喪失的愛玩獣

2018年10月01日 ペットとの関係について!


VAN JACKET "SCENE"



「飼っているというより一緒に暮らしていると言いたいな僕たちは」

ある友人が飼っていた愛犬が亡くなりました。12年間一緒に生活していました。私も何度も会ったことがあります。

ペットは「飼う」のではなく「一緒に生活している」感覚ですよね。当家にも8年ほど一緒に生活した白文鳥「ラッキー」がいました。生まれたての羽毛がない状態からスポイトで餌を与え続けて、しばらくしたら手乗り文鳥として当家内を飛び回っていました。寝るときだけ鳥かごの巣へ戻っていましたね。2005年ころに亡くなってしまいましたが、妻はその後一週間泣き続けていました。「飼う」と「一緒に生活する」の違いがそこにあったからでしょうね。

私が持つ一番古いペットとの生活は、もう60年ほど前の記憶です。野良の雑種犬でした。私が小学1年生の頃、当時住んでいた一軒家の玄関席にふらりと現れ、そのまま居着いてしまいました。当時は犬用の餌というものはなく、人間の食べるものの残りを与えていましたね。冷やご飯に味噌汁をぶっかけたものとかね。首輪も無く、もちろんリードもなく放し飼いでした。つまり散歩させるという発想もなかったのです。

ある冬の寒い日のことでした。母親がお風呂を沸かそうと、風呂釜の下へ新聞紙を突っ込んで火をつけたところ、その愛犬ポチが風呂の焚口から煙を上げながら飛び出してきました。慌てて風呂の水を掛けて消火!大事には至らなかったのですが、寒いから焚口に潜り込むという発想は私達にはなくて可愛そうなことをしました。それでもその犬はずっと居着いていましたからね。

かなり鮮明に覚えている記憶は、映画館での出来事です。ある日のこと、家族全員で映画館にでかけました。宮崎県小林市はまだまだど田舎でした。私達家族は父親が運転する自転車に親子4人乗りで映画館に向かいました。するとポチは自転車を追いかけて一緒に走り続けたのです。自宅から映画館まで30分ほどの距離だったでしょうかね。

映画館に入った私達を追いかけてポチも一緒に入ってきました。そして映画鑑賞。たしかディズニーの「百獣の王ライオン」でした。映画鑑賞が終わり、帰ろうとした時にポチが居ないことに気づきました。映画館の中にも外にも居ませんでした。やがて帰宅すると、ポチは玄関前で尻尾を振って待っていました。帰巣本能ですね。

2年ほど一緒に遊んでいましたが、やがてそのポチとの別れの日が来ました。私達は引っ越すことになり、引越し先にポチを連れて行くことができませんでした。父親は隣町、西小林市の知り合いに頼んでポチを引き取ってもらうことにしました。ポチが引き取られ、そしてついに引っ越しが完了。その時は別にペットとの別れが悲しいとかの感情はありませんでした。

ところが・・・数か月後に悲しい知らせが届きました。その犬は遠く離れた隣町から抜け出して、私達が住んでいた家の前に来ていたそうです。そして何度連れ戻されても戻ってきてを繰り返していたそうです。その報告を聞いて悲しくなりましたね。小学3年製の頃の出来事です。

ペットと一緒に生活するという行為には、必ず別れがつきまといます。人の寿命より長い寿命のペットはそうそういませんからね。その別れありきで一緒に生活することを選択するのですから最初から覚悟は必要です。多くの方がペットロスを体験されていますよね。私は生き物が苦手です。そう・・・別れがそこに予め予定されているからです。対人にしてもそうなんですけどね・・・。

これを書いている途中で思い出したことがありました。
かつてVANのブランド「SCENE」のTVCMで使ったコピーを思い出しました。「飼っているというより一緒に暮らしていると言いたいな僕たちは」そして、そのTVCMの出演者、マット・コリンズの愛馬「ハリウス」の話です。彼はLAでモデルをやりつつ乗馬クラブに所属していました。ある仕事でしばらくLAを離れていた間に、マットの相棒であった愛馬「ハリウス」が日本から来たオリンピック乗馬団に気に入られて日本チームが買って帰ったそうで、マットはそれを聞き泣き崩れたそうです。

そして、マット・コリンズは撮影のために日本へやってきました。その初日に私はスポンサーを通じて頼まれました。「ハリウスを探して欲しい!お金が貯まったらハリウスを買い戻したい!」というのです。「会えるものならオフの日に会いに行きたい!」とね。しかし、私に馬の知り合いは居ません。ましてやインターネットのなかった時代です。必死になって探しました。まずはオリンピックの馬術競技の日本代表の連絡先を見つけて電話です。

すると「ハリウス」という馬はいないと言われました。しばらく電話口で様子を探っていましたら、ようやく解りました。名前が違っていたのです。「ハリウス」は英語の発音です。日本では「ヘリウス」という名で登録されていたのです。ではその「ヘリウス」は今どこに?と食い下がると・・・「九州の佐賀県馬連」にいます。との回答が・・・。マットの仕事オフの日は最終日の1日だけ、とても佐賀県に向かうことはできません(当時まだ佐賀空港はなかった)。

念のために、佐賀県馬連に電話してみました。そこで驚きの事実がわかったのです!なんと「ヘリウス」は東京の馬事公苑で開催される馬術大会に出場するため、いま東京に向かって輸送中だというのです!しかもその馬術大会はマットのオフの日である次の日曜日!何という奇遇でしょうか!私はそのことをすぐにスポンサーへ連絡、マットは奇跡だととても喜んでいました。さらにもう一つの奇跡は、馬事公苑にありました。その撮影のカメラマンは繰上和美さんでしたが、彼の事務所のマネージャーのお父さんが馬事公苑の関係者だったのです。関係者以外立ち入り禁止の状態でしたので、これは助かりました!

やがてその日曜日、マットは馬術大会の終わったあと「ヘリウス」に面会しました。なんと「ヘリウス」はマットを覚えていてすり寄ってきたそうです。私は残念ながらその日は別用で一緒に行くことができませんでしたがね。しかもその大会で「ヘリウス」は優勝までしたのです。マットは「絶対買い戻す!」と言い残して日本を離れました。

それから数年後の話です。私はふとハリウスのことを思い出しました。マット・コリンズは買い戻したのだろうか?と・・・。佐賀県馬連に消息を聞くため電話してみました。「ヘリウスはその後どうしたのでしょうか?」すると、電話口に出てくれた女性の方から「ヘリウスはいい馬でしたね!残念ながらヘリウスは疝痛で数年前に亡くなってしまったんですよ」疝痛???初めて聞く言葉でした。人間で言う腹痛のようなものだそうです。そうです・・・結局あのマット・コリンズはヘリウスを買い戻すことはできなかったのです。久しぶりにこの話を思い出しました・・・。


本日の結論
また白文鳥を飼ってもいいかなと思い始めた昨今です!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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