成長的家庭内
2017年10月20日 40歳の頃なにを考えていたのだろう?


台風が近いので本日投票を済ませました!


「妻を精神的に目上だと思うこと」

ちょっと長くなるけど、ふと思い出したことを忘れないうちに書いておくべきだろうと自戒の念を込めて書き残そうと思ったのですよ。自分は40歳過ぎの頃どうだったのか?そしてどう対処したのか?妻との関係は?家族との関係は?結婚されたばかりの若い方々にいずれ家庭はこうなるよと予告しておきたかったのです。それでは書いてみましょう。

私は結婚当初、家庭内をコントロールしていると思っていました。理由は簡単です。自分の仕事はスタッフをコントロールして目指す物を作り上げるという仕事でした。仕事全体に渡るコントロールが上手くいくと、良いものが出来上がり利益も出ました。私は長年利益率の優等生を続けていました。結婚時の妻との約束は、子供はつくらないということ。私はその頃、自宅に子供がいる光景を全く想像できませんでした。

やがて時が過ぎ、江東区東陽町にマンションを買いました。26歳の時です。3DK+S という間取りでした。私は仕事で帰宅が遅くなることが多かったですね。妻も旅行代理店で働いていましたが、自宅で私のために食事を作るのが楽しかったようで、毎日かなり凝った料理が出されていました。二人だけの生活は2年続きました。

やがてその時が来ました。妻が「子供が欲しい」と言い始めたのです。アウト・オブ・コントロール。約束と違う要求にイラ立ちましたが、何度かの話し合いの末に出した結論「私は子育てはできない。貴方が責任を持ってやり遂げるというのなら作りましょう」ということでした。結果、女児が産まれました。健康ですくすく育ちました。私が娘に関与することは殆どありませんでした。自分の子供でありながらずっと苦手でした。私は女児が居ない環境で育ったのでどう対処してよいかわからなかったのです。

平成元年に現在のマンションへ引っ越しました。バブル真っ盛り。バブル崩壊の半年前でした。大きな部屋を手に入れてかなり満足していましたが、ローンの支払金額は毎月大きく、生活はかなり逼迫していました。そんな中、自分の意識では娘は素直に思った通り普通に育つと思い込んでいたのでしょう。やがて、それは打ち砕かれます。幾つかのトラブルを抱え、理解しがたい状況が生まれました。娘は中学校でいじめのターゲットとなり、親として精神的にかなり苦しい日々を過ごすこととなりました。転校や幾つかの対策でなんとか娘が高校を卒業したときには泣きそうになりました。

かつて私は妻にこう言ったことがあります。「会社の仕事では部下やスタッフ全員が私の意見を聞いて目標に向かってクリアして行くのに、なぜ家庭ではそれが出来ないのだ?なぜ私の言ったことが指定した時間までにクリアされないのだ?」それに対して妻は「ここは家庭であって会社じゃない、私にも立てたスケジュールがある」今となってはアタリマエの反論ですが、実はこれが当家内における私の精神的正常化のスタートとなった言葉だったのです。簡単なことです。プライオリティーが夫と妻では違うってことだったのですよ。つまり、家庭内は主婦が主導権を握ったほうがスムーズに上手くいくってことですね。

実は、娘が生まれたときから高校卒業するまでずっと アウト・オブ・コントロール だったのですね。そして、その真っ最中の42歳の頃にふと気づいたのです。世の中に何一つ自分でコントロールできるものなぞありはしないとね。自分の精神状態さえ自分でコントロール出来ないのですから。出来るのはせいぜい車の運転で近場を走るぐらいのものです。仕事上は自分でコントロールできると思っていても、生活ではアン・コントローラブルな出来事は向こうから飛び込んできます。事故や病気、死がそのいい例ですね。自分の描いた未来は事故で一気に打ち砕かれます。

ましてや妻や子供は他人・他人格です。自分で作った機械ではないのです。コントロールすることなぞ出来やしないのですよ。そう気づいた瞬間から、私は妻にあまり小言を言わなくなりました。妻の行動の結果に不満が有っても、それはそれで一生懸命やった結果ですよ。それが嫌なら自分でやればよいだけです。家庭のインテリアが、当初自分が考えていた理想と違い始めた時、私は嫌だと思いました。洗濯物は室内に干さないでとか、リビングに置くものの色は私の意見を聞いてほしいとか当初は言っていたのです。

ところが天気の悪い日が続き洗濯物は乾かない。やむを得ずリビングに干す、それは私のマインドを知った上で妻が熟慮した結果の必然でしょ?いつの間にか孫のためにアンパンマンが置かれ、ミニチュアカーは破壊され歩行器が置かれる。私が求める美観とは違うけれど、孫が遊びに来る生活をする上での必然であると。そんなことが家庭内では頻繁に起こることに対して「なにをイラダツのか?」それこそが家庭生活ではないのか?とね。

