外遊的夕食会

2010年09月9日 移動そしてあの人に会うのだ!


「彼はポケットをまさぐって」

9月9日

早朝5時起きでラスベガス空港へタクシーを飛ばし、出発手続きをつつがなく済ませれば余裕たっぷりのフライト待ちとなった。娘はトランクが重量オーバーで大慌てである。旦那が荷物を詰め替えなんとかクリアできたけどね。 ラスベガスからLAへ移動が終われば、ここで娘夫婦とは別行動だ。 彼らは日本へ向けて昼の便で飛び、帰国することになる。

私たち夫婦と母は、シカゴから到着の綿貫さんとLA在住のプロギタリストHIROさんとLA空港で合流。 そのままホテルへ向かった。 次のホテルは「MIYAKO HYBRID HOTEL」だ。日本語が通じるので少し楽だね。ホテルの周りは日本の企業がひしめいていた。出張族のため、必然的に出来たホテルなのだろう。

ホテル内はトイレがウォシュレットである。これは嬉しい!さらにインターネットはWiFiもケーブルでも無料で使い放題だ。今の時代これがあたりまえだよね!助かった感じがするなあ。

ホテルに着いた後、妻と母はハリウッド観光に出るはずだったが、 いささか疲れが出てしまったようで眠そうにしているので、 昼食を「うどん」で軽く済ませた後は、そのまま部屋でお休みとした。これで妻と母のハリウッド観光が消えてしまうのか? 対策を考えねば!ハリウッド観光はHIROさんに委ねていたので、急遽本日はHIROさんの出番がなくなってしまった。そこでHIROさんは自宅に戻って、明日に備えてもらうことにした。

私と綿貫さんはPaul Jackson,Jr.と会うために、 彼から指定されたレストランへ向かうことにした。19時半が指定時刻だ。ホテルからは道が混んでいなければ45分程度で付ける距離である。しかし、最近のLA事情はかなり渋滞が発生していて、時間の予測が難しいとも聞いていたので、3時間前に出発したのだ。途中で買いたいものもあったのでね。

ところが、思った寄り道路はスムーズで早めに着いてしまった。まずはレストランの位置を確認した後に、近くのショッピングモールで、いろいろこれから必要となりそうなものを購入していった。まずは「Simpsons」のグッズだ。本やDVDをサイン用に購入。 さらに Paul Jackson, Jr. と Howard Leese のCD を探してみたが一枚も見つからなかった。残念だ・・・。

ショッピングモール内で撮影隊に遭遇。冬物を着たエキストラがたくさん出番待ちをしていた。テレビドラマだろうね。ちなみに、この街ではかつて「24」がよく撮影されていたのだとか。

休憩を挟み、19時20分にはレストランへ到着。 Paul Jackson, Jr. の予約を確認して彼の到着を待った。やがて約束の19時半となった。ところが!Paulが予定時刻になっても来ないのだ。 ジリジリとした時は過ぎ、彼が来ないままそろそろ20時になろうかとしていた。

そこで、こちらもじれて Paul の携帯へと綿貫さんが電話を入れてみることにした。 電話にはPaul自身がすぐに出たが「まだ家にいるよ!」との返事。 えっ!なにそれ!指定された時間て・・・いったい何?と思った瞬間! レストランのドアが開き、Paulがニヤリと笑いながら登場。 な〜んだ!すぐそばにいたぢゃん!ジョークかよ〜!彼は奥さんと娘さんを同行していた。

レストランに入ってくるなり、Paulは私に向かって「はい!プレゼント!」と大きな紙袋を 差し出してくるではないか!びっくり! 中身は、彼がテレビ番組で使っている帽子と同じものだと聞いた。 それに、私宛のメッセージが書き込まれた彼のCDでも入っていた。

席に着いたところで、私も新しい弾禅駆動TWINと帽子をプレゼントした。 偶然にもお互いに帽子をプレゼントし合ったというわけだね。


Paulからプレゼントされた帽子とCD

たっぷりとしたディナー時間を過ごしいろんな話をしたが、出された料理も美味しくて、日本人好みの味付けだった。ところが食事が始まってすぐに私の精神状態に 揺れが生じてきた。今までは何も興奮すること無く、淡々と対応してきたつもりだったのだが、突然涙が溢れてきたのだ。感情が抑えられない・・・。コントロール出来ない自分にいささか焦る。

