宮崎的同窓会

2013年02月25日 宮崎は寒かったなあ!


実家のすぐそばにバス停が出来ていた!左を歩く母の行動力がさらにアップ!



「物故者を知りちょっと悲しくもある」

東京や神奈川に42年も住んでいると、郷里宮崎市での同窓会などという催しには誘われる事も無く、長年縁が無かった私だ。だが流石にタイトルとして「還暦同窓会」とつけられたらこの歳になると心が動くわけで、1週間ほど仕事を休みとして2月18日に帰省したのであった。同窓会の正式名称は「赤江中学校昭和42年度卒還暦同窓会」 つまり45年間も顔を合わせた事が無い人々と再会するのだ!

宮崎はもう春めいているだろうと勝手に思い込んでいた。しかし、やはりまだ冬の終わりなのだね。思ったより寒い日が続いていた。到着した2月18日は雨だったしね。ダウンジャケットを持っていって正解だった。昨年帰省したときはあまり母の相手をしなかったので、今回はずっと実家で母と過ごすことにした。母は一人暮らしで85歳。元気に動き回っている。実家のすぐそばにバス停が出来たのでさらに行動力がアップしたようだ。

2月18日から22日まで、朝は母にせかされて近所を散歩し、昼間はWBC紅白戦などあれこれ母に付き合い、夜は友人達から連日誘いがあり食事会だらけ。5日間はあっという間に過ぎてしまった。



2月23日同窓会当日、夕方18時の集合だったので、それまで母を連れて映画へ行くことにした。実弟も付き合うと言ってくれたので「Zero Dark Thirty」を観に行った。母は映画が大好きだし、ミステリー本やサスペンスものも大好きなのだ。結果は大満足!久々に納得行く映画だったなあ。母には少し刺激が強過ぎたようだがね。ちなみにこの題名は、襲撃時刻の「午前0時30分」を表す軍隊用語だ。

映画の後はちょっと車を飛ばして日南まで遠出「あかえラーメン」で昼食だ。帰省するたびに行く店である。この味を口にしないと帰省した気にならないね。うまいとかまずいとかの基準ではなく、故郷の記憶としてしっかり残っているラーメンの味なのだよ。タクワン2枚添付が宮崎の標準仕様だ。



母は、週に一度金曜日に仲の良いバアさんたちで麻雀卓を囲んでいる。帰省中も開催する事になったのだが、メンバーが3名しか集まらなかった。そこで私が引っ張りだされつき合う事に。メンバーの年齢は、85歳、81歳、71歳、そして私が60歳。指先も頭も使うので、年寄りにはふさわしい遊びだね。掛けているものは、お昼の弁当やお茶菓子だ。「一時の遊興に供するもの」と規定された法律で許される範囲である。結果は半チャン3回で私がビリになってマイナス37だった。平和だねえ!

しかし!この麻雀の際に気になる事があった。麻雀のテーブルが揺れるのだ。足が細いキャンプ用のテーブルを使っているので、時々揺れて山が崩れる事も。これはなんとかしなきゃイカンなあ・・・。そこで、私が帰る前に麻雀卓をもっとグレードアップしようと企てた。2月23日「あかえラーメン」の帰りに、DIYショップを覗いたが的確な材料が見つからなかった。そこで近所の「ニトリ」に行ってみるとピッタリのテーブルが!椅子用の電気コタツだ。9,990円で足もがっしりしている。すぐに購入し、実家で組み立てた。麻雀マットを置けばぴったりで大成功!高齢者達は膝に負担をかけないよう椅子に座って遊ぶのだよ!それに、冬になればコタツの電源を入れて足下ヌクヌクで麻雀が出来るしね。


これは古い卓なので中心部が少したわんでいるね!

ようやく17時になり、帰省時にはいつも面倒も見てくれる同級生の清水美智代さんが、友人の清山君に頼んで車で迎えにきてくれ「宮崎観光ホテル」へ。大淀川河畔に立ち並んでいたホテル群は、ほとんどがマンションへと建て替わり、いまではこのホテルだけとなったようだ。地方の不況はここまでひどかったのかと実態を知った。宮崎市の寂れ具合は寂しいなあ・・・。

ホテル10階の赤江中学校同窓会会場へ足を踏み入れた途端、記憶の奔流が始まった。45年前の記憶が溢れるように湧き上がってきたが、それが目の前の人々とリンクしない。45年の年月は少年少女達の容貌をこれほどまでに変化させてしまうのか・・・。誰が誰やら分からない!顔を見るだけでは名前なんぞわかりゃしない。そもそも顔自体をハッキリ認識出来なかったのだが・・・高校の頃に3年間同級生だった湯浅芳和君でさえ、彼だと認識するまでちょっと時間がかかってしまったのだからね。


怪しいおじさん風の私と湯浅芳和君 高校でも3年間同級生だった!