結局私が選んだ道は「自分の部屋の構築」でした。ココさえキープできれば他の部屋がどう散らかっていてもいずれは片付くのですからそれで良しと。ましてや、子供が小さな時代は片付けたすぐその直後に散らかしが始まるのは当たり前。この「当たり前」という感覚が若い頃はなかなか掴めなかったのですよ。理由は簡単。私自身に子育ての経験がなかったから。今、孫が遊びに来るとそれを体感しています。散らかし放題。それを最初は拒否していた自分が居ましたが、今は「彼等が帰ったらゆっくり片付ければいい」と鷹揚に構えられるようになりました。いちいち目くじら建てることではないとね。私の集めたミニカーの棚はいま、廃車置場のようになっています。いくら壊されても私はそれをタダ眺めているだけ。これもまた「形あるものいつかは朽ちる」という言葉が身についたからですね。

新しい機器やモノに対して異常に傷つくのを恐がる人が居ます。誰でもきれいに使いたいでしょう。「こんなに高いものを傷つけて!」と怒り出す人がいます。しかし、いつまでも綺麗なままではありえない。あなたが受け取ったその直後から劣化は始まるのですよ。どんなに高級車でも一度走れば中古車です。一度洗えば細かな擦り傷がつきます。高額なものに傷つけたくなかったら使わないことです。手に入れないことです。一度世に出たら確実に朽ちていくと思っていれば悔しくもないですよね。車を貸して傷つけられた場合、それは貸した方の責任です。傷つけられたくなかったら貸さなければよかったのです。やがて自分自身も朽ちていくのですよ。

長い時間を掛けて自分自身が到達したのは「許す」という感覚の保持でした。マインドの許容範囲を広げるってことです。妻がドタバタしていて食事の支度ができていなくても「じゃあ、外に飯食いに行こうか」とか「残り物でもなんでもいいよ」と言えるようになり出されたものには一切文句をつけないですね。安売りの弁当が出されたときにはその値下げ率を面白がったり出来るようになりました。台所が片付いていなくても「今日は遅いからもう明日でいいよ」と言えるようになりました。「許す」と決めていれば、自分自身が何一つ精神的に追い詰められることはないのです。楽に生きていけます。「許さない」から自分で自分を締め付けているんですよ。

それともう一つ若い頃には大きな勘違いがありましたね。三食昼寝付きでのんびり暇そうに遊んでいるという妻への勘違いがそれです。40歳過ぎまで「俺が稼いで家族に飯を食せている」という無意識の感覚がありました。これは大きな間違いなんですね。多くの男たちがその幻想にとらわれています。自分が稼いでくる給料の半分は妻が稼いだようなものです。家庭を維持し子供を育てるってことは重労働ですよ。決して三食昼寝付きではないのです。夫が自分一人で家庭を維持し、子育てするなんて出来やしない。そして、夫の勘違いの最たるものは「俺も家事を手伝っているよ!」との思い込み。ちょっと手伝っただけではクオリティー、スケジュール管理、ほぼ役に立っていないと自覚するべきです。小さな子どもたちがいる家庭で、完璧に妻の仕事を代替わりできる夫はほとんど居ないと断言しておきましょうかね。妻から家事の内容を注意されると「じゃあ!自分でやれよ!」の一言で夫は終わらせるのです。まずは妻の仕事ぶりに感謝することから始めるべきですよね。それに気づいたときから私は「ありがとう!」と感謝しつつ生活していますし、声にも出すようにしていますよ。ちなみに、私が今受け持っている家事は結果があれこれ言われなくて済む「洗濯物の取り入れ」と「ゴミ出し」だけですけどね。

さて、結論めいた事を書きましょう。

私は鬱病で54歳から7年間自分自身がコントロールできない状況に陥り、毎日死を意識するほどに打ちひしがれました。そもそもの鬱病の引き金は、たぶん私が「許さなかった」からでしょうね。幾つかの出来事が仕事上で重なり、それらを許せず精神的に抵抗し続けたこと。その感覚はやがて自分を締め付けてきます。常に不快感がまとわりついている日々がやがて鬱に繋がると。あの日々に「許す」感覚を手に入れていたら?そう思うことがあります。

家庭をコントロールできていると思い込んでいる夫ほど、やがて妻や子どもたちがアン・コントローラブルになった時、その落差に精神的抵抗を示しやがて打ちひしがれるって知っておくべきです。まずは娘や息子が、やがて妻が反撃し始める。そしてそれは、自分で思っているより遥かに早く確実にやってくるってことをね。いくら声を荒げたところで決してコントローラブルにはならないとね。その時、私が選んだのは「許す」というマインドの広げ方でした。誰も責めない生き方。そして最大のポイントは、妻を精神的に目上だと思うこと。部下のように目下扱いしていると幸せにはなれないですよね。

かつて妻に聞いたことがありました。
「あなたは、なぜ私と結婚したの?」
「優しかったから!」
その言葉通りに一生守れればいいですね。


本日の結論
人はいつ大人に成れるのだろう?

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



GO TO HOME PAGE