私が5年前に「自殺」を考えていた頃から今までに起こった様々な出来事が、急激に記憶に蘇ってきてしまったのだ。よくここまで辿り着いたものだと自分自身に感動してしまったのだろうか、説明できない感情の揺れであった。ナプキンで顔を隠し、しばし感情が収まるのを待った。2分後なんとか体勢を立て直し、会話に参加できるようになった。

Paul は私に対して「LAで一か所行きたいところはどこ?」と聞いてきた。ユニバーサル・スタジオ?それともディズニーランド?サンタモニカ?と羅列してきたので「私が行きたいのは音楽博物館だよ!」と答えた。彼は不思議そうにしていたが、その理由を説明したところ、その情報を知りたいのでメールで音楽博物館のURLを知らせて欲しいと言っていた。

ところで、Paul はなぜ私にそのような質問をしたのだろうかと考えた時、はたと気づいた。彼は私が初めてLAに来たと思い込んでいるのだ。そこで私は説明をすることにした。「実は私はLAに来たのは25回目なんだよ!」それを聞いたPaulは「おいおいおい〜〜〜!!!やめてくれよ〜〜〜!!!」と大げさな身振りで大笑いをしていた。

そして私は過去の自分の仕事についても触れておいた。かつてはTVコマーシャルのプロデューサーとして頻繁にLAへ撮影に来ていたのだとね。すると彼は「で、どんなクライアントの仕事をしたの?」と興味津々だったので「航空会社、自転車、食べ物、飲み物、他にもたくさんやったよ!」と答えておいた。

肝心の私のペダルに関しては「禅駆動のおかげで自分のギターサウンドが良くなったんだ。とても喜んでいるんだよ」と答えてくれた。嬉しい言葉だね。Paul は突然、iPhoneを取り出してなにやら操作していたが、すぐに画面を見せてくれた。「ハーモニーセントラルの評価は満点だね!」と自分のことのように喜んでみせた。彼がなぜすぐにtanabe.tvの評価ページにアクセスできたのかは分からないが、たぶんブックマークしてあるんだろうな。彼はさらに「いま、禅駆動を使わせたいギタリストがいるんだ。勧めておくよ!」とも言ってくれた。ありがたい!

Paul は毎日テレビ番組の収録をしているという。昼間収録をして夕方に編集。夜22時からオンエアだとか。それで、彼に会える時間帯が夕方に指定されたんだね。彼は娘が、ティナ・ターナーのコーラスをしていると言っていたな。

鬱病の話や、彼の祈りの話などもしたのだが、Paul は「自分が祈ることであなたの鬱が和らぐのならいくらでも祈り続けるよ!」とまで言ってくれた。「もう充分に回復したから大丈夫だよ!」と伝えておいたがね。

それから、Paulはこのレストランがとても気に入っていると言っていたのだが、ハワイアンに日本風の味付けを施した感じの料理だった。そこで「この味が好きなら、近所にきっと気に入るレストランがあるから次には行くことをお勧めしますよ!」と彼に伝えたのだが・・・。その店は「牛角」だ!本当にこのレストランのすぐ近くに「GYUKAKU」があったのだ。他にも何店か途中で目撃しているので、アメリカ進出は上手く行っているのだろうな。

どんな楽しい時間にもやがて終わりは来る。そろそろお別れの時間だ。用意しておいたシートにサインをお願いした。下の画像はそれをホテルで撮影したものだ。サインをしたあとに、彼はポケットをまさぐって名前入りのピックを取り出して、渡してくれたぞ。



最後に記念撮影をしてお別れとした。別れの言葉と共に、日本に来るときには連絡してねとも加えておいた。時々来日しているようなので、そのうち日本で会えるのが楽しみだね。


私      Mr. Paul Jackson, Jr.    綿貫さん


*本日の会話は、当然ながら綿貫さんが通訳として活躍してくれたので成立したのだ。
 綿貫さんのご協力に感謝!

本日の結論
夢がひとつ叶って、すっきりした気分だ!

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