卒寿的母親像
2017年11月14日 90歳という歴史!


実弟   母   私


「自分自身の人生」

今日は母親の誕生日です。昭和2年生まれで満90歳を迎えました。お誕生日おめでとう!

先週金曜日に宮崎から実弟と一緒に当家に遊びに来ました。もちろん90歳の誕生日を私達と一緒に祝うためです。4日間の滞在でした。ひ孫の顔を見るためでも有ったのですが。本来であれば、私たち夫婦が実家に向かうべきでしたが、私もちょっと用があったのでなかなか動けませんでした。そこで実弟と母が話して上京してくることになったと。母は驚くほど少食です。よく運動して少食が長生きの秘訣ですかね?

昨年は母が一人で上京してきました。実に元気です!少し背中は丸くなってきましたが脚は丈夫です。サクサク歩けます。膝を痛めている実弟より早く歩きますよ。数ヶ月前、母が倒れ意識が朦朧としたので弟が病院へ連れて行ったところ、空きっ腹で風邪薬を飲んだ副作用だったとか。体が小さいので大人の量を飲んだのが悪かったようです。ということでその後は全く問題なし。その際に脳を調べたところ、担当医師からこう言われたとか「脳に全く問題ないです。ボケない脳ですよ!」一安心ですね。

母は85歳ころまで卓球の選手をしていました。「ねんりんピック」にも宮崎県代表として出場していました。ところが、卓球仲間が皆さん亡くなってしまったので練習相手がいないと卓球をやめてしまいました。今は65歳から始めた麻雀が楽しみなようです。「麻雀は不良がする遊びだと昔は思っていた」と母は笑いながら言っていました。

父は既に平成2年に亡くなっていますので、それ以来母は一人暮らしです。ふと振り返ると、私の年齢の時の母親は既に父を亡くしていたのですね。私が今連れ合いを失うということはちょっと想像できない状況です。母は27年も一人暮らししていますが、実弟がすぐ近くに住んでいるので、仕事帰りに週に数回は実家に顔出しして夕食を一緒に採りながら体調の確認をしています。とは言え、弟のほうが病院通いが多いのですがね。

父が長年公務員であったため、いわゆる恩給と言うやつで母は生活しています。実家はあるし光熱費と一人の食事くらいしか通常は消費しないので充分に安心して生活できています。健康以外にも経済的な面で息子としては助かっていますよ。私だってもう年金暮らしみたいなものですから。

そして気付くのです。私は母の何を知っているのでしょうか?ほとんど母の若い頃の話を聞いたことがありません。そして私が生まれ育ち、気がつけば私は上京してしまってじっくりと母の歴史について話を聞くこともありませんでした。どんな人生だったのか?断片的な知識しかありません。

そして父もそうですね。大東亜戦争で台湾まで出兵したことは知っていますが、それ以外はあまり話すこともなく亡くなってしまいました。しかし、先日実弟から聞いた話では、父が子供の頃からの人生を書き残したノートがあるというのです。すでに弟は読んだとね。私も是非読んでみたいとPDFにして送ってくれるよう依頼しました。届くのが楽しみですよ。

私は妻についても出会う前のことはほとんど知りません。幼いころの話を断片的に聞くだけです。では自分自身についてはどうでしょうか?1996年からこのホームページを書き始めたので、今年で21年目ですね。それ以降の記録は文章としてかなり残っていということです。このサイトを立ち上げていなければ、それらの記録や記憶はかなり消えていたでしょうね。

そして思うのです。人は誰しも辛い記憶があります。楽しい記憶だってあります。自分だけしか知らない事実もあるはずです。60歳を過ぎたらそろそろ自分の人生を書き溜めておくのはいかがでしょうかね?自分が父となり、母となったあとその子どもたちが大人になり人生や家族を振り返りたくなった時「父や母はそういう人生だったのですね・・・」と知るための手がかりを残すのも有りではないかと。

そして今私はコレを書きながら少し焦っているのですよ。自分自身の人生のあれこれを書いてみようかなと思い始めたのですが、母は今日で90歳です。ボケない脳であると言われていても、遠い記憶は薄れていきます。今のうちに母に取材して私の子供の頃や私の持つ記憶以前のことを記録しておかないと、そのうち取材不能になりますよね。そうなると私の人生そのものが記録に残せなくなります。宮崎と川崎では気軽にその取材ができないのがちょっと辛いなあと思い始めた本日でした。

次の手を考えるとすれば、実弟に頼んで母に録音取材してもらうことですね。母自体は長年に渡り日記を書いているので文章で記録することは問題ないかもしれませんが。いずれにせよ、残された時間はそう多くはないと感じます。何度かトライし挫折していた自分の人生の記録にまた動き出しましょう!

ただ一つ心配なのは、自分の古い記憶を辿り始めるとその記憶の渦に巻き込まれて心が苦しくなるのですよ。切なさと苦しさで落涙することもあります。時間の流れによって、その記憶の時代へは決して戻れないのだと知らされます。そう!いつもそうやって苦しくなって書くのを止めてしまうんですよ。

てなことで、本日は母は90歳(卒寿)になりました。100歳まで行けそうな気配を漂わせております。


本日の結論
いまさら母の人生を知ってどうするのか?というツッコミはやめましょうね!

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