鬱病的延命談

2016年06月22日 時間があるときに書いておく!


鬱病脱出の起爆剤となった出来事!



「君は、生きててもいいんだよ」

暑い日々との戦いが始まってきましたね。GW明けからの激務がウソのようにのんびりした日が続いています。楽な反面、これはこれでちょっと困ったことなのですが・・・。やはり会社経営者ですから、売上が無いことにはイカンともしがたく。さらに、忙しい時は、あれもやりたいこれもやりたいと現実逃避に思考が無いてしまいがちですが、いざ暇になるとな〜んもしない時間が過ぎていきます。なんでだろう?

さて、本日のネタは生きることについて。
鬱病患者の方やその入口に踏み込もうとしているあなたやその家族に読んで欲しくて書きます。とても個人的な経験談です。「鬱の私にそんなことは出来ない」と思われても結構です。私自身もそうでした。出来ないと思うことで自分自身の能力を縛っていたのだと後になって気づきました。

皆様ご存知の通り、私は2005年3月に本格的な鬱病の世界へ突入しました。もちろん若い頃から3か月単位で軽度の鬱病は何度も経験していたのですがね。鬱病経験者ならすぐに共感していただけることですが、鬱病が本格的になってくると「生きる」ことへの執着心が薄れていきます。この表現は微妙な心理状態を含んでいるので表現が難しいのですが書いてみます。多くの鬱病患者は死にたがっているのではないのですよ。その時点での不快な精神状態を自分がコントロール出来ないことへの苛立ちで、自分自身を無に向かわせようとするのです。では無とは何か?

人は苦しいことに直面すると、そこからどうやって逃れるかを模索しますよね。物理的な苦しさは排除するための方法が見つかりやすいと思いますが。鬱病になると、精神的な壁や苦しみ、無力化や自分が自分で思えなくなる離人症感覚など、物理的に排除できないモノが頭のなかに棲みつきます。クスリの服用でもなかなか排除できず。むしろ薬による副作用や依存などがさらに悪化させることになりがちです。

そうなると、自然に思考は自己否定へと繋がり始めます。自分の存在が嫌になり、その時持っている感覚に嫌悪感を持ち始め、いかにしてその世界からぬけ出すのか?抜け出せるのか?いつになったらその感覚が消えてくれるのか?と思い悩み始めます。その思いは、常に頭のなかで堂々巡りを繰り返し、やがて「この苦しみは死ぬまで続くのだ・・・」と思い始めます。つまり、絶対に消えない感覚なのだと思い込んでしまうのです。

その鬱感覚を自分自身が受け止めきれなくなると、過去の様々な悪しき記憶が溢れるように思い起こされ「過去も私はダメな人間だった・・・。自分は必要ない人間なのだ。誰も私を必要としていないのだ」と思い始め、他人との会話を拒絶し、黙りこむ時間が増えます。他人同士の会話はすべて自分の悪口に感じてしまいます。その結果、自分自身を消したくなります。自分が消えればその感覚も消えてしまうのですから。

しかし、自分消えることに対して「死」と直結していない感覚があります。死にたいのではない・・・あくまでも自分の存在だけを消したいのです。この矛盾した微妙な感覚がまさに鬱病患者の持つ独特の感覚なのですよ。コンピュータで言えばHDDの初期化にも似た感覚でしょうか。自分は存在しているのに存在しないというとてつもなく矛盾した世界を手に入れたいと願うのです。

だが現実には自己の無を願うと「死」が待っていますね。そう・・・多くの鬱病患者がこの自己矛盾の中で死を選択してしまうのです。私の知人の中でも数名がその選択をしてしまいました。私は鬱病患者にその選択をしてほしくないと考えています。私は発病1年目に「無への願望」から電車に飛び込みかけました。その刹那、脳裏に妻子の顔が浮かび「こいつらはどうなるんだ?」との思いが浮かび、躊躇したために死から免れました。これはとても貴重な体験でした。人は一度本気で死のうとして失敗すると、二度目のトライはなかなか出来るものではありません。そしてその後、6年目に鬱病から開放されました。トータルで丸7年間の鬱病生活でした。

何が私を鬱病から引っ張りだし生き延びさせてくれたのか?体験の一部を書いてみます。鬱病真っ盛りの方はコレを読むことすら辛いと思いますが、なんとか最後まで読んで下さい。きっと役に立つはずですから。

