る4つのお約束はすべてクリアできました。東京、群馬、神奈川、と動き回ってしまいましたが、やはり体力が急激に消耗してしまう年齢の壁を感じましたね。現在66歳ですが、年を取るのは誰しも初めての経験です。国は年金対策として70歳〜75際まで現役で働くことを画策しているようですが、そうはいかんと思いますよ!私の周りにも60代で亡くなった方が多いですから。ちなみに妻の父親は61歳。私の父は67歳で亡くなりましたからね。

これから数日は無理せずノンビリと過ごしますよ。長文失礼しました!










本日の結論
本当に体力の劣化を感じる3日間でした!

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