過去的自分顔

2018年05月16日 これもゲシュタルト崩壊!

1990年頃の自分の写真!見つめていたら自分に見えなくなった・・・。



「ゲシュタルト崩壊しつつ」

同じ文字を何度も書いたり、じっと見つめていると「あれ?これってこの漢字だっけ?」と思うことがあります。集中して観ていると、約30秒でその状態が発生するようですが・・・。これを「ゲシュタルト崩壊」といいます。眼の前にある形状の認識があやふやになる瞬間ですね。文字ではかなり経験してきた「ゲシュタルト崩壊」ですが、本日写真でもそれが起こりました。

ゲシュタルト崩壊(ゲシュタルトほうかい、Gestaltzerfall)とは、知覚における現象のひとつ。 全体性を持ったまとまりのある構造(Gestalt, 形態)から全体性が失われてしまい、個々の構成部分にバラバラに切り離して認識し直されてしまう現象をいう。幾何学図形、文字、顔など、視覚的なものがよく知られているが、聴覚や皮膚感覚においても生じうる。(by Wikipedia)

探しものを見つけるため、机の中を整理していたら昔の写真がたくさん出てきました。それらはほぼ私が写っている写真。スキャンしてデジタルデータにし、アルバム風にまとめようかなと思いついていくつか作業を進めたところ・・・。

Photoshopで色補正加工のため同じ写真をしばらく見つめておりましたら、そこにあるのは自分自身の過去の顔のはずなのに、自分に見えなくなり始めてしまいました。「これって誰?本当に俺か?」と感じ始めたのです。作業を進めるほどにその感覚が強くなり、ちょっと怖くなってきました。

自分の過去の顔を自分で認識しづらくなるという現象も「ゲシュタルト崩壊」というのですね。自分の写真でそれを感じたのは初めての経験でしたが・・・。しかし・・・過去に似たような感覚を持ったことがありました。あれは「ゲシュタルト崩壊」ではなく「離人症」という鬱病症状のひとつでした。精神状態が自分自身と分離して、別人格の目を持つ状態です。

一番端的だったのは、鏡を見た時の感覚です。「そこに映っているのは誰?」と自分自身であるにもかかわらず他人に見えてしまう感覚があったのです。それが出始めると鏡の前に立つのが怖かったですね。「離人症」は長くつきまといましたが、鬱からの解放とともに消え去りました。

しかし!今回の「自分の写真でゲシュタルト崩壊が起きる!」現象を体験すると、一瞬「えっ?また離人症が始まった?」と思ってしまいました。過去の写真は、明らかに自分の顔です。その時代時代の顔を持っています。自分だと分かっているのに「本当に自分なのか?」と思ってしまうのは何故でしょうかね?


これが2018年3月28日の顔。最近の写真ではゲシュタルト崩壊しない。


おそらく、今の自分の顔に慣れきったせいで、過去の顔に「不慣れ」になったような気がします。例えば高校一年生の頃の顔。写真が小さくて見づらいですが、生まれて初めて買ったギターを担いでいます。3年後にギター持ったまま転んでギターをクラッシュさせてしまいましたが・・・・。この写真を見ても「私なのか?」とやや落ち着かない気持ちになります。どうも記憶の中の自分の顔が不鮮明になっている気がします。



さらに以下の様な写真だと、いったい何をやっていたのだ?と自分自身で笑ってしまいますが、明らかに私自身が率先してやったことです。1976年、TVガイドのテレビコマーシャルを大学の広告研究会と制作することになり、ユル・ブリンナーのパロディーCMの出演者選出を学生たちに依頼しました。条件はカツラではなく、本当に髪を剃ること。まあ、結果として学生は怖気づいて誰一人立候補する者はおらず、最終的に制作担当の私が頭を剃り出演することにしました。何だったのでしょうね、あの時の私の意気込みは?顔には、ボツボツを造ったりシワを描いたりしてかなり老け顔にしてありますが、中身は24歳でした。本当に俺か?ちなみに、タバコはこの数日後に完全に止めてしまい今に至っています。


やはり、過去の顔と現在の顔の誤差が自分の脳内でシンクロさせきれないんでしょうね。中学生ころまでは、写真の数が少ないので丁寧にアルバムに貼っていましたが、高校生になると写真部に入ったせいで写真が溢れてしまい、それ以降は丁寧に扱わなくなってまったくアルバムに残していません。バラバラのまま手元にあります。年齢的に自分の過去をまとめておく時期が来たのでしょうかね。ゲシュタルト崩壊しつつ自分の写真を整理してみましょう!


本日の結論
さて、時間がある時にまずは昔の写真を発掘しましょうか!

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