望郷的災害日

2013年03月11日 眠れないまま朝になり・・・。


2011年3月11日地震直後の当家内。



「遊んでやってください!」

昨夜、眠りにつこうと思ってもなかなか目が冴えて眠れず、3時頃にベッドから起き上がり、2年前の今日起こったあの大地震の頃に書いたページを読み返していました。2年前に私は何をしていたのか?何を考えていたのか?様々な記憶が蘇ってきました。こうやって日々記録を書き残す行為は、自分自身の記憶の確認の為でもあるんですね。そのとき書いていた事で、すっかり忘れ去ってしまってやり残している事もありましたから。ちなみに、以下のように2011年3月11日地震直後は報告していました。これを書いた時点では、まだ日本中があれほどの状況に陥って行くと知らなかったのですね。

http://www.tanabe.tv/top/dokudan2011/0311.html

ひとつだけ、私自身が今になって気付いた事があります。それは震災発生時に私は定職に就いていなかった事で、テレビで流される報道や、インターネットで繰り広げられた様々な情報の渦を充分に受け止められる時間が当時あったということ。精神的に逆効果であった部分もありますが、良い意味でも悪い意味でも充分にそれらを受け止められたという事です。

2年前のゴールデンウイークは「宮崎へ帰省しよう!」と思い立ち行動しました。5年ぶりの帰省でした。その行動の引き金になったのはやはりあの地震でした。失われた多くの命とそれを思う人々を知り、私自身も会える人々には今会えるうちに会っておこうとの思いが沸き上がったからでした。もうひとつは日々襲ってくる地震の多さに、ちょっとノイローゼ気味になった事もあったのですがね。

そして、昨年2012年のゴールデンウイークもまた帰省する事になりました。それは亡き父の20周忌というイベントが有った事も一因ですが、それ以上に「帰省して家族や友達に会いたい!」との思いがあったからです。そして、今年は2月23日に中学校の同窓会が開かれたので帰省してそれに参加してきました。その際、古い友人達は「次はいつ帰ってくる?5年後?」と声をかけてきました。

私も、これから先しばらくは帰省する事は無いだろうと思いつつ自宅へ戻りました。この辺りの感覚は自分の郷里が近い方には理解しにくいかもしれませんね。私は帰省するたびに「覚悟」が必要なのですよ。それはコストとそれに費やす時間の多さが壁になるからです。しかし・・・同窓会から帰って来てすぐに心がザワツイている感が押し寄せてきました。なんだこれは?どうも「望郷の念」が沸き上がって来ているようです。

同窓会で多くの古い友人達に会った事で、その感情が溢れるようになったのでしょう。それは友人だけではなく、年老いた母への感情でもあります。2月の帰省時には、1週間ほど実家で母と2人きりで過ごしました。多くを語る事も無く、一緒に食事をし、ただ寝泊まりしただけです。そんな時間の過ごし方を42年も忘れていたんですね私は。ようするに、私の望郷の念の中核をなすのは「母が生きているうちは出来るだけ帰省し一緒に過ごそう!」なのですよ。もちろん母だけではなく実弟を含めたファミリーと共にという意味でもあります。長い間、郷里を捨て去っていた贖罪の意味もありますがね。

昨年5月14日に、私は還暦になり同時に「株式会社tanabe.tv」を起業しました。つまり私は社長です。一人株式会社です。仕事はすべて自らがコントールし、自分自身が作業するのですから、時間の確保は自由に出来ます。オーダーが押し寄せて来ても「今旅行中だから自宅に戻るまでごめんね!」と待ってもらい、売り上げを少し犠牲にすれば帰省する時間はいつでも確保出来るのです。

そういうわけで、私は早くも今年のゴールデンウイークに再び帰省する事にして、その気持ちが冷めないうちにとエアチケットの手配を完了しました。エアチケットが高額になる期間の前後1日延ばして、4月25日〜5月7日の13日間です。今回もまた一人旅です。妻は気遣いをしすぎて私の実家では疲れ切ってしまうので留守番ですよ。私も好き勝手に遊び回るのには一人の方が便利ですからね。

2月に会ったばかりですが、また帰省しますので宮崎の皆様!遊んでやってください!そして、前回会えなかった大石様!今度は必ず会いに行きますので待っていてください!


本日の結論
ゴールデン・ウイークは完熟マンゴーが出始める時期でもあるなあ!

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