江副的善悪考

2018年02月14日 生前の江副浩正氏に会いたかった!



「何が起こったのか。何者だったのか?」


この本の書評を書くのに、私は微妙な立場である。まずあるのは著者馬場マコトとの長い交流を持っているということ。もう35年程度だろうか。本書の初稿段階から最終稿直前まで依頼されて4回に渡り読み通して私見を述べたこと。さらに、巻末に私の名前が協力者として書き込まれていること。だが、出版された本書をあらためて手にとってみると、感動とともに何か書きたい衝動が生まれた。だが、それは書評ではなく心象である。

原稿の段階では存在しなかったモノがある。死体検案書。いきなりそこから始まる構成は、リクルート事件でしか江副浩正を知らなかった自分にはショックであった。マスメディアが掻き立て、人々に植え付けた「江副浩正」像があると思う。その報道は今で言えば江副浩正はダークサイドにいる人物でそれは正義ではないという立場に貫かれていた。そして、その怪しげな知識は常識となって自分の中に長年沈着していた。

そもそもリクルート事件とは何だったのか?への興味の方が当初私には大きかった。今になって知る事件の全貌と解釈によって異なる微妙なラインでの善悪のスタンス。それを含む人物正伝がこの本の保つ構造の厚みを増している。「何が起こったのか。何者だったのか?」それを知るためのこの本の厚みである。時間を掛け丹念に取材され掘り起こされた事実は、読み手を圧倒する没入感がある。

だが、そこで気付くもう一つの感情があった。
馬場マコトがこの本を書くかなり前のこと。江副浩正についての世間の知識の感覚とは違う様子について聞いたことがあった。この本の中でも紹介されているあとがき内のエピソードなのだが。それらを凌駕してさらに「事実だけを書いた」という彼の言葉の裏にある「事実をすべて書いたのか?」との疑問。あえて加えなかった事実もあるのではないか?とも思えるのだ。昨今の報道でもそれは多々見受けられる手法だ。「報道しない自由」ってやつだ。このことは、この本の持つ世界観とは全く違う感覚でもあるが、どうしても気になってしまう。

江副浩正が主体となって書かれているが、その中であえて書かれていない部分が有ることを探りつつ読むのも一つの読み方かもしれない。ビジネス書なのか?人物伝なのか?どちらとも取れる本書である。なぜ、馬場マコトがこの本を書く気になったのか?それはあとがきを読めば理解できるだろう。

1988年リクルート事件の報道に接したことで、江副浩正を「政界に未公開株をバラまいた犯罪者」としてしか記憶していない方々に読んでいただきたい。ここには全く違う視点からの人間像が描かれている。


本日の結論
歴史は表に出ている情報だけでは理解できない。

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