私自身も髭を生やし、メガネをかけ、眼瞼下垂の手術を受けて当時とは顔つきがかなり違っている。果たしてどれほどの方に認識してもらえるのだろうか?との不安がよぎった。それぞれが胸にぶら下げたネームプレートだけが手がかりだ。それと、45年前身長がデカかった奴らも今では私と同じかむしろ低くなっていたのだよ。そのせいでどうしてもイメージが湧かず、個人の特定が難しい状況に陥ったのだ。デカかった奴らはその後身長はあまり伸びず、低かった連中は身長が伸びたってワケだね。

私のクラスだけ恩師が出席していただけた。渡辺紀南先生(体育教師)お元気で再会出来たのは嬉しかった。私の事もよく覚えていただいていたし。「あのころ田辺君は良家の坊ちゃんのような感じだったね!」と言われてしまったがね。以下が、その証拠写真だ。




渡辺紀南先生への花束贈呈

参加者名簿を見て、会いたかった顔を探したが、なかなか顔と名前がシンクロしない。それでも丹念に探して行くとようやく見つかり、数人と旧交を温めることができた。しかし会いたかった方のうち一人、道祖田さんはすでに物故者となっていたと知った。中学3年のときに告られた相手だ。20代の頃に独身のまま亡くなったのだとか。妙に悲しかったな。

他にもいろいろ懐古話があったのだけれど、ここまで書いているうちになんだかどうでも良くなってきた。要するにこの45年前の記憶は私自身の中にだけ存在し、私にしか理解できない構造で記憶にとどめられるのだ。他人に読ませてもしょうがないよな・・・。

そんな中で写真にまつわる分かりやすい楽しい話が2件あったので、記録として書き留めておこうか。

まずは、今回の同窓会幹事であった新見君の話だ。彼は現在宮崎県議会議員である。小学校の頃から近所で今も実家のそばに住んでいる。私の母とも親しい関係である。その新見君がこんなことを言ったのだ「田辺君に高校3年の頃に撮ってもらった写真を携帯に入れちょっとじゃが!」とスマートフォンで見せてくれた。その画像をもらうのを忘れたので、ここでお見せ出来ないのが残念だが・・・。


宮崎県議会議員 新見昌安氏

私は高校生時代に写真部だった。しかし!私と新見君は別の高校だったので写真を撮るチャンスなぞなかったはずなのだが・・・。で、その写真を見ると、若々しく凛々しい青年がモノクロで写っていた。とても美しくホレボレするような素敵な写真だ!自転車のハンドルがわずかに写っているので、下校途中だろうか。「これを私が撮ったんですか?」全く記憶していなかった・・・。だがそれは確実に目の前にあるのだ。写真の下にはメモがあり「1970年8月25日 田辺君・・・」とあった。確かに私が撮影したようだね。42年前に私が撮影したポートレート写真を今見て、その撮影アングル、バックのボケ具合、ライティングに自分自身が感動しているのは実に新鮮な感覚だった。その撮影状況を思い出せないもどかしさが残ってしまったがね。

1970年のもう一つ写真にまつわる出来事。所属高校写真部がモデル撮影会をやろうということになり、宮崎では非常にポピュラーな「こどもの国」という遊園地に行くことになった。撮影の目的は、日中シンクロというやつのテスト撮影。逆光撮影でストロボを使って手前側露出を補正するものだ。現地に着いてみると、モデルとしてやって来たのは友岡さんという同じ年齢の女子高生だった。この方は私の中学校の同窓生。クラスは違っていたが学校一の美少女であったと記憶していた。(あくまでも私の美に対する価値基準だが)彼女はそのとき女子高だった。しかし、どのようないきさつだか知らないがモデルとして登場したのだ。もちろん中学校では言葉を交わしたことなど一度もなかった。美少女に声をかけるほどの勇気を当時の私は持ち合わせていなかったし・・・。何せ田舎の奥手中学生だったのだからね。

その後、友岡さんを撮影した写真は、モデルになっていただいたお礼として、すぐ4つ切りに焼いてご自宅へお届けした。家が近所だったのだ。ここで、私の中の友岡さんの記憶は途切れそれ以降は全く知ることもなかった。私に残されたのは撮影の日に数時間だけ一緒にいたという記憶なのだ。その友岡さんが参加者名簿に掲載されていたので、会場で探してみた。着物姿で今も艶やかな美しい姿がすぐに見つかった。


宮崎へお越しの際は西橘通り「和風スナック あかり」へお越し下さいませ!

旧姓友岡さん(現在は押川三和子さん)に声を掛けると、撮影当時の状況をよく覚えていて、私が届けた写真を今も大事に持っていると話していただいた。42年も経ったのに、友岡さんの記憶の中にまだ私が存在し続けているという事実はとても感動的だね。彼女と名刺交換すると、現在は宮崎の西橘通りで「和風スナック あかり」を経営しているとか。なるほど、同窓会場での立ち振る舞いや会話のテンポを見ていて納得。

その後、同窓会の3次会で「和風スナック あかり」へ足を踏み入れることとなった。ゆったりとした素敵な空間だ。そこに居たのは先ほどまでホテルの宴会場で一緒だった同窓生ばかり10名ほど。私は、アルコールを摂取せず深夜まで懐かしい話を続けることになった。だが、その間に私が同窓生だと確実に認識していたのは10名のうち4名だけだったがね。そこに行けば確実に同窓生に会えるとわかっているのだから、またいつの日か帰省したときは「和風スナック あかり」へみんなと一緒に行こうかね。

他にもたくさんの記憶が蘇ってきたが、私が長年持っていた記憶の捩れや混乱が少し緩和したようだ。嬉しくもあり、物故者を知りちょっと悲しくもある。還暦同窓会はそんなイベントだね。

最後に、今回の同窓会を仕切ってくれた幹事の皆様に感謝!さらに、友人の福浦君、清水さんには連日お世話になってしまった。郷里に親しい友人を持てるのはありがたい事だ。今回の同窓会には関係なかったが、別の日に集まっていただいた野村君、清山君、Dr.吉田、タカシ君にもお礼を申し上げたい。もちろん、実弟ご家族にも感謝だ!

そして、会う予定で居たのだが、どうしても当方の都合で会う事が出来なくなったペダルユーザーの大石様!申し訳ない!


本日の結論
さて、次の同窓会は5年後?それとも10年後?

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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