鬱病が本格化すると、判断力が鈍ります。仕事上ではミスが続きます。集中力は途切れ、長い文章を読むことができなくなります。小説を読もうとして本を開いても、そこに有るのは「文字記号の羅列」であり、意味を把握することが難しくなります。つまり本が読めなくなるってことです。感情の起伏が無くなり、笑うことができなくなります。唯一、泣くことだけが出来ると・・・。

こうなったら、休むしかありません。何をなげうってでも体を休めて精神的な回復を待つしか無いのです。働いているのであれば、休職ですね。一週間程度では意味がありません。半年や一年といった単位での休職が必要です。私は13か月間も休職しましたが、結論から言えばそれでも少なかったのです。14か月目に働き始めた時、初日に「あああ・・・まだ早かった・・・」と後悔しましたから。もちろん、人様々ですから一概に言えるわけではありませんが。だた、自分が思っているより回復にはかなり時間が掛かるってことなんです。

鬱病になって、決断力や判断力が薄れている中で自分自身で「長期休職」を選択するのはとても困難です。医師も「休職できませんか?」とは聞いてきますが「絶対に休職しなさい!」とは言いません。私の場合は、自殺未遂した翌日に社長から「休職したらどうだ?期限無しで」と勧められました。これはその頃の私の行動や、不規則に休みがちな状況を観ていて上層部が限界だと判断したのだろうと思っています。私は素直にありがたいと思い2日後から休職に入りました。2006年3月2日の出来事でした。

休職期間も半年過ぎたあたりからようやくからだが動かせるようになり、少しづつ時間つぶしにギターアンプの小さなものを作って遊んでいました。その後いろいろあり、1年半後突如としてギターペダルを作り始めました。予備知識が有ったわけではなく、もともと電子工学を学んでいたこともなく、ただひたすらインターネット上の情報を拾い集めて回路図の読み方を覚え、是永巧一氏の協力も仰ぎつつ自分の好きなサウンドが出るように2週間で作り上げたのです。

そのペダルは「禅駆動」と是永氏によって名付けられ、すぐに友人たちプロギタリストの間に口コミで広がりオーダーが来るようになりました。しかし、私自身はその時点でまだまだかなり重症の鬱病状態でした。オーダーが来る度に喜びではなく、重苦しさを感じていました。なれない製造業と、希少材料の入手不安が日々続きました。やがてその口コミは海を超え、アメリカからもオーダーが来るようになりました。そうなると、今度は「英語の壁」との戦いが始まったのです。実は、2007年から復職していた会社も2009年9月いっぱいで辞めてしまいました。限界でした。その日から自宅でペダルだけを作る日々になったのです。

此処から先は少し省略して、2011年3月11日。あの東北大地震が起こり、ようやく鬱病から抜け出せるかと思った矢先に重苦しい日々が日本中を覆いました。私の精神状態も少し退化。さらに、その年の11月に交通事故に巻き込まれて車が大破し、当方に手落ちはなかったものの、先方の保険会社との戦いに疲れまたしても鬱が持ち上がり始めました。それは裁判にもつれ込んで1年半戦いました。

その頃、ある情報が流れ始めました。Larry Carlton と Robben Ford が新しいオーバードライブペダルを探しているとの噂です。彼等は憧れの世界に誇るギタリスト達です。多くのギタリストが彼等のサウンドを手に入れたいと願っているのです。そして、いよいよその時が来ました。

2012年2月1日に突然、スウェーデンからオーダーメールが届きました。「昨夜、Larry Carlton のライブに行ったら彼があなたの作ったペダルを使って素晴らしいサウンドで演奏していました。私にも作ってください!」との内容でした。わたしは「なんで?」私はLarry用にペダルを作った記憶がなかったからです。更にその直前の1月22日、アメリカから「Robben Ford があなたの作った弾駆動をとても気に入ってすぐに使いたいと言っている。オーダーしますので作って送って下さい」とのメールが届きました。これまたびっくりです!すぐに作って送りました。

やがて2012年2月29日に Robben Ford から招待されライブ会場へ会いに行くことが出来ました。そこで判明したことは、Larry のロードマネージャー兼テックの Rick が Robben のロードマネージャーと同じ人物だったのです。その Rick は世界的に有名な人物でした。Robben は私との面会をとても喜んでくれました。やがて4月になり、今度は Larry が来日。これもまた招待されて面会することが出来ました。もちろん Rick も一緒でした。

