卒業的退社論


2009年10月03日 その日がきました!



昭和48年(1973年)神田川がヒットしていた頃に就職



「またどこかでお会いいたしましょう!」

昨今のご時世で、失職している方はたくさんいますね。自分を振り返ってみると、どうなんでしょうかね?

2005年に鬱病が発症して、2006年ついに1年間の休職。2007年に社会復帰して、なんとか2008年まで生き延びて来たものの昔の給与は期待出来るはずも無く半額程度。2009年になりさらに給与は半減。いまギリギリの収入の中で今後さらに削られるとしたら・・・。

それを考えると、働くとはどういうことなんだろうかと思ってしまいます。会社に通って給料をもらう行為は、今の私にとって果たして意味があるのだろうかとね。もちろん家族を養うのにある程度の収入は必要です。しかしその奥にある「労働の喜び」は会社に通うことでは得られていません。私が会社に通うことで、誰が喜びを持つのか?誰も喜ばない状況で働くのは辛いですよね。私がエフェクターを作り続けていられるのは、オーダーされた方々の喜びの声が聞こえるからです。喜ばれる限りは続けていようと考えています。

いまもし、私が会社を辞めたらどうなるのでしょうか?収入が途絶えることは確実ですね。かといっていまさら他の会社に勤める気はさらさらないのです。でも、細々とエフェクターを作って食っていくには売り上げが少な過ぎます。

気になったので、今後の当家の必要経費を試算してみました。とりあえず65歳で年金がもらえるようになれば、貧しくともなんとかギリギリ食っていけそうなので、それまでの残り7.5年間が検証対象期間になります。当家が最低限の暮らしを保つためには年間どれだけのコストが掛かるでしょうか?月間30万円必要だとすると、年間360万円です。そうすると、7.5年間で2700万円となります。月間25万円必要だとすれば、年間300万円です。7.5年間で2250万円となります。

そうなんです、私が今会社を辞めるためには、最低でも2250万円の蓄えが必要なんです。ところが、私はかつて2002年に現在のマンションのローン残金を全て支払うために、蓄財と退職金を全てつぎ込んでしまったのです。でも、その後働き続けることで、老後の蓄財は可能だと信じていました。当時は会社役員をやっていましたのでそこそこの収入がありましたからね。しかし・・・当然のことながらその時点で「鬱病」による収入減がやってくるとはまったく計算に入っていなかったのです。

そして53歳でみごとに「鬱病」の世界へ招待されて、死への願望に翻弄される日々が続きました。その頃、線路に飛び込みそうになり、その衝動をなんとか自分自身で押さえ込む瞬間を何度か経験して、私の人生はこれで終わったと感じていました。身動きが取れなくなり、1年間の休職生活。自宅に籠っていました。その失意の日々に「復帰したら会社を手伝ってもらえませんか?」と誘われて、2007年春に今の会社に再就職しました。

なんとか働き始めたものの、鬱の影はまだまだ濃く、抗鬱剤の副作用も強く、自分で考えていたほどは体も頭も動きませんでした。なんとかしたいと始めたのが、電子工作でした。休みの日に意識を集中させるために小さなギターアンプを作り始めました。知識が全くないところから始めて、試行錯誤を繰り返し・・・数ヶ月後ようやく完成したのが「GAKUYA 1号」という小型アンプでした。プロギタリストにも好評で今までに35台ほど作りました。

そんな状況の2007年秋。突如として私の中に生まれた「ギターエフェクターを作ってみたい」という欲求。もちろん収入を増やすためなどという大それたことは全く考えていませんでした。ただただ鬱の苦しさから逃れるために、何か集中出来ることを探していたにすぎません。スタートして2週間後、それは突如出来上がってしまいました。名付けたのは「禅駆動」是永巧一氏の命名です。


これは現在製作しているバージョン

ところが、私の意図していないところで話は動き始めました。評判を聞きつけて次々にオーダーが入り始めたのです。鬱との戦いの中でオーダーをこなしていくのは当初かなり困難がありました。しかしそれが収入に繋がりユーザーにも快感を与えられるのだと気づいた時、喜びに代わってきました。ひとつ作るたびに、確実にそれが現金化出来るのです。私は今までに感じたことが無いダイレクトな労働の喜びを持つことが出来ました。しかも不足していた収入はそれである程度補填出来るようになったのです。

もうひとつのメリットは、自宅で一人だけで仕事ができることです。自分のペースで、自分の体力の様子を見つつのんびりと働くのが一番だと感じます。私はだらけてボ〜ッとしていたり遊びまくったりしたいのではありません。貧しくても自分で自由になる時間をコントロールして生きていきたいだけです。私はもう組織の論理が蠢く中で働く気はなくなりました。

なんてなことを考えている日々でしたが・・・。

今年の8月。お盆休みの真っ最中に精神状態が急激に好転してきました。それまでの4年半に及ぶ「鬱」の世界から突如として抜け出したのです。それまでにも何度か乱高下を繰り返していた「鬱病」でしたが今回は本物です。秋晴れのような爽やかな精神状態は待ちこがれていた感覚でした。同時にもう一つ沸き上がって来た感覚がありました。それは離職することに対する願望です。通常は「鬱になると会社を辞めたくなる」のですが、それとは真逆の感覚でした。

そして、ついにその日がやってきました。10月1日午前中に社長と話すことがあり、その会話の最中に「よし今決断しよう!」と自分で瞬間的に判断したのです。突然ですが、私は2009年10月15日をもって会社を辞めることにしました。会社生活からの卒業です。辞める理由は他にも様々あるのですが、その理由をここでアレコレ語っても意味は無いので、事実関係だけを淡々とご報告しようと考えました。一番大きな理由は自主的リストラだとでも思ってください。

私が一番手に入れたかったのは時間です。組織に縛られない自分だけの時間です。時間の確保と 反比例して収入は無くなりますが、自由な時間は今手に入れないともう二度と手に入らないと考えているのです。残された人生をどう過ごしましょうかね?やりたいことはたくさん残っています。やることが無いなんてな状態には当分の間ならないですよ。

1973年8月にTVコマーシャルの業界で働き始めて以来、3つの会社で働いてきました。いままで36年間に渡り仕事関係で私を支えてくださった皆様ありがとうございました。またどこかでお会いいたしましょう!


本日の結論
今とてもスッキリした気分です!

「独断倉庫」に関しての御意見は「啓示倉庫」へ書き込んで下さいな。



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