生存的小野寺


2011年03月17日 生き残ったとの連絡に歓喜!


ONODERAさんが激震に遭った場所!



「今度は私がお返しする番です」

昨日の夕方、突然携帯電話に掛かって来たのですが、その電話番号は初めて見るものでした。名前が無いと言うことは電話帳に入っていないと言うこと。誰?と思いつつ出てみると・・・。「電話では初めまして!」と・・・聞いたことが無い声でした。「気仙沼の小野寺です!」おおお〜〜〜小野寺さん!生きていましたか〜〜〜!!!よくぞご無事で!

そうです、3月11日以来ずっと連絡が取れず、とても心配していたあの小野寺さんでした!今年の1月には私に「Fender Hot Rod Deluxe」を貢いで頂き、それまでも毎年のようにお米や海産物を沢山お送りいただいていたあの「気仙沼のONODERA」さんです。人の声を電話で聞くことがこれほど嬉しいと思ったことはありませんでした!

「生きています!大丈夫です!」との連絡です!よかった〜〜〜!!!そして彼の周りの人々も生き延びたと言っていました。今 まで通信手段が無く、テレビも無く、ラジオだけが情報収集の道具だったとか。かろうじて電話だけがあって、それがようやく繋がったと言うことでした。 その後、当日の詳しい状況をお聞きしました。

小野寺さんの家は、気仙沼の沿岸なのですが、すぐ家の近くに裏山があってそこへ地震直後に母親を連れて駆け上ったと言うことです。 そして、テレビで流された我々がさんざん目にして来た気仙沼のあの映像を、 生でその眼に焼き付けてしまったそうです。 もちろん小野寺さんは、我々があの映像を日々テレビで見続けていることは知りませんでした。

家は2軒持っていたけど両方流されてしまったとか。たまたま逃げた先にアパートがあり、一部屋空いたのでそこへ逃げ込んで、お母さんと2人で生活していると言うことです。 ライフラインもまだ完全ではなく、水が不足しているのでお風呂に入れないとか。追い打ちのように放射能騒ぎになっているけれど、出かけてもホコリをシャワーで洗い流すことも出来ないと嘆いていました。

援助物資を送りたいけど道路はどうなの?と聞いたところ、 ライフライン復活と物資がそろそろ届き始めたので、 とりあえず自分達は何とかなりそうだと。「もっと他の友達で困っている方を助けてください!」と、 思わず泣きたくなるような明るい声で答えてくれました! 彼は元気です!

ギターやアンプ、禅駆動、弾駆動も全部流されてしまって、友人から預かっていたものも全部流されてしまって「ごめんね」と謝ったとか。そんなことどうでも良いですよ! その友人も小野寺さんが生きていたことの方が嬉しかったはずですよ! しばらく先でしょうが、生活が落ち着いて音楽をまたやりたくなったらお知らせください!

小野寺さんから私にプレゼントしてもらったジャンクの「Fender Hot Rod Deluxe」は、私が修理の為に一時預かっていただけということにしましょうよ!今度は私がお返しする番です。半年後?1年後?復興して落ち着くまでにはしばらく時間はかかるでしょうが、お返しする時にはもちろん禅駆動とギター、そうそうシールドとピックも忘れないようにしましょう!ワンセットでお届けしますからね!

まだ一度も会ったことが無い方が、無事に生き残っていることがこれほど嬉しいとは!


本日の結論
昨日までのやや重苦しい気分が少し軽くなりました!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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