野望的経歴話
2011年01月25日 その前にちょっと懐古!


これが明日送られてくるようです。おいおい!野良ネコ便ってのは・・・。


「最悪ぶっ壊れても良い!」

ONODERA様の発送ご連絡スケジュールからすると、たぶん明日「Fender Hot Rod Deluxe ジャンク」が届くはずです。それまではやることが無いので、本日は少し過去に戻って「なぜ今、チューブアンプをレストアしているのか?」の理由と「どうやってここまで来たのか?」を掘り返してみたいと考えました!最近、tanabe.tv にアクセスされ始めた方は、たぶんこのイキサツをご存じないでしょうからね。ちょっと長くなりますがよろしければお読みくださいませ。

そのそもの始まり。

まず私の基本的な過去から。私はかつてテレビコマーシャルの製作会社に勤務していました。昭和48年に働き始めました。某有名CM製作プロダクションです。この忙しい業界生活の中で、1980年〜1988年まで社内バンド「The Sizzle」のギターを担当していました。長年テレビコマーシャルのプロデューサーをやった後、1990年代にデジタル系が台頭して来たので1992年マルチメディアセクションが作られました。そこへ私は引き抜かれ社内移籍、さらに5年後、管理本部長となりデジタルスーパーバイザーとして兼務で働くようになりました。

そして、コンピュータ2000年問題を無事に乗り越えた2001年に、子会社の役員として出向しました。CG製作やテレビコマーシャルの画像合成、編集を行う会社です。大赤字の会社でしたが、なんとか立て直してほしいと送り込まれました。ほぼ社長代理の状態で3年頑張って借金を返済し、赤字路線から脱却できました。同時に親会社の取締役にも就任。しかし・・・この赤字脱出で苦悩の日々が私の精神状態を暗黒世界へ引き込む入り口となりました。

鬱病の始まり。

子会社生活4年目が始まったとたん、私の精神状態は崩壊を始めました。「鬱病」の始まりです。坂を転げ落ちるように私は2か月で一気に人格を失って行きました。大好きだった本が読めなくなりました。文章がただの記号の羅列に見え、意味が理解できなくなり、コントールできない自分自身の精神状態に混乱しました。日々過去を悔やみ、涙を流し、死を意識し、ただただ自分自身の存在を無くしてしまいたい願望に取り付かれていました。約1年間、苦しみながら勤務し続けました。

やがてその思いは、実行へ及ぶに至りました。2006年の初頭、ついに山手線のホームから飛び込む寸前まで行ってしまったのです。なんとか、ホームの端ギリギリで思いとどまり、事なきを得ました。これが会社に通える私の限界点でした。その直後社長と話し合いを持ち、2日後には休職生活に入りました。2006年3月1日から無期限の休職生活。何も出来ず、ただソファーに寝転がりテレビを見続ける日々でした。3か月ほどして、少し体が動かせるようになりましたが、ほぼ自宅に閉じこもったまたさらに半年が過ぎました。

2007年になり、ようやく気分が少し軽くなって来て体が動かせるようになったので、親会社が新しく作ったWEB系の会社で、春から管理本部長として働くことにしました。ですが現実は厳しく、今思えばまだ私は働ける状態ではなかったのです。一日おきに出社していました。1年ぶりの通勤電車はとても辛く、堪え難いものでした。それを紛らわす為に「真空管アンプ」の入門本を電車の中で読みまじめました。いつかは自分でチューブアンプを作ってみたいと、昔から思っていたのです。それも1週間で挫折しました。全く理解できない表記だらけだったのです。予備知識が無さ過ぎました。

電子工作の始まり。

そこで、まず小さな物から徐々に手がけてみようと、思いついたのが「スモーキーアンプ」の分解でした。友人からもらった小さなギターアンプでした。タバコの箱サイズの物でしたが「なぜこのサイズで音が出るのか?」と分析を始めたのです。ようやく構造が分かり、パーツを買い集めてコピーを作ってみました。なんとか音が出まして、その後いくつか作って遊んでみました。

 

そのうち、ギタリストの是永巧一さんから「プロギタリストが楽屋で使えるような物は出来ない?ウッドキャビで」と声をかけられて挑戦を始めました。試行錯誤の結果、手のひらサイズのギターアンプ「GAKUYA 1号」を開発。これがウケて、今までに約40台ほど作り続けました。いまでも、年に1台〜2台のオーダーが来ますがね。

 


2007年初秋。いよいよ劇的な転換がやってきました。シカゴ在住の綿貫さんが一時帰国されるので、お会いしようということになりました。綿貫さんは是永さんのファンでもありましたので、当家で顔合わせをしようと算段しました。さらに、是永さんは綿貫さんを介して、当時プレミアがついていたペダル「Zendrive」を手に入れたばかりだったのです。