そして私が、憧れの Larry と Robben から直接聞いた「素晴らしいオーバードライブペダルだ!」との言葉から感じたことは「君は生きていてもいいんだよ!生きるべきなんだよ!」という言外のメッセージでした。そう!それまで7年間誰も言ってくれなかった言葉。その直後、私は突然鬱病から脱却出来て、2012年5月14日に株式会社tanabe.tvを設立しました。

自己否定をし続ける鬱病患者。「どうせ私は何も出来ない・・・どうせ私は役に立たない・・・世の邪魔者なんだ」との思いが日々続きます。しかし、そうではなく誰にも可能性があるのです。生き続けるべき可能性がね。生きていれば苦しみと同じだけ喜びも見つけることが出来ると信じています。確かに鬱病患者が生き続ける苦しさは否定できません。私もよく知っています。充分に経験しました。でもだからこそ思っているのです。「死なないで下さい」誰かが何かであなたを必要としているのですよ。

私は自分でも全く予想していなかった世界に飛び込みました。何故そうなったのか?は私自身もあまり理解できていません。だた、事実は小説より奇なり。あの日何もやらなければ、それで終わっていた人生です。どうせ捨てようとしていた人生なら、全く別のことに手を出してみてもいんじゃないですか?上手く行かなくてもともとですからね。

最後にもう一つ。英文メールが日々たくさん届くようになり、海外のギタリスト達とも直接会うようになった時、切実に英語力の無さを感じました。そこで2015年春からもう一度勉強し直そうと、インターネットを使った3か月間の英会話特訓を受けました。その後、ヒヤリングがまだまだだなと感じたので、他の教材を見つけて1か月間自主トレしました。63歳の出来事です。

そのさらに1か月後の9月中旬になり、アメリカのサンタ・クルーズに住むギタリスト、Henry Kiser の家に8日間ホームステイしました。英会話を習い始めると同時に、ホームステイをお願いしていたのです。つまり、期限を決めて英会話の勉強をスタートしたのです。ちなみに彼等は夫婦共に日本語はできません。

英語漬けの楽しい8日間でした。学んだ英会話はまだまだ未熟でしたが、意思疎通に困ることはほぼありませんでした。多くの有名な音楽・ギター関係者との顔合せも出来ました。その結果、その後は多くの来日ギタリストやユーザー達と積極的に顔合わせして英会話を楽しめるようになりました。今では英語に対する長年の壁というか重苦しい感じが綺麗サッパリ消えてしまいました。結局はそこなんです。英語を話すことの一番最初に必要な要素は「話すことへの抵抗感を無くす」ってこと。意外に簡単にできるんですよ。でも実際に英会話する機会がないと、自力で勉強しようと思えば、ネット上にいくらでも情報があり、YouTube なんぞには無料の英会話レッスンが溢れております。そのモチベーションを維持するのが難しいですけどね。

誰しも初対面の相手にはなかなか話しかけづらいものです。ましてや外国人で英語しかしゃべらない相手だと、ますます腰が引けてしまいますよね。でも、あることをやるとこれが嘘みたいに躊躇しなくて済むようになるんです。これ以上深い話は書きませんが、わずか1日でクリアできる方法が幾つかあるんですよ。その一つは「大声になること」ですね。嘘だと思います?でもこれが一番効果的なんですよ。私はこの1年間で話し声がかなり大きくなりました。日本語でも英語でも、会話というものは言葉が相手に届かなければ成立しません。相手に確実に届けるためには大声にならざるをえないでしょ?

これもまた可能性の問題です。「英会話?いまさら無理だよ!」と言う前に、中高生時代にある程度習っていれば3か月〜4か月程度の真面目なレッスンでなんとか必要最低限は英会話が出来るようになるってことなんです。自分が今までできなかったことにチャレンジしてみると、意外に出来るようになるその実例です。思い悩むより飛び込むことが大切。やる前に自己否定しないこと。鬱病は治らないって思わないこと。治った実例がここにいるのですからね。


本日の結論
鬱病の全ては、自分自身の脳が生み出した妄想が生む苦しみなのですよ。

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