終戦的諸雑感

2017年08月15日 終戦であって敗戦ではないと!



「もう騙され続けませんから」

今日8月15日は終戦記念日です。敗戦記念日ではないですよね。あの日、昭和天皇は戦闘停止することを宣言されました。負けたとは言っていないのですよ。だから終戦記念日なのです。

今年こそ、靖国神社へお参りに行こうと思っていました。しかし、諸事情により家から出られない状態になってしまいました。数日後にでも足を向けたいと考えておりますが・・・。19日土曜日には出掛ける用があるので、その時に行こうかな・・・。

そうそう、日の丸について忘れていました。一年ほど前に「当家には日の丸がない!掲げるべき日に国旗を持たない日本人というのもなんだかダメだなあ・・・」と買いに行く気満々だったのですが、出掛ける度に忘れてしまいそのまま放置し続けてしまいました。いかんいかん・・・そろそろ買いに行かないと!

私は1952年5月に生まれました。そのわずか7年前に特攻が敢行され、原子爆弾が落とされ、終戦を迎えました。今思えば、私が生まれるほんのちょっと前の出来事だったのですよ。私が生まれた年にマッカーサーは日本から去っていきました。今になって考えると、自分の時間軸がちょとずれれば私も・・・。あの災の真っ只中にいたかもしれません。

私は宮崎県出身です。全国が焼け野原にされた空襲は「東京大空襲」が有名ですが、自分の故郷はどうだったのでしょうか?数年前に帰郷した時に聞いてみると、やはり宮崎市内はかなり爆撃されたと。長年そんな知識がなかっただけにショックでした。

何故、宮崎の空襲について聞いてみようと思いついたかというと、古い映画ですが数年前に「喜びも悲しみも幾歳月」を観ました。幼いころにも観た記憶はあるのですが終戦直前の状況を描いていた映画だと知りました。空襲が悲惨な形で表現されていました。それで、私の故郷はどうだったのだろう?と疑問が湧いたのですよ。

昨年末、両国の「東京空襲記念館」を訪れました。東京の下町が焼け野原になっている大きな絵画や写真、焼けただれた品など多くが展示されていましたが、訪れるのが遅すぎた気もしましたね。日本人が訪れるべき場所の一つですね。

これまた数年前の出来事ですが、鹿児島県の知覧にある「知覧特攻平和会館」に足を踏み入れた時、5分後にはもう涙が湧いてきました。特攻で消えていった若い軍人たちが残した遺書の持つ圧に押しつぶされそうでした。日本人が訪れるべきもう一つの場所の一つですね。

従軍慰安婦という嘘、南京大虐殺という嘘、731部隊という嘘、全てフィクションが助長させてしまったという現状。そして、アメリカが戦後施した教育制度によってそれらを信じさせられていた日本人。インターネットが普及して急激に嘘がウソとしてすぐに暴かれる時代になったのですよ。K国、C国にはもう騙され続けませんから。

それにしても、いい年して未だに騙され続けている人々。切ないですね。


本日の結論
マスマディアの酷さが日に日にあからさまになっていく昨今ですな。

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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