ギターペダルの始まり。

当家に集合したお二人と「Zendrive」のサウンドチェックをしました。しかし私はそのサウンドがあまり好きではありませんでした。もう少しこうなりたいという音に対する願望が出てきました。と同時に、私は綿貫さんから4個のオペアンプとビンテージワイヤをプレゼントされました。「これを使って何か面白い物を作って遊んでください!」と渡されたのです。


Zendriveの内部

この時のオペアンプが今では幻となっている「NJM4558D艶あり」と呼ばれる、1980年代のオペアンプだったのです。私はその直後から「Zendrive」の回路を手探りで研究し始めました。一度もギターペダルを作ったことが無いので、かなり無茶な戦いでした。しかし、2週間後そのペダルは突然出来上がりました。明らかに「Zendrive」とは違うサウンドでした。是永さんの命名によりシャレで「禅駆動」としました。これは私用と是永さん用に2台だけ作るプロジェクトでした。それ以上のことは当時全く考えていませんでした。


禅駆動 試作品が合格した瞬間!

ところが・・・その後じわじわと、是永さんの友人間口コミで広がり「私にも作ってください!」とオーダーが来るようになり「こんなんでいいっすか?」と気軽に応じていたところ、さらにそれは広がりを見せ始め、2008年夏には海外からもオーダーが来るようになりました。3トーン切り替え付きや「弾駆動」、さらにTWIN CUSTOMを開発し、オーダー加速は続きました。イギリスやアメリカのギター雑誌でも取り上げられ始め、有名海外ギタリストからもオーダーが来るようになりました。

フリー生活の始まり。

2009年。私の勤めていた会社もリーマンショックの余波でかなり厳しい経営状態に。そこで10月15日をもって会社員生活を辞める事にしました。自分で自分をリストラしたって事です。じつはその時点でまだまだ「鬱病」は私に絡み付いていて、会社に通う事がかなり辛い状態が続いていたのですよ。自分の精神状態と体調を健全に戻す為の辞職でもあったのです。しばし休息の日々でした。

2009年の12月頃からかなり気分が良くなって来たので、長年願望だったチューブアンプの小さな物をオリジナルで作ろうと取りかかりました。1W出力の物です。なんとか組み上げましたが、どうも私の作りたいアンプとはサウンドが違っていたので、完成した直後にパーツをバラしてしまいました。そのまま放置してあります。



2010年春になり、完全に鬱病から脱却できたと自覚しました。嬉しい春でした。その後は、自宅でギターペダルを淡々と作る日々でした。と同時に、アメリカのメジャーギタリスト達との交流が始まり、娘の結婚式をラスベガスでやるのにかこつけて、ロスアンゼルスへ、彼らに会いに行きました。Henry Kaiser 、Howard Leese、Paul Jackson, Jr、Richard Thompson 、Mike Parsons に会うことが出来ました。ちなみに、Richard Thompson 以外の彼らは「禅駆動」「弾駆動」のユーザーです。


その後、10月にBAD Co.として来日した Howard Leese の東京ライブに招待されたり、年末に来日した Henry Kaiser のライブをサポートしたりと、交流はさらに深くなって行きました。そんなドタバタした2010年の12月21日、突如貢ぎ物として「Fender The Twin」が当家に届けられました。ジャンク物で音が出ない状態したが、レストアして使ってくださいとの申し出に「これはやがて来る自作チューブアンプ製作の為のトレーニングになる!」と喜んで受け取りました。その後は、もう皆様ご存知の展開で手探りで作業しつつ1か月かけて立派にレストアが完了しました。

さらに一昨日、気仙沼在住のONODERAさんから「Fenber Hot Rod Deluxe」が貢がれてくるとの連絡がありました。これまたジャンク状態で音が出ないとか。まだ経験値が低い為に症状を見ただけで「あっ!ここだね!」と故障か所を特定できるはずもありません。でも、試行錯誤を繰り返すことで経験値は上がって行きます。例えば「真空管のバイアス調整はどのような行うのか?」なんてのも貴重な経験値を積むのに実際に手をつけなければならないですよね。自分で使う道具は、自分で調整するというのが私の基本ですから。

ですが、新品の高額なチューブアンプでそれはなかなか出来ません。経験を積む為には「最悪ぶっ壊れても良い!元々壊れているんだし!」と思い切って扱えるチューブアンプが必要だったのです。前回と今回の立て続けのジャンクアンプご提供は、私にとって涙が出るほど嬉しい出来事なんですよ。


「Fenber Hot Rod Deluxe」は、このパッケージで明日届くようです。野良ネコ便というのは、シャレでONODERAさんが作られたラベルでしょうが、もうひとつ私が気になったのは左下の部分です。「電気か*しき**」と書いてありますがこれって何?非常に気になります!「電気か*しき毛布」と読めなくもないなあ。いったいなんだろう?この疑問も、この荷物が届けば明らかになりますね。それまでイライラしながら待つことにしましょう!


本日の結論
送る方も楽しんでいただいているようで面白いです!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



GO TO HOME